第24話 痛みを伴う相対

 強力無比な武器を持っているとはいえ、さすがに緊張は拭えなかった。一歩進むのにとてつもない精神力を要求され、握っている銃も汗に濡れる。


「ちょっとだけ休もうか?」


 イェルンは振り返った。今入った連絡によると、イーガルたちは三つめのブロックに進んだ様子だ。エマの安全も確認している。これを作業と捉えるなら、順調と言えないこともない。


「いえ。私たちの方が遅れているみたいです。このまま続行しましょう」


 アディはアジェントを握りしめながら答えた。

 イェルンは無音で嘆息した。そして、彼女を気遣う態で、本当は自分が休憩したかったことに気づく。

 アディ・ミルティー。彼女と行動を共にするようになったのは、ハイバネーションで眠りに就く前を入れてもほんの90日余りだ。だから、彼女の人となりのすべてを握把しているわけではないが、ひょっとしたら、クルーの中でもっとも強い人物なのではないかと秘かに思っている。肉体的にとか格闘術に優れているという意味ではなく、精神面がだ。

 表面上の物腰は弱々しいとさえ形容できるが、その髄には鋼鉄のような強靭な精神が宿っているように感じる。リジュやエマが取り乱している中でも、彼女は冷静だった。こんな女性と一緒に、本来の目的通りイズミールを探索できたら、どれほど素晴らしい経験となっただろう。未知なる大地も冷静かつ大胆に突き進むのだ。

 今更ながら、異常事態の渦中に放り込まれたことが悔やまれてならなかった。


「イェルン?」

「よし。このブロックは調べ尽くした。防火壁を閉じて次に進もう」


 考えていたことはおくびにも出さず、平静を装った。命懸けの捜索中にも関わらず、バディの分析などしてしまうのは、弱気になっているからだろうか。

 いくら彼女が芯の強い女性だからって、自分の気合いがぼやけて良いことにはならない。


「……まるで、私たちが閉じ込められてるみたい」


 アディの呟きが宙に漂う。防火扉が閉まりきろうとしたその瞬間、黒い影が天井から降ってきた。


「うぁっ⁉」


 あまりに突然のことだったので、イェルンはまったく反応できなかった。気持ちは瞬時に固い鎧をまとい、少し遅れて鎖骨から胸部に掛けて鋭い痛みを感じた。

 なにが起きたのか確認する間もなく、今度は腹部に重たい衝撃を受け、壁際まで吹っ飛ばされた。


「ぐええっ⁉」

「イェルンッ!」


 壁に頭を打ちつけ、目の前が白く弾け飛ぶ。本能が危険を排除したのか、すぐに視界は元に戻った。

 そして、イェルンの前には明らかに彼らとは違う体型と外見を有した生物が立っていた。ラグティナだ。頭を痺れさせるほどの驚愕が突き抜けたが、それは一瞬のことで自分でも意外なほど心は落ち着きを維持してくれた。

 どこに潜んでいた?

 考えられるとしたら、天井の僅かな突起にしがみついていたくらいだが、それだけ取ってもラグティナの身体能力は決して鈍いものではないと判断できる。

 イェルンは熱くなった胸部に手を当てた。粘度のある液体が指の隙間からこぼれ落ちた。それが自分の血液であることを認識した時、初めて斬られたのだと分かった。あと少し右に立っていたら、脳天を貫かれていたところだ。

 ラグティナが手にしているのは、見たことのない物だった。やはり、漂流物にサバイバルキットの類が用意されていたのだ。まさか、イズミールの人類は原始的な狩猟生活を送っているわけではあるまいが、物を切る道具というより獲物を狩る凶器を連想させる。戦意を縮こませる凶悪な形状をしていた。 

 態勢を崩したイェルンを一瞥して、ラグティナはアディに飛び掛かった。


「きゃあっ⁉」


 アディは驚きのあまり、足が絡んで尻もちをついた。しかし、それが幸いした。

 ラグティナが振り下ろした刃物が、アディの頭上をかすめて通過した。


「アディッ⁉」


 イェルンは銃を構えた。銃口がラグティナに向けられる。

 ラグティナの動きが止まった。向こうにも訴え掛ける生存本能があり、イェルンが手にしている物が武器だと瞬時に理解したのだ。しかも、怪我だけでは済まない、命を奪いかねない強力な武器だと見抜いている。


「おまえ……」


 イェルンはそれ以上の言葉を発せなかった。言葉が通じないことより、その異様な姿に圧倒されてしまった。

 二足歩行で手で物を持てるところは、イェルンたちと一緒だ。だが、所々のデザインがまるで違う。頭部からは無数の細い触手のようなものが生えており、胸部が異常に張り出している。手の先端は何本にも枝分かれしており、その一本一本が曲げられるようで物を握るには便利そうだ。そして、サバイバルキットに入れてあったのか、ラグティナは服を着ていた。奇抜な外見だが衣類を着用しているところは、知性を持つ生き物である象徴に思えた。


