第4話

 まだ早いというのに、食堂は、もう混み始めていた。狙撃部隊に所属している兵士は、たった三百人しかいないのに、なぜこんなに混むのか。


 この基地には、狙撃部隊、合計三百人が駐屯している。だが、狙撃部隊の兵士達だけで、軍事基地を管理維持できるわけではない。


 武器を用意する武器科、兵士の衣類などの必需品を管理する需品科、怪我人や病人の治療を行う衛生科。


 それに加えて、IT技術全般を担当する通信科、お金を管理する会計科、それと、移動手段として輸送ヘリを使うために航空科など、前線の兵士を支援する、所謂いわゆる兵站へいたんを担当する兵士たちが、三百人ほど、つまり狙撃部隊の兵士と同じ人数、駐屯している。


 つまり、全員合わせれば、六百人以上の兵士が、この基地に駐屯していることになる。


 戦争をするのに必要なのは前線で戦う兵士。だが、それと同じぐらい重要なのが、その兵士を支える、後部支援部隊兵站だ。彼らがいなければ、俺らは戦うどころか、戦場に行くことすらできない。


 どれだけ鋭い槍の穂先でも、それを支える柄が頑丈でなければ、槍は簡単に折れてしまう。これは、同じように軍隊にも言えることだ。


 当然だが、その全員が食事をする。何も食わずに生きていけるのは仙人か神だけだし、そんなものはいない。


 だが、人数の少ない衛生科糧食部隊料理人の兵士だけでは、六百人分の食事を同時に作ることなど不可能だ。


 いくら大型の調理器具を使っても、同時に作れるのは数十人分程度で、六百人には程遠い。


 六百人全員が一斉に食事に来たら、厨房は間違いなくパンクする。そういう理由から、食堂に設置された椅子は三百席だ。


 そこには、食堂に入らない人は、外で並んで待っててもらうなどして、厨房の負担を少しでも減らそうという、設計者の意図がある。


 だが、集団で動くことが多い兵士の、食事の時間はかなりの確率で一致する。


 結局、壁を背もたれにして食事をすればいい。という考えの兵士が続出して、設計者の意図は無に帰した。


 食堂の奥に設置されたカウンターの上には、規則正しくトレーが並んでいる。その前には、列ができていた。


 兵士は、列に並び、食事の盛られたトレーを一枚取って、空いている席、又は床に座る。食べ終えたら、カウンター脇の返却カウンターに、トレーを置く。


 カウンターには傾斜が作られており、前のトレーを取ると、後ろのトレーが自動的に流れてくる仕組みになっている。そうすることで、狭いスペースを、有効に活用している。


 食器はスプーンだけ。何故なら、兵士がそれを武器にして決起したら困る‥‥という刑務所みたいな理由ではなく、切ったり刺したりするより、すくうだけの方が、疲れた胃にも優しいし、早く食べ終えることができるからだ。


 だが、それだけでは噛む力が弱くなってしまうので、乾パンなどのある程度堅いものも出して、気を使ってはいる。健康第一だ。


 不健康な兵士は戦場に出しても、すぐに死ぬ。


 スプーン置きとトレーは一体化している。そのおかげで、スプーンを取りに行く手間が省ける。軍という組織は、効率を何よりも重視している。


 大体、十分ほど列に並んで、ようやくトレーを手に入れることができた。


 酷い時には、三十分以上待たされることを考えれば、今日はマシな方なのかもしれない。


 だが、どんな人員不足でも、飯が食えない日はないし、まずい飯は出てこない。それに関しては糧食部隊に感謝するべきだろう。


 今日のメニューは、ソーセージ入りの豆のシチュー、シリアル、ジャムとパン、ベリーのシリアルバー、紅茶、クッキー、チョコだった。


 美味しいという訳ではないが、不味いわけでもない。癖も特徴もない味だ。


 ベジタリアンとか、そういうたぐいの趣味を持っていなければ、誰でも普通に食べることができる。だが、相当な変わり者でなければ、大好物という人もいないだろう。


 俺は、ほとんど満席状態の食堂を、並んだのと同じ時間歩き回って、ようやく空いている席を見つけた。床に座って食べるのは、なんか嫌だ。


 食堂の椅子は、長椅子なので、椅子をまたいで座る必要がある。


 これは少々不便だが、全員分の椅子を作る金があるなら、その金を兵器に回してほしい。という意見の兵士が多いので、食堂で使われる椅子は、どの駐屯地でも、簡素な長椅子だ。


