第20話 波国の海波王

 風を読む国――国。


 よう国が統一する目前の戦乱の時代、波国はそのむかし海賊上がりの豪族だった。そのため長い間、海商人たちに恐れられていた。海戦が得意だった波国は小さな島々を掌握して大きくなったが、侵攻する燿国が大国だと知ると、一転、燿国と同盟を結び、進んで水先案内人となり、周辺諸国を侵略し統一に導いた長年の友好国。そのため、幾度も波国の公主ひめは妃として召されていた。


 海波王はずっと種を撒いてきた。野心がなかったといえば嘘になる、時は満ちた。波国は燿国を空洞化することに成功したのだ。雲雕うんちょう帝は反感を買うほどの無能ではないが、切れ者でもない――隙があるのだ。皇子を抹殺しきれない甘さが命取りになるとも知らず……。


 波国が反旗を翻すにはそれ相応の大義名分が必要だ。廃太子になり流罪となったお飾り皇帝を据え置き、燿国を我が国にするのだ――。



 ***



 天籟と月鈴ユーリンは鳳凰宮から月樹げつじゅ宮に移った。来儀皇太子の住まう東宮は白亜で金色の豪華絢爛な宮だが、月樹宮は木の素材を生かした地味な古い建物だった。月鈴はけっこう気に入っている。移った早々、お掃除をはじめた。すると詩夏シーシは慌ててさえぎる。


月福晋ゆえふじん、まだ宮女の癖が抜けませんね。あなた様は、何もしなくてよいのです」

「へ? それは無理よ~」

「あと、そろそろ、言葉遣いは直していただきたいです」

「ひえー」

「……」

 詩夏、ため息と冷ややかな視線を送る。


「ふっ……。山奥育ちの月鈴に急には無理だろう。大目に見てやってくれ」

 低く通った声音。サラサラとゆれる美しい黒髪。切れ長の瞳で優美な男が後ろから声をかけると、月鈴の肩に軽く手をおいた。

「⁉」

 

「ちょっと……この手はなに?」

 月鈴は目をつり上げ詰め寄るが、天籟は人差し指を口元にもっていく。

「静かに――。詩夏の前ではよき夫婦を演じてくれ。怪しまれるだろ」

 耳元でささやくが、不敵な笑みで月鈴を見る。

「ぐっ……」


(もう。夫婦ごっこをしてわたしをからかっているんだわ)


「まあ、仲がよろしくていらっしゃる♡」

 詩夏はもう吹っ切れたので、ふたりを微笑ましく見守っていた。




 薄闇が夜に変わる。詩夏がはりきって、いつもより朱色の提灯に御簾、甘ったるい香炉を焚かれ、同じく五人ぐらい寝られそうな天蓋付き寝台に天籟と月鈴は焦る。


「ちょっと、どうしてあなたと同じところで寝るの?」

 眉をひそめ月鈴は口をとがらす。

「月鈴、声が大きいぞ、仕方ないだろう。帝や皇太子以外の皇子に予算は回せない。……とろでその恰好でオレを誘っているのかい。ホレこれを羽織れ、目のやり場に困る」

「ありがとうございます……。って、そんなこと言ったって、詩夏シーシが着せるんだもの。ちょっと近い。これ以上無理!」


 月鈴はドーンと、巨大な熊猫人形パンダのぬいるみを寝台の真ん中に置いた。

「はぁ、なんだこれ、どこから持ってきた? それより無理って何だよ。オレ皇子。不敬だって!」

「関係ない。これより熊猫パンダを超えて侵入したらあなたを朝イチで飛龍フェイロンに襲わせる!」

「物騒だな。オレたち夫婦なのに、か?」

「かりそめの夫婦でしょう。そこに愛がないじゃない」


「――あったらいいのか?」

「えっ……?」

 髪を下ろし真顔になって月鈴を見つめる天籟に一瞬、ドキッとした。女より色気のある天籟になんと言っていいかわからず困惑の表情を浮かべると、

「いい、なんでもない。オレはもう寝る――おやすみ」

 拗ねたように天籟はプイと向こうをむき横になる。巨大熊猫人形パンダのぬいるみから姿が見えなくなった。

「……」




(暗闇は……嫌いだ。ああ……今日も眠れない。寝たら常闇に連れていかれる)


 燭台の明りがついたての隙間から薄っすら見える。天籟は常に命を狙われているので武官や捧日ほうじつが控えていても熟睡できないたちだった。



「……とうさん……かあさん……死なないで……」


 悲しげでか細い声が暗闇から聞こえた。

 天籟は上半身を起こし、巨大熊猫人形パンダのぬいるみの上からそっと覗くと泣きながら苦しそうに月鈴は寝言を言っていた。


(そうか、月鈴の両親はすでに亡くなっているのだな……)


 ……いい人であろうとなかろうと、死は平等だ。たしか捧日の話では、両親は疫病でいっぺんに亡くなったとか……。森林伐採による土砂くずれや作物の不作。隠ノ領の自然資源の乱用がなければ月鈴は後宮ここに来ることもなかっただろう。領主の娘だから、今ごろ隠ノ領で浩宇ハオユーとか、幼なじみの誰かと結婚して自然の中で鷹と共に生きていくはずだった……。


 そっと、月鈴の頭をなでる。落ち着いたのか寝息が静かになった。子どものように無防備な寝顔を見ていたら、温かい気持ちになって、たまらずもう一度ふれてみる。心がほぐれたような気がした。天籟は久しぶりにあくびをして目を瞑った。


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