第4話 オニキス曰く

 これを聞いてしまうのは失礼であろうが、聞かずにはいられない。「オニキスさん、つかぬことをお聞きしますが、あなたはもしかして元は執事ではないのでありませんか?あなたの所作は洗練されていて、確かに執事然とはしていますが、むしろ人の上に立つ高貴な立場のようです」

 上目使いでオニキスを見つめるも、その瞳からは一切の感情の揺らぎは見られない。


 「作法という意味では、本来あなたの言葉に答えることはできません。しかし、今は王宮から遥か遠い、魔族との国境にある土地に封じられていて、質問の主であるあなたは外部。年寄りの戯言だと聞き流してください。」

 オニキスは目をつぶり、ジンジャーから目線を外して少し窓の方に体を向けた。

 「王妃は公爵家の出で、広大な領地と豊かな資源と産業、それに人材に恵まれた所領を治めるオニキス家の宝でした。私の娘です。」

 ジンジャーは息を飲み「つまりオニキスさん、いえオニキス様あなたは、公爵様でしたか。そうとは知らず非礼を御許し下さいませ。」

 深々と頭を下げた。オニキスの膝ほどの背丈のジンジャーが頭を下げるとオニキスからは茶トラの可愛らしい背中しか見えない。

 「頭をあげて下さい。生憎今の私はしがない執事ですので、主人のご友人に頭を下げられては身の置き場がありませぬ。」


 ジンジャーは頭を上げ、

 「分かりました。あの、重ね重ねの失礼ですが、オニキス様・・・さんが執事になった経緯、子細もお教えいただきたく・・・」

 唇の上の髭を撫でながら、「そうですね、ここまで話したら隠したってそう変わらないでしょう。ジンジャー様が話すとは思えませんし、仮に実行してもホラを吹く猫として見世物小屋に送られる可能性もなきにしもあらずですね。」


 ぞっとした。この執事、公爵として海千山千の曲者と渡り合ってきただけに老獪で食えないな。あまり不興を買うのは自分の立場を危うくする。答えてくれる部分だけで我慢して、あとは時間をかけて情報を引き出そうか。



そんな目の前の猫があれこれ思案している様子を、表情が一切読み取れないアルカイックスマイルで見守っていたオニキスは、すぅと一呼吸置いてから話始めた。


 王妃、つまり私の娘は、7歳で王子と婚約しました。家格が釣り合い、婚約しても差し障りのない王宮では中立を貫く我が家に白羽の矢が立ちました。1、2歳しか離れていない年の近い二人は、天真爛漫で野山を駆け回る王子と、お転婆で気は弱いですが一度言い出したら聞かない頑固な娘は、凸凹だからこそたちまち仲良くなりました。

 幼いながら王子としての自覚を持ち、周囲からの期待も承知していた王子は、元気な振る舞いの内に、不安や不満を隠していました。政治や諸国の情勢、帝王学など日々勉強し、唯一子供らしくいられるのは娘と会うために当家に訪問した時のみのようで、護衛やお供の方が王子を驚いた目で見ていたことが強く印象に残っていました。

 娘は娘で、きっと自分は王家か同じ公爵家か他国の王家に嫁ぐであろう自覚を持って、文句も言わず花嫁修行に勤しんでいました。揚げ足取りの社交界で隙を見せぬよう、礼儀作法、皮肉や嫌みにユーモアで返す才知を備えた、それは素晴らしいどこへ出しても恥ずかしくない娘に成長しました。高慢な娘になりそうなものですが、病弱故にメイドなど多くの使用人にかなり世話になっていたため、彼らの苦労や気遣いを理解しようとする思いやりや謙虚さも培えました。

 社交界でも性格よし、令嬢同士の諍いには調停役を申し出たり、仲裁したりと、公爵令嬢の立場を生かし多くの立場の弱い者を守りました。そのため、娘を表だって悪く言う者は無く、あってもその者が周囲から白い目を向けられる、といった具合でした。あの恥知らずな側妃以外は。


 侯爵家である自分が王妃になるのだと言って憚らず、娘に度々絡んでいました。立場が下のものから上のものに話かけてはいけないと承知しているはずなのに。あの侯爵家は昔から悪評がありました。奢侈を尽くして領民を締め付け、あまりの年貢の取り立てに逃げ出す者も多く、捕まえては理由をつけて凌虐を繰り返してきたのです。親は娘を甘やかし、諌めるものあらば謎の死をとげたり、娘がならず者に襲われたりとあそこの領地は有名な伏魔殿と呼ばれております。

 王になった王子と娘が婚姻した後、それは二人とも仲睦まじく、周囲もそんな二人を見ているだけで幸せになったものです。ジェイド様が生まれた時は国中でお祝いをし、国民も将来安泰だと、親よりも王子の誕生を喜び、王宮のものは驚きました。

 ジェイド様が生まれてまもなく、娘が体調を崩しました。元々病弱で、体力をつけるために剣を振るったり格闘技を修めたりしましたが、さすがに出産は体力を大きく削ったようで、高熱を出して何日も寝込み、おろおろと周囲も王も戸惑い憔悴しました。

