第一話 「そこ」にいない彼女

#02 虚空を写す盗撮魔

 翌日、放課後。


 今日は体育の授業があった。体育の授業では毎回、簡単な反省を配布のプリントにまとめるという宿題が課される。大した労力ではないので、適当に書いてその日のうちに出してしまうのが俺にとっては通例だ。


 俺は教室を後にし廊下を歩いていたのだが……不意にポケットの中でスマホが振動した。少し間を置いて、計4回。確認すると……。


『見てよ二駄木くん!!』

『写真を送信しました』

『あきらの新衣装きたー!!!!!!』

『スポーティでかわいくない!?!?』


 ……4つとも先輩からのメッセージだった。推しのガチャが来て狂っちゃったのかな。


 どんな返事をしたもんか……しばし考え込んでみたが、あまり気の利いた返事が思いつかなかった。とりあえず後にしとくか。俺はスッとスマホをしまった。ちなみにダジャレではない。


 放課後になってからしばらく経ち、校内の無秩序な喧騒けんそうは少しずつ収まってきた。代わりに遠く聞こえてくるのは運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏。多く生徒はもう学校を出たか、部活動に励んでいる頃なんだろう。


 体育の宿題をさっさと終わらせた俺は、それを提出するために実技棟へと向かった。『体育の提出物は、体育教官室前の棚へ』……1年生の頃からこのルールは変わらない。


 今は四月。


 新学期が始まって1週間余り、俺は高校2年生になった。……そして、昨日出会った『放課後の令嬢』も、おそらく同じ2年だと推測できる。


 この学校の上履きは学年ごとに靴底の色が異なる。今年であれば2年は赤色、3年は緑色といった感じだ。彼女の上履きは俺が見たかぎり赤色……つまり俺と同学年。しかし彼女の顔に見覚えがあるという人間は一向に現れない。


 彼女は一体何者なのか……考えても無駄だな。どうせ二度と出会うことはないのだろうし。そんなことを考えているうちに俺は体育館のすぐ近くまで来た。


 かすかに聞こえてくるのは女子同士の掛け声。それからキュッキュッというシューズの踏み込む音。女子バスケ部だろうか。


 しかし、すぐそこを曲がれば体育館の入口……というところで。


「……」


 ……それはいた。


 つい昨日までは見覚えなどなかった、しかし今はバチバチに見覚えのある後ろ姿。


「何してるんだ?」

「ひゃっ!? って……あ、あれ? 君は……」


 ……放課後の令嬢こと、青井颯だ。どうせ二度と出会うことなどないだろうと思ってたのだが、意外に早い再会だった。


 彼女の様子はと言うと、角の向こう側へ顔を覗かせたり、引っ込めて考え込むような仕草をしたり……率直に言って”不審”と言わざるを得ないものだった。


「ええとっ、何か用かな……?」

「いや、なんだ。怪しい奴がいるなと思っただけだ」

「そ、そうなのっ! 今ね、向こうの体育館入口の方を覗いてたんだけど……そ、そこに怪しい人がいるんだよっ!」


 いやまずお前が怪しい……。彼女は、その『怪しい人』とやらに怯えているようだが。


「はあ……怪しい人ねぇ。で、どんな?」

「そ、それが……」


 目の前の彼女は、声を潜めて言った。


「……盗撮魔、かもしれないの」


 予想外に穏やかではないワードが飛び出してきたな。


 彼女は体育館の入口の方へと視線を送った。そこにいる……ということだろうか。俺も向こうを覗いてみると、そこには一人の男子生徒らしき姿が見えた。


 壁から突き出た照明の位置が致命的に邪魔で、顔は確認できないが……足元だけは見ることができた。見たところ上履きの靴底は緑色……3年生か。


「しかし盗撮ねぇ……。そう思った”決め手”って、何かあるのか?」

「決め手……」


 青井は少し言い淀み、それから再び口を開いた。


「……今、体育館で女バスが練習してるの。してるんだけど……あの人、さっきからずっとあそこでスマホを構えてるの。たまに角度や立ち位置を変えたりして……」


 誰がどう見ても盗撮でダメだった。怪しいとか言ってごめんな。ちなみに『女バス』とは『女子バスケ部』の略称だ。


 ただ気になったのが……。


「ところで思ったんだが、最初に盗撮魔じゃないかって言ってたとき『かもしれない』ってつけてたよな。あれには何か意味があるのか?」

「あっ、それは。もしかしたらなんだけど……誤解なのかもって」

「誤解?」


 青井は目を逸らして、自信なさげに言った。


「女バスの子たち、当然だけどずっと練習するだけじゃなくて、ミーティングとかもするんだよね。さっきも一度、入口からだいぶ離れたところで集合してたんだけど……あの人、そっちの方は


 女子部員をカメラで追ってなかった……か。確かに、もしあの男子生徒が盗撮魔だったとしたらそれは不自然だ。まさに『虚空を写す盗撮魔』、とでも言おうか。


「……なんだか、謎めいてるよね」


 男子生徒が女バスを盗撮しているわけじゃないとすれば、一体どんな可能性が考えられるだろうか。


「う~ん……あっ! 実は撮ってたのは部員じゃなくて、体育館のほうだったとか?」

「発想はちょっと面白いな」

「ふ、二駄木くんもそう思うっ!?」


 青井は嬉しそうに言った。実際確かに、日常の謎ジャンルなんかには普通にありそうなオチではある。


「でも、上履きの靴底からして3年生なんだよな。3年生にもなって今更、体育館の写真を撮るってのも……。それにずっとあの場所で写真を撮り続けてるってトコにも、いまいち説明がつかない」

「そ、そうだよね……」


 青井はしょぼくれた。何か他に可能性は……。


「もしかして……」


 俺はもう一度、件の男子生徒の方を覗き見た。確かに足元くらししか確認できないが、それでも……あの雰囲気は……。


「な、何か分かったの……?」


 気付けば自然と足が動き出していた。対して青井は一歩も動いておらず、不安げな目でこちらを見つめていた。


 あぁ。そういえばコイツ、男が苦手なんだっけか。……昨日と比べて随分とほぐれた態度をとっていたから、つい忘れそうになってしまった。でもそれは、男全般への苦手意識がなくなったってことじゃないはずだ。


「……まぁ確かに。盗撮魔の可能性がある男とか、普通の女子からしても怖すぎだよな」


 俺は彼女に目を合わせて、言った。


「俺の読みが当たっていればだが、あれは盗撮をしてるわけじゃない。怖い人じゃねぇよ」


 それから俺は、踵を返して体育館入口へと向かった。青井とは全く関係なく、俺がこの目で確かめたいのだ。彼女が無理に来る必要もない。


 しかし……彼女はそうしなかった。


「その……ありがとう。気を遣ってくれて」

「……別に」


 わざわざそんな風に感謝されると、どうにも据わりが悪い。思わずぶっきらぼうな返事をしてしまった。


 青井はその場から一歩踏み出し、俺の背後をついていった。

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