「おまえは、イズミールの人間か?」


 無駄だと知りつつ、イェルンは訊かずにはいられなかった。


「%&*%3^&7=_:?`」


 ラグティナが応えた。意味は分からなくても、なにかを問われたのは伝わったのか。それとも、向こうがなにかを質問しているのだろうか。

 やはり自分に向けられている物が武器だと理解しているらしく、ラグティナは中腰のままイェルンを睨み続けている。

 言葉は分からなくとも、なんとしてでも生き延びようとする執念と、そのためならイェルンたちの命を断つのに躊躇わない覚悟が感じられた。

 剥き出しの殺気に当てられ、飛び道具で狙っているにも関わらずイェルンの方が怯んでしまった。


「くっ!」


 イェルンは耐えきれず発砲した。独特の電子的な銃声が反響する。

 ラグティナは銃声には反応したものの、その場から動いたわけではなかった。それなのに、吐き出された弾丸はかすりもせずに通過した。どこに当たったのかは分からないが、バチィッと電気が弾けるような音が響いた。

 よく狙ったつもりだった。だが、冷静さを欠いた精神を、弾丸は如実に顕にした。


「$#0^\^-\/-/!"'&$#&!」


 今ので完全に機を逸した。必殺の一撃を外してしまい、こちらにも殺害する意思があると悟られてしまった。ラグティナは殺意に燃えた瞳をぎらつかせ、イェルンに突進してきた。


「うおあああっ!」


 狙いを定めている暇もない。異形の生物に突っ込まれ、パニックに陥らないように自制するのが精一杯だった。

 盲撃ちでも構わないと、トリガーを必死に引き続けた。恐怖心で放った弾幕射撃ではあったが、そのうちの一発がラグティナの肩を撃ち抜いた。快哉を叫びたくなるほどの僥倖だ。


「,')$&‼」


 信じられないことに、ラグティナの突進は止まったものの、武器を落としはしなかった。自分の生命線とばかりに強く握りしめている。

 歯を剥き出しにし、苦しそうに呻く。しかし、闘志は衰えるどころか、ますます燃え上がっている。自分を傷つけたイェルンに対して怒っているのだ。

 ラグティナの足元に液体が滴り落ちる。イズミール人の血液か体液だ。イェルンたちの血液とはまるで違う。命そのものが流れ出ているような、濃密な色をしていた。

 ラグティナが動きを止めたことで、落ち着きを取り戻した。相手は怪物などではない。撃たれれば痛みを感じるし、血も出るのだ。ならば、生命活動を停止させることも可能だ。


「アディッ! 俺の方に来いっ!」 


 イェルンは再び銃を構えた。

 ラグティナは身をひるがえすと、逃走に転じた。武器の差で不利だと判断したのだ。二本の脚を器用に回転させ、信じられない速さで瞬く間に二人から遠ざかっていった。


「待てっ!」 


 イェルンは立ち上がり後を追おうとするが、アディを置き去りにするのは危険すぎた。走り出したいのを堪えて、彼女に手を差し出す。


「怪我はしてないか?」

「大丈夫です。私よりイェルンの方が……」


 スーツが無残に切り裂かれ、鮮血で染められた胸部が痛々しい。しかし、イェルンは気丈に振る舞った。


「肉がちょっぴり裂けただけだ。見た目よりは軽傷だよ。もう少し立ってる位置が悪かったら危なかったけどね」

「一度ブリッジに戻りましょう。手当てを受けないと」

「しかし……」

「防火扉を閉めながら戻れば、またここから捜査できます。とにかく、止血しないと」


 アディが言っていることは正論だ。ここで無理しても効率的ではない。それは分かっているのだが、焦燥が判断を鈍らせる。


「引っ張ってでも連れていきますから」

「…………」


 逸る気持ちを強引に捩じ伏せ、アディの提言を受け入れることにした。さきほど思った彼女の強さを、改めて反芻する。アディの冷静さは銃以上の武器となり得る。

 イェルンはオムニックでイーガルを呼び出した。


「俺だ。たった今、ラグティナと接触した」


 驚きがオムニック越しに伝わってきた。


「襲われて怪我をした。違う。俺がだ。アディは無事だよ。俺たちは一度ブリッジに戻る。おまえたちも戻れ。やられたが、ラグティナにも怪我を負わせた。いいや、殺しちゃいない。銃がなかったらヤバかったかもな」


 アディも自分のオムニックを開いて、二人の会話を聞いた。一度ブリッジに集合して、仕切り直す方向に話が決まった。


「詳しいことはブリッジで話すが、やつは相当素早いぞ。気をつけろよ」


 二人揃ってオムニックを閉じた。

 際どかったものの、ラグティナを格納庫へ追いやる作戦は進んでいる。


「ここまできたら、分散しないで4人まとまって行動した方がいいかも知れないな」

「そうですね。イーガルたちと合流したら提案してみましょう」


 知り尽くした船内。強力な飛び道具。利はこちらにある。あるはずなのだが、どうしても不安が拭いきれない。

 イェルンは床に点々と連なったラグティナの血液を眺めた。不吉過ぎる濃い色は、もはや精神的圧迫を強いる毒だ。まるでこれから起こる凶事を暗示しているようで、イェルンは嫌な予感を禁じ得なかった。

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