 待ってましたと側妃とその親、王と敵対する派閥の者が、側妃を設けるよう打診しに王宮に来たのです。今国母が床に伏せた状態で何を言うのかと周囲は批難し、側妃らを帰そうとしました。

 同じ頃、赤ん坊であるジェイド様まで高熱を出してしまいました。王宮の医師に見せると、どうやら毒であるらしいが、解毒方法を知らな謎の毒らしく、医師も私たちも側妃らを疑いました。予想通りで、厚かましくも王に

 「自分を側妃にしなければこのまま王子を殺す。侯爵家に代々伝わる秘伝の毒であり、解毒方法は我が家しか知らない。王妃も要求を飲まねば、分かっているな?」


 妻と息子を助けたい王は、苦渋の決断をし、条件付きで

「側妃には召し上げる。ただし、子供を生んだら一切関わらない」

と証文を作成した上で側妃を持ちました。愛する妻を救うため、あの女狐の閨に足を運んで・・・。あの女が孕んでからは一切触れていませんが、まず私に王は頭を垂れました。王が家臣に頭を下げるなどいけませんと諌めましたが、娘さんを事情があったとはいえ裏切りました。まずはそのお父上であるオニキス公爵に謝罪するのは道理。御許しいただく必要はございませんが、娘さんを傷つけた非礼を詫びさせて下さい。


 どんなに頭を上げてと促しても聞き入られませんでした。では一緒に娘の元へ事情を説明しに行きましょうと、彼女の寝室へ王を引きずって行きました。花や菓子のでも持ってお茶を飲みながらのんびり話しましょうとね。

 寝台から上体を起こした娘は青い顔をしていました。王が何か言う前に、

「この度は私が病弱なばかりに、心配させましたね」

 微笑みました。

 「臥せっていても、話は聞こえてきます。王があまりに可哀想だと、あなたを責めるのではなく同情する声がとても多く、私たちは本当に人に恵まれたと感謝の気持ちで一杯です。私があなたの立場でもそうするでしょうから、野良犬に噛まれたと思うことにしませんか?」

 王はその言葉に泣き崩れ、より娘を深く愛するようになったそう。元々仲睦まじい王と王妃であったのに、障害を乗り越え絆が強まり、お互いを思いやる様は他国にもおしどり夫婦として有名になりました。

 そこでますます癇癪を起こしたのは側妃。王を略奪すべく王宮に突撃したはいいが、誰も側妃を歓迎などしない。下働きの癖に!と虐めたり八つ当たりするのは日常茶飯事、兵士を誘惑して襲われたと被害を訴えて家を没落させたり、側妃が気に入らない領主が治める領地に魔物が跋扈するようになったりとか、奴が来てから厄災の嵐に見舞われるようになりました。

 側妃が男児を出産するとさらに加速して周囲の者を見下し、自分は王妃なのだからと、王妃が健在なのに王妃だと振る舞いました。面従腹背で周囲のものはハイハイと持ち上げますが、実際はあまりの愚かさに憐れんでさえいました。一人だけが盛り上がっている言わばピエロ。

 早くこの側妃がのさばる悪夢の日々が終わってくれと願っていたら、二年後、娘が病死しました。この病死というのも疑問で、王宮の医師は気骨のある人物で有名であったのに、側妃が喜びそうな死因を告げるとは。周囲も口にこそ出さないものの、おかしいと話題にしていました。いつもは意思の強いキリッとした表情の頑固な医師なのに、死因を告げた辺りは頬が痩け、青白いよりも土気色をしたミイラのように変貌していました。とある筋に調査を頼むと、やはり医師の家族や親しい人を害すると脅されていたようでした。

 側妃お得意の毒殺が真相だと思っています。医師はその後も勤めていますが、一度王宮を去ろうとするも、自分で命を絶ったりして王妃の死に疑問が持たれるようならと脅したらしい。今も王宮の医師として勤めていますが、側妃や側妃派に監視されている、いわば彼も常に命を狙われているがんじがらめな状態です。

 それが5年前の話です。ジェイド様は親の顔を憶えていないかもしれません。王妃が亡くなってから、王もすぐ病に伏せました。側妃は、いけしゃあしゃあと

「王子が命を狙われている、守るために安全な場所にて静養させる」

などと諸悪の根元がのたまい、魔族が治める国との境に隣接したこの屋敷に送ったのです。私には国家反逆罪など謂れのない罪状をこさえ、領地は没収、お家断絶されました。ジェイド様の執事をするならと、命だけはとらないと温情をかけてくださったようで、今ジンジャー様の目の前にいるのは公爵家ではなくただのオニキス家の爺なのです。


 この屋敷もまたかつて没落して放置されていた屋敷で、魔族の他に周囲の森にはエルフなど多種族が住みます。もちろん魔物も頻出するので、あわよくば襲われろというのが向こうの腹でしょうね。

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