カエルくんのお手紙

拝啓、敬愛するボスへ


「んあーっ、書けない!!」


便箋の一行目、頭語で筆が止まり、しばらく頭を悩ませたが、どれから書き始めたらいいのかと、溢れ出す感情でこんがらがってきた。そのうち、こんな本音の弱音を詰め込んだ手紙をあの人に送ることが、申し訳なくて、情けなくって、惨めったらしくて、泣けてきそうだった。そんな自分に、ジリジリと胸の中を焦がすようにイラついてきて、勢いとヤケに任せて、筆を走らせた。あとで燃やせばいいと思いながら────


僕は、人間を殺せません。

貴方のご期待に応えられずに、申し訳ございません。

僕は人間の死を見て、ただひたすらに怖気付きました。

今でも悪夢として、毎夜あの光景がフラッシュバックしてきます。精神と肉体が引き裂かれるように痛むのです。

人間嫌悪も人生嫌悪も、貴方の人選ですから、充足しているようですが、殺傷能力が僕には不足しておりました。

この仕事における僕の欠点としては、自傷行為を好んで行うので、他害行為がその裏側に隠れてしまうことです。他害による自傷も熟考しましたが、気に触れてしまうのが、僕自身を失うのが、情けない話、恐ろしいのです。無知な故に、殺傷による精神的ストレスに適応できるとは思えないのです。

僕は、僕の人生で背負った十字架に、押し潰されて、死んでしまいます。

ごめんなさい。


────文字が歪む、滲む、噤む。


敬具、意の中のリアより


「あはは、汚っ!」


黒い苦虫を噛み潰してできた墨液で、くずし字よりも崩れたクズの字。解読不可能。室内で雨が降っては字が、自我、ゆらゆら、柔らかくなる。眩暈がするほど脳内が回って、360°、10°、重度、自由度、多く回りすぎちゃって、三半規管が機能せずに酔っちゃった。でも何も変わってないよ、あの便箋をこのドアの足元の隙間に投函したこと以外は。



……酔いが覚めた。大きなホール階段の一番下の段に三角座りで座っていると、ピエロの僕よりも愉快げなあの人に、容赦なく隣りに座られた。


「ふふっ、どうしたんだい?」


「どうもしてないですよ」


何事も無いような平気な顔してヘラヘラと、ボスに合わせて僕は笑ってみせる。すると、彼は不貞腐れたような、悲しそうな顔をして、僕から目線を外す。


「君は、いつも何かを私から隠しているようだね。何を隠しているの?」


「何もないですよ、隠したことないです」


「本当に?一度もかい?」


驚いた顔は、もはやジョークを言うように、この茶番に付き合い、笑っているようだった。


「はい、一度も」


「リア、私ね、お手紙を読んだんだ、悲しくなる手紙だった。私のせいで誰かを苦しめているようなんだ」


貴方は琴線みたいなワイヤーを罠のように張り詰めて、僕がそこに足をひっかけるのを待ち望んでいる。僕の琴線に触れるために。


「誰か、って?」


「そりゃあ、誰かさ」


「匿名だったんですか?」


「うーん、文字が滲んでて読めなかったんだよ」


「そうですか、その苦しんでいる誰かに心当たりはありませんか?」


「あるよ。けれども、星の数ほどいるからさ」


「不思議です」


貴方に星の数ほど苦しめている誰かさん達がいるなんて。


「何が?」


「なんでもないです」


「隠さないでよ」


「いや、隠すつもりはないんですが、うまく言えなくて」


僕が足元をただ見つめていると、ボスは多元的に物事を捉えていて、多角的に罠を仕掛けてくるようだった。


「そっか。似合っているね、そのメイク。ピエロかい?」


「はい、キューさんにしてもらいました」


「可愛いね」


なんて思ってもいないようなお世辞は何の役に立つのやら、僕には到底先読みできないが、もうそんなことを考えるのもめんどくさくなって、腹を割って僕の方から自首するように暴露した。


「僕、お手紙を出したんですよ。お返事を待っている時間が、こんなにも僕を不幸せな気持ちにさせるとは思いませんでした」


震えそうになる声を笑い声とかき混ぜて、思ってもいないような誤魔化し誤魔化しの本音の言葉。


「返ってこないの?」


「だから、僕の心はからっぽのままなんですよ」


「誰のせい?」


「その誰かです」


「……そっか、ごめんね」


付け上がって、滑らせた口で、ついつい誰かを傷付ける。後悔先に立たずとは、よく言えたもので、その苦しそうで悲しそうな顔を見ると、さっきまで傲慢に張っていた胸がキリキリと痛む。


「何ですか?」


「嘘を付いた。君からの手紙、とても嬉しかったよ」


嘘みたいな言葉。やっぱり僕には貴方のことはよく分からない。分からなくなって、一つ一つをゆっくりと確認するように問い詰めていった。


「何故、嘘なんか付くんですか?何故、嬉しかったんですか?何故、何故……」


「ふふっ、何でだろうね?私も私のことがよく分からないんだ。けれど、絶対に分かることが一つだけあるとすれば、私は君のことがかなり好きだよ」


全身に鳥肌が立った。恐怖なのか驚喜なのか僕にもよく分からないけど、とにかく鳥肌が立った。


お手紙のお返事として、


リア、仕事なんかしなくていい。


というメモ書きのようなものを貰った。あの人は何故か楽しそうだった。

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