Part 7

「ところで、人の肉ってのは、あんたの肉なのかい?」

 男は歩きながら、頼子に話し掛けた。唇の端が、つり上がっていた。

「それは、わたしの小屋に行けば判るわ」

 事実を話して、二人がためらうのを頼子は恐れた。

「かなりの訳ありのようだな」


 それから、三人は黙って歩を進めた。忍び寄る闇が、次第に互いの顔を不鮮明にした。

 頼子の頭の中で、ここ数日間の窪原との出来事が、まとわり付くように去来していた。壊れてしまった関係は、もう修復の仕様がない。終わったんだ、と改めて思う。


「ここよ」

 小屋に着いて扉を開けると、男女は、その異様な部屋の光景に目を見張った。

「……生で喰うというわけじゃ、なさそうだな。人の肉というのは、そこに横たわっている男の肉かい?」

「そうよ」

「俺は、できれば女の方が良かったんだけどな」

「何言ってんのよ、あんた」女が口を開いた。

「じゃあ、やめとく? 今だったら、後戻りできるわよ」

 頼子は、さぐるように男に訊いた。


「……今晩の悪夢と引き換えなんだ。食べるさ」

「じゃあ、この体と、木の枝を中央の広場に運んでくれるかしら」

「広場に?」

「ここで燃やしたら、大火事になっちゃうわ」

「それもそうだな。判った。おい、おまえも運べ」男は女に言った。

 女は、けだるそうな表情をして、そのかぼそい腕で二十本ぐらいの枝を抱えた。


 窪原の体を、男と共に頼子は持ち上げた。胴体の方を頼子、足の方を男が抱える。二人の力をもってしても、ふらつくほどに窪原の体は重かった。

 女は、いらついた態度で枝をいったん地面に置き、小屋の扉を開ける。


 ゆっくりと、不完全な体と枝を中央の広場に運ぶ。歩き始めてすぐのところで頼子は、手を滑らして、体を落としてしまった。手が小刻みに震えていたのだ。

「おい、しっかりしてくれよ。あんたが首謀者なんだぜ」男は冷笑しながら言った。

 頼子は手を胸にあてて、気持ちを落ち着かせた。心臓の音が落ち着くと共に、手の震えも止まった。


 彼らは再び、気の重い荷物を運び始めた。窪原の体が、ほのかに温かったことに、頼子はようやく気づいた。生きているとも死んでいるともいえない体は、この島にいる者の象徴そのものであった。

 三人の荒い吐息だけが、時の流れを示すように音となって彼らの耳に届いた。


 中央の広場には、呆然としたまま腰を下ろしている者が、何人もいた。夕暮れには、よく見掛けられる景観であった。死ぬ決心がつかないまま、時を過ごしてしまった人々の群れ。この後、確実にやって来る夜の恐怖。そのやるせない気持ちを人々は、ここで共有しているのだった。


 窪原の体が、広場の中心に置かれた。抵抗する術のない彼の体が、冷たいコンクリートの上に横たわっている。

 女を見張りに残し、男と頼子は残りの木々を運んだ。作業は四度に渡った。男は少しずつ狂気を含んだ愉悦の表情に変わっていった。それとは対照的に、頼子は沈痛な面持ちになっていった。今になって、後悔が頭にもたげてきたが、もう戻ることはできない。自らが招いた運命に押し流されるように、頼子は黙って作業を続けた。

 全て運び終えると、頼子と男は汗まみれになっていた。


 すっかり陽が落ちて、あたりは暗闇に変わっている。眠気が襲ってくる時間が、迫りつつあった。

 頼子は意を決して、ワンピースの脇ポケットからスコップと、それから窪原の煙草とライターを取り出し、地面に置いた。着ていたワンピースを脱いで木々の小山に投げつける。白いシュミーズ姿になった彼女は、ライターをひろい、衣服の切れ端に火を点けた。

 小さな炎が這うように、衣服から木々へ、そして窪原の体に移っていき、大きくなった。

 窪原が、この島に来てからの努力の結晶が、枝のはぜる音とともに、燃えてゆく。


 勢い良く立ち昇る火の明かりに吸い寄せられるように、周りにいた人々が広場の中心にゆっくりと集まり始めた。

 人々は最初、燃え盛る木々に何事かと好奇の目を向けたが、その中で燃えている体を見て取ると、一様に視線を逸らした。しかし、その場を立ち去ることはせず、動向を見守っている。


 頼子は、火の小山の中で、いまだ燃えきっていない太い枝を手に持った。

 燃えている窪原の体をめがけて、彼女は思いっきりその枝を突き刺した。そのまま体を、炎の中から引き摺り出す。火の粉が、頼子の足元で舞った。

 彼女はスコップを右手に持ち、窪原の体を、激しく切り刻んだ。火の熱さを堪えて力任せに。恐ろしいほどの集中力で。骨までは断ち切れず、ぐしゃぐしゃに肉が散らばる。


 そして頼子は、自分でも意外なほど自然に、煤けた足のあたりの固まりを口に運んだ。

 肉は、まだ芯まで焼けていなかった。生温かい、どろりとした血が、頼子の口から溢れ出した。鉄と塩の味しかしなかった。

 頼子は、周りにいる人々を見渡した。

「そちらにいる、みなさんも、どうぞ。なかなかいけるわよ。太ももや腕の方だったら、ほど良く焼けていると思います」

 そう言われたものの、人々は身じろぎひとつしなかった。


 頼子の迫力に押されて、男は蒼ざめ、その場に立ちすくんでしまっていた。

 しかし連れの女は、まるで自動人形のように、ぎごちない動きながら、黒焦げになった太ももの部分を素手でつかんで、引きちぎった。こわごわ窪原の肉を口にする。彼女は、肉の歯ごたえに、身震いした。

 頼子は満足げに笑みを浮かべた。


 男は、女の反応に我に返ったのか、女が手にしていた肉を奪って食べた。

「う、うめえ。久しぶりな気がする」男は唸った。

 三人は、次々に黒焦げの肉を引きちぎり、美味そうにほおばる。その様子に周りの人々は、あっけにとられたが、やがて少しずつ雰囲気が変わってきた。

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