セージュタイラー《後編》


「Coucou Robin, 僕のプレイリストを流して」


 大きなトレーを手にリビングへ戻ったセージュは、バーガンディのジャケットをはためかせながらスマートスピーカーへ声をかけた。Robinという愛称のAIスピーカーを自宅に設置したのは近年のことだ。主に、メイドや従業員アルバイトらのいる部屋に特定の曲を流し、呼出しや退勤などを合図するのに使う。


 ビジネスシーンで使うのとは別に、セージュが個人的に作成したプレイリストがひとつだけある。リストに含まれる楽曲は全4曲だった。生まれた時代も出身国も異なる4人のピアニストが演奏する、ショパンの「葬送行進曲」あるいはピアノソナタ第2番の第3楽章である。


 北斗は幼い頃ピアノを嗜んでいたらしく、ショパンは好きなほうだと言う。だからこそ、初めてセージュの部屋を訪れた彼はBGMとして流れていたそのメロディに困惑した。

 しかしセージュ自身はそれを世界一邪魔にならないBGMだと述べて憚らない。彼が自室に籠るときは大抵、ひとつしかない「僕のプレイリスト」をリピートして過ごしている。


 ダリマや須恵子もこれには慣れたものだ。彼女達の場合、はじめからセージュの趣味に文句を付ける気もないが、今や慣れを通り越し、あまつさえセージュの持論にも一理あるよう感じ始めてさえいる。


「ついでと言ってはなんですが、先日買ったばかりの紅茶も淹れてきました。さあ、どうぞ召し上がれ。もちろん伊勢谷くんの分もありますから、きみもそのまま座っていて」


 トレーを預かろうと腰を浮かせた北斗を制しながら、セージュはまず、ダリマの前に茜色のマグカップを置いた。ダリマ専用のそれは無骨なデザインの波佐見はさみ焼だが、紅茶用にセージュが選んだティーカップはフランス製のものだという。

 白いカップはシンプルなデザインだが、ソーサーはその白色を引き立てるような華やかな色彩に溢れていた。小鳥や花をモチーフとしたオリエント風、あるいは中華趣味シノワズリを思わせる、優美で繊細な絵付けが一面に施されている。


「詳細な産地はわかりませんが、台湾の紅茶だそうです。角のない口当たりは和紅茶とも少し似ていますが、香りや甘みはまったく違うんですよ」


 セージュの言葉を聞きながら、最初にティーカップへ唇を寄せたのは北斗だった。


「へえ、確かに初めて味わう感じの香りです。そうか、緯度では日本より台湾のほうがインドやネパールに近そうだし、紅茶栽培向きの気候なのかな」


 カップに鼻を近づけて香りを確かめるようにしながら、北斗はどこか独り言のように呟いた。


 水色すいしょくは鮮やかな紅色とは少し趣が異なる。揺れる星の輝きのように煌煌きらきらとしていて、薄紅をまとった金色に近い。

 セージュは自らもカップを手に取ると、淡く湯気が震える美しい水面を、愛でるようにじっと見つめた。


「栽培地自体の個性ももちろんありますが、国境を超えると食品衛生法や保健のルールが変わります。なので、製法や保存方法も各国に合わせて変わらざるを得ないんです。たとえ同一ブランドの紅茶でも、海外で買ったものと日本で手に入るものとでは風味が違ったりするでしょう。同じ農園、同じ銘柄の茶葉でも、運ばれた先の国のルールによって異なる個性をあらわします」


「ほーん。いっちょまえな葉っぱちゃんだねェ」

 あまり興味なさそうに相槌を打つダリマに、セージュは首をすくめて見せる。


「でも、そのショコラショに使った1枚98円のチョコレートも、原料はミルクとカカオだもの。紅茶と同じことがあるかもしれない。ミルクは特に、輸入なんてせずに現地のものを使うだろうし」


 ダリマは大げさに目を見開いたあと、尖った歯を見せてにやりと笑った。


「なんだタイラー。今日はもう随分エンジンあったまってんじゃないの。楽しい楽しい怖い話でもするかァ?」


 珍しく、須恵子がティーカップを持ち上げる仕草をしてダリマに同意した。


「いいね。セージュくん、何か聞かせて」

「えっ……そういう流れですか? だったら俺はあまり怖すぎないのがいいんですけど」


 遠慮がちにそう言う北斗と須恵子とを見比べ、セージュは首を傾げて思案する。

 この家でゲストたちと百物語の真似事をすることは、それほど珍しくない。パーティーは18時からだ。あと30分もすれば他のゲストらが集まり始めるはずだが、今回は初めて夕霧雨流と雨蕾々の兄弟を招待していた。


 今夜は百物語をする。必ずそうする。そう決めていたから、セージュがフライングで怪談を披露するからには、夕霧兄弟とは趣向の異なるエピソードを選びたい。


「……では伊勢谷くんのリクエストも鑑みて、古典怪談にしましょうか」


 古典という言葉を耳にし、ダリマと須恵子は意外そうに顔を見合わせる。


「『振袖大火ふりそでたいか』という話です。あるいは明暦めいれきの大火とも言います。文字通り明暦という元号の頃に起きた大火事にまつわる話で、幽霊が苦手な伊勢谷くんにはちょうど良いと思う」


 セージュは紅茶を一口飲んでから、にたりと気味悪い笑みを浮かべる。少し尖った八重歯が光り、どこか悪人のような雰囲気を醸した。


 自分でもいつの間に身につけたのだかわからないが、芝居がかった所作は昔から得意だった。


――それに、須恵子たちは怪談よりも、セージュの語り口が好きなのだと知っている。


「さて。明暦と申しますのは江戸時代初期の頃、しかしながら話の始まりは少し遡って明暦元年の前年の春のことです。浅草で商いをしていたある裕福な商家におみつという一人娘がいました。蝶よ花よと大切に育てられた箱入り娘で年の頃はおよそ十六の娘盛りです。

 事の始まりはこのお光。すべては彼女が上野へ桜を見物に行ったことから始まりました――」


 今日のセージュの語り口は軽妙だった。徐々に捲し立てるような口調へ変化してゆく。

 ショパンの「葬送行進曲」は、決してテンポの速い曲ではない。しかしながら、セージュタイラーの柔らかく甘美な声音とそれとは、ひどく相性が良かった。




 Fin.

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