 周囲の兵士が、うるさくしゃべっているのが微妙だが、床に座るよりは百倍マシだ。


 それに、こいつらは軍学校時代から、こんな感じだったから、仕方ない。まあ、人が会話していることに苦情を言う権利など、俺にはないのだが。


 話さえこっちに振ってこなければいい。そう。話さえ振ってこなければ。話さえ‥‥‥。


「なあ蒼」


 振ってきやがった。俺が少しにらむと、俺に話を振ってきた狙撃手は、飄々ひょうひょうとした雰囲気で


「お前のスポッターて、美人だよな」


 と言ってきた。一体どんな話をしていたんだ?少し、情報を集めておくべきだったかもしれない。俺は、話しかけてきた兵士に関する情報を、思い出す。


 そういえば、こいつは音痴で楽器も使えないのに「音楽科志望です」と言って、先生に笑われていた。


 それも、親が音楽関係の仕事についていて、色々あった結果、勘当されるように家を飛び出して、流れ着くように兵士になったけど、勘当した当の親が、「せめて音楽科に入れ」と、言ってきたから。という事だ。


 結局、先生と親が話し合って、ようやく彼は、望み通り、狙撃部隊に配属されることが叶ったそうだ。少しふざけた兵士だが、狙撃の腕は確かだ。


 周りで話していた奴らまで、そうだそうだ。こいつには勿体ない美人だと、彼に便乗している。こいつらは、どんな話をしていたんだ?


 まあ、男性率が高く、恋愛相談が少ないこの基地で、彼らは、面白い恋愛話に飢えている気持は、分からなくもない。だが、それに俺を巻き込むな。


 本人がいなくてよかった。こんなくだらない事で、氷室との連携がうまく取れなくなって戦死したら、笑えない。俺は胸をなでおろした。


 彼らは、そのまま俺を巻き込む形で、駐屯地にいる数少ない女性兵について、誰が好きだのと、話を始めた。


 彼らの会話は、俺が無視しても続くだろう。まあ、無視して面倒な方向に流れても困るので、俺は、軍学校時代に習った心理学の知識を総動員して、俺と氷室についての話題から、彼らを離した。


 多分、上手く行ったと思う。まあ、彼らも狙撃手だ。スポッターとの信頼関係の重要性は良く分かっているだろうから、引っ掻き回すようなことはしないだろう。


 俺は、胸をなでおろすと、素早く夕食を終えて、自分の部屋に帰ることにした。人が多く集まる所は、苦手だ。


 俺は、部屋に戻ると、棚から銃を取り出した。それを机の上に置く。卓上ライトをつけて、整備用の道具を取り出した。さて。俺は銃の整備を始めた。


 銃を分解してパーツを拭いたり、オイルを塗ったりして、新品並みにピカピカにしていく。


 武器は繊細だ。丁寧に扱わないと壊れるし、整備しないと、肝心な時に使えなくなったりする。


 整備自体にも、様々なコツがある。うっかり手順を間違えると、銃は簡単に壊れてしまう。


 俺は、ほぼ毎日銃を整備している。そういうコツは、全てマスターしている。俺は銃を再び組み立てると、大切にしまった。


 次に同じ棚から、というか部屋に一つしか無い棚から、ナイフを取り出した。


 それと一緒に、砥石を十個ほど取り出す。砥石を水に漬けて、二十分ほど気長に待つ。そしてナイフを砥石に置いて、指を刃に添えて、研ぎ始めた。


 刃こぼれはないので、荒砥石は使わず、中砥石から仕上げ砥石へと、砥石を荒いものから徐々に細かいものにしていく。


 ナイフが肝心な時に切れないというのは、白兵戦で致命的だし、切れ味の悪い刃物はむしろ危険だ。


 このナイフで料理を作ることは多分ないだろうが、切れ味のいい包丁だからこそ、旨い飯はできる。という話を聞いたことがある。


 俺は、ピカピカに研ぎ上げたナイフ紙の上に置いた。恐ろしいほど滑らかに、紙が切れた。俺はうなずくと、ナイフを大切にしまった。


 ふと時計を見ると、すでに消灯の時間が迫っていた。だいぶ熱中していたな。


 俺は早々に布団に潜り込んで、寝ることにした。兵士は朝が早いし、夜遅くに、突然、出撃命令が出ることも少なくない。睡眠は取れるときにしっかりとった方がいい。


 俺は戦闘服を素早く脱いで、Tシャツと半ズボンだけになった。


 戦闘服はたたんで戸棚に入れる。ドサッと布団に横になり、目を閉じた。布団は基本被らない。


 奇襲攻撃を受けた際には、三秒以内に飛び起きて反撃せねばならないからだ。だが、俺は、どんな環境でも、すぐ眠れる訓練を受けている。


 すなわち、枕がなくても、毛布がなくても、床がなくても、拷問中でも、すぐに寝れる。


 三秒ほどでスーッと眠りに落ちた。




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