第8話 喜志芸祭とオムライス8

 話しながら、頭の片隅で思い出す。無事に合格して今年の春、文芸学科の入学説明会に参加した日を。

 念願の大学に入れたことに心躍らせながら、わたしは指定された座席に座って、その前の机に置かれた書類に目を通していた。文芸学科のみんなは落ち着いた雰囲気の人たちばかりで、四年間なんとかやっていけそうだなってほっとした。すると、隣の席に誰かが座った。挨拶しよう! とそう思って横を見た。

 生きてきて初めて人を美しいと思った。亜麻色の長い巻き髪は窓から入る太陽光に照らされ輝いていて、資料に目を落とすと、長い睫毛が際立つ。鼻が高く、薄い唇は程よく艶めいている。スーツに身を包み、ネクタイを人差し指で少し緩める動作にドキッとして、何も言わず、彼から視線を外した。

 説明会が始まってからも、ちらりちらりと隣の彼を見てしまう。彼はずっと頬杖をついて、窓の外を見ていた。その姿さえ画になっていた。でも、どこか寂しそうだった。もしかしたら、この喜志芸が本命の大学じゃなくて、嫌々入学したのかもしれない……。

 この人といつかお話したいなと思った。笑っている姿をみたかった。それが君彦くんと初めて会った日のこと。あの日から、わたしはずっと君彦くんが好き。


「君彦くんが教室に忘れたペンケースを渡した時、はじめて顔を見ながら彼とお話ししました。一言二言でしたが、わたしにとってはとても大きな出来事で。かっこよくて、どんなことを考えている方なのか知りたくなりました」

 知りたくて、近づきたくて。マスメディアについて学ぶ『マスコミの世界』の授業で、グループを作って新聞を作成する課題が出た時、今しかないと思った。勇気だして、誘うため声をかけた。最初断られて、諦めるつもりだった。けど、次のチャンスなんてない気がした。だから食堂までついていって、もう一度と……。

「課題制作をしたり、共通のお友達を交えて食事して、徐々に仲良くなれました。一歩一歩距離を縮められたことがどれだけ嬉しかったか。ますます大切で大きな存在になっていきました」

 最初は緊張して、空回りしてるって思うことばかりだった。話しかけても、一言で終わるし。笑いながら心折れそうな日もあった。でも、君彦くんのこと、不思議なことに嫌いにはならなかったんだよね。彼のそばにいられるだけで、少しずつ気持ちが満たされて、やっぱり好きだという気持ちが勝った。

 文章のことでダメ出しされて泣いてた時にわざわざわたしを探して励ましてくれたこと。ゲリラ豪雨に見舞われた時、傘を持ってないわたしを傘に入れてくれて、濡れないように抱き寄せてくれたこと。君彦くんのやさしさに触れてもっともっと好きになった。

「お母様の言う通り、この先、たくさんの方と出会うと思います。君彦くんもきっと。でも、わたしは君彦くんが伸ばしてくれた手を二度と離したくないんです。初めて『好きだ』と思った、気持ちが伝わった人だからじゃない。君彦くんとは言葉だけじゃなくて、心の奥からつながりをもっていけると、そのつながりを大事にしてくれる優しさを持っている方だと思ったからです」

 十八歳の今、こんなにも大切にしたいと思える相手に出会えたわたしはどんなに幸せ者なんだろう。君彦くんとこの先の未来を見たいし、このまま笑っていたい。そう強く思っている。


 お母様は特に表情を変えず、わたしをじっと見ている。

「なので、えっと……」

 君彦くんがそっとわたしの手の甲に手を添えた。

「これで母さんは納得したか? 俺は何を言われようとも……」

「別に交際反対なんて一ミリも思ってないわよ。だけど」

 髪をふわっとかきあげた。パールのピアスが光る。

「あんなに人との交流を避けてきた君彦をここまで虜にするなんて、どんな魔性の子なのかしらって」

「ま、魔性……!」

 生まれてこの方、言われたこともない言葉だ! よく言われるのは「ぽやぽやしてる」とか「ぼーっとしてそう」とかそんな感じだったから。わたしのどこが一体魔性……?

「それでは真綾が悪女のような言い方だな」

「怒らないで。あなたからお付き合いを始めた人がいるという話を聞いた時は、よ」

 長い脚を組んで膝の上に頬杖をつく。そしてわたしと目が合うと、微笑んだ。

「君彦は長年ほとんど外出せずに家の中で生きてきたから、ちゃんと大学に通えるか、同級生の子たちと仲良くできるのか、心配しかなかった。それなのに、突然彼女が出来ただなんて、騙されてるんじゃないかと思ったのよ。君彦は端正な顔立ちで、背も高くてカッコいいでしょ。母親として変な虫がつくのはやっぱり嫌だったし。でも、こんなにかわいくて、真剣に君彦のことを想ってくれているなら、安心したわ」

「うふふ」と笑う表情には自信に満ち溢れてて、カッコいいなぁと見惚れてしまう。にしても、悪い印象はないみたいでよかった……。乾いた口内を紅茶で潤す。

「はぁ~、ずっと気を張ってたからお腹が空いちゃったわ」

「ご飯食べたのは飛行機の中だったからね。今からレストランでも……」

 お父様が胸元のポケットからスマホを取り出そうとすると、お母様が手で止める。

「そうだ真綾さん、なにか料理作ってくれない?」

「えっ!」

「あなたのお料理がたいへん美味しいって君彦や芝田から聞いたから」

「母さん、そんな突然」

「そうだよ、美子。ご迷惑だろう」

 君彦くんとお父様が止めてくれたが、わたしは勢いよく立ち上がって、胸に手を当てた。

「な、なんとかします!」

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