どうか、誰か答えてください

片山順一

ふざけているようにしか見えない全部

 2022年の2月24日、某国が某国に侵攻し始めた日、私の何かが壊れました。


 テレビやネットで映される泣いている人、壊される街、殺されていくであろう人々、追い詰められていく小さな国を見ていると、何も手につかなくなりました。


 私は、私の小説が書けなくなりました。


 もともと、一日に数PVつけばいい方だったから、週に三回も更新することが苦痛になっただけなのかもしれませんが。


 私はもう36歳です。なんとか生きているけど、結婚どころか就職もしていないし、結局デビューもできそうにない、あらゆるところから見たどうでもいい人です。


 けれど、私自身は評価されなくても、基本的にオタク的な表現は芸術として素晴らしいもので、欠点もあるけれど、いろいろな人を救っていると信じていました。


 私は流行の作品が嫌いです。成り上がり、復讐、転生、デスゲーム、ありえない設定のラブコメディ、異常に強い誰かが出てきて暴れまくる、つまらない日常を過ごす読者が楽しめるように加工された、薄っぺらい歴史や戦争――。


 懐古ですか。いいえ、もしかしたら、二十年ほど前に、私が眠い目をこすりながら、夜中夢中になって見ていた深夜アニメも、このどれかだったかも知れません。


 けれど、一つだけ。たとえ私がどれだけ相手にされなくなったとしても、全く必要とされなくなったとしても、いまあるオタク的作品はすべて基本的に正しいということです。


 若い人や、若くない人によって作られた作品は、経済を循環させ、クリエイターに所得を生み、触れた人に夢を与え、挫折を救い、前に進む力を与える。


 私なんかが何もできなくなっても、それは絶対的に確実だと思っていました。


 でも違ったんですね。私は勝手に違ったと思い込んでしまいました。


 わかったような口を利きながら、都合のいい知識と歴史を振り回し、やっていることはお金と権力欲と暴力と性欲の肯定。


 それを見た人にどういう影響があるかはすべて後回し、とにかく数が稼げればいいという乱発。そうでない人にはヒットしたという事実を背景にした圧力。


 どうやっても勝てそうにないような小国で必死に抗う人。

 大国の中でつぶされそうになりながら何かを守ろうとする人。

 そして、結局つぶされていく人。


 彼らに対する温かいまなざしや、それでも――というはかなくも、美しい希望はどこに行ったんでしょうか。


 この世には力、あるいはそれの具現化としての数値と金しかなくて、それがすべてであり、力がない人が悲惨な末路を迎えようとそれは当然で哀れみも何も感じる必要がない、といわんばかりの才能ある主人公たちの氾濫はなんなんでしょうか。


 それとも、この人生で外れたのなら、死んだあと救済があるとでもいうのでしょうか。当たりの人生だけがあって、そこではなんでもできるかのような。


 自分に力と知識があるから、相手が思い通りになると思い込み、侵略を仕掛け、思惑が外れたら自国の民と小国の民をいたずらに殺戮し、自分の願望に逃げ込む。


 自分が好き勝手にできる世界を求めようとするのなら、どんな設定を持ったどんな人格の何者であろうと、結局それと変わらないのじゃないか。


 オタク表現は、私が好きだったライトノベルは、技術と相まって肥大化する時代時代の若者と若くない者の欲望を取り込み、次々に市場を拡大させながら、力と欲望しか信じられないバケモノを増やし続けてきたのではないか。


 そう、私は思ってしまいました。


 こういう思いが、私の中を駆け巡ると、自分が少しでも今の潮流に乗ろうと苦心して書いてきた作品に、罪悪感が沸きます。


 少ない読者の方々には申し訳ないのですが、私はどうしても、自分の作品への筆が取れないのです。


 ささやかでも、小さくても、生きることは尊くて。

 だからこそ、力で抑え込んだり破壊したりしてはいけない。


 どれほど格好よくたって、どんな大義があったって、戦争は破壊と殺戮であり、死は救済でもなんでもない。ただの恐怖と絶望でしかない。


 小説だろうがアニメだろうがゲームだろうが配信だろうが、生存の保証と創作の自由なくしては、作ることができない。


 あらゆる表現の根底にあるはずの認識がないがしろになっている気がするんです。


 こんな簡単なことが、なんで分からなくなっていたんだろうと思います。


 いや、私は自分で分からなくしたんですね。力で手に入る女性が美しいから。その体が欲望を掻き立てるから。私に求められる女は幸せになっているはずだからと思い込んで。ただ、私が現実の苦痛を逃れるためだけに。


 この戦争の一部の映像だけでも見たときに、揺さぶられる強烈な感覚。

 こんな不幸が、こんな恐怖が、絶望が、人種は違えど同じ人間を襲っているさまを見ているときの激しく傷つく痛烈な感情。


 なぜこんなに、当たり前にこのサイトでもどこでも、みんなは、みんなの求めるただの楽しいものを作り続けているられるのだろう。


 私には分からなくなりました。今、とても、虚ろです。


 みなさんは、いったいどのようにして、何かをすることに心を燃やしておられるのですか。

 力によるこれほどの破壊と絶望を見ながら、どうして、なおも力と怒りとその気持ちよさを求め、平然と身をゆだねることができるのですか。それを楽しいと思えるのですか。


 どうか、答えてください。お願いします。

 さもなくば、私は私が分からなくなります。


 私が人生を狂わせて書き続けてきたすべてのことが、なにもかも分からなくなっています。


 どうかお願いします。どなたか、どうかお答えをください。必ず返信しますから、どうかお願いします。


 私は、私が好きだったものを、嫌いになりたくありません。

 どうか、お願いします。待っていますので。

 もし、お読みになったのであれば。私はだれかと話したいのです。

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