舞台裏

「リア、お前は帰りな。鉄臭くて敵わんから」


ルゼさんに冗談を装った、真剣味を帯びた意見を告げられ、嫌がられた。血飛沫を浴びた僕は、かなりやけくそになっていて、このまま買い物でも何でも狂ったように楽しんでやろう、と躍起になっていたところだった。人間なんて何もかもどうでもいい。でも、心と身体は相反していて、どうも身体が錆び付いている。


「……分かりました」


唇を少し尖らせてもどうしようもないので、スマホを取り出して、手を入れて、恐怖が拭えきれていない移動手段にちょっぴり戸惑いながらも、悪魔界にある屋敷の玄関の大きめの姿見から、その縁につまづくように飛び出した。すべて終わったというのに、まだ鼓動がうるさい。


「リア、お帰り」


「ボス、ただいまです」


玄関ロビーに広がるふたつの階段、そこを革靴をコツコツと鳴らしながら、ボスが降りてきて、僕の前で立ち止まる。その後に続いて、長髪で美形の男性も僕の前に立った。長身の二人の人間(?)に、帰ってきて早々、目の前に立たれて、その迫力に、僕は気圧されてしまった。


「かなり真っ赤だね。何があったんだい?」


微笑みながら、物腰柔らかにボスは、僕の身なりを見て、僕から発せられる言葉を期待しているようだ。その隣りに立っている長髪で美形の彼は、そのボスの顔色を窺うように、ボスの横顔を、僕が話し始めるまで、ただ見つめていた。


「……車の水はね、泥はねのように、血はねしたんですよ。何か、こう、ぐちゃって、ぶしゅっと」


記憶に鮮明に刻まれたトラウマレベルのグロテスクを反芻して、酔っちゃって分からなくなって、とりあえず、この脳内逡巡を終わりにしたかったので、擬音と身振り手振りしか使えない、原始レベルの返答をした。けれども、ボスの理解力が悪魔的に高いため、奇跡的に伝達できた。


「死体が転がっていたの?」


「そうです、それです。死体が横たわってました。暴走した車がぶーんって僕の目の前を走って、それで、撥ねられた人間の一部が……」


擬音にもできやしない、不気味なサウンドが脳内に響き渡る。骨と肉が剥がされるような、ねっとりとしていて、それでいて、僕の耳裏を蛆虫が這いずり回るような、耳を切り落としたくなるほどの不快感。記憶を甦らせるだけで、唇が紫になるくらい寒気がした。


「大丈夫かい?リア」


貴方が僕のトラウマの脳内再生ボタンを押したのに、そんなことになっているとは露知らず、僕に心配そうな顔を拝ませる貴方は、かなりタチが悪いと思った。そして、「大丈夫?」というフレーズを使うのもタチが悪い。


「大丈夫じゃないです」


と苦笑いしたまま、表情がそこで固定される。


「リア、ルゼは?」


ボスの隣にいる彼は、この話題を変えたいのか、僕の変えたいという思いが彼に伝わったのか、そういえば、というように聞いてきた。


「何かキューさんにお土産を買ってから帰るって言ってました」


「へえ」


そう彼は言うと、にやけた。聞いてきた割に無関心そうな素っ気ない返事とは裏腹に、表情が何処か明るくなっている。


「リア、ごめんね。引き止めちゃって。疲れてるよね。ゆっくり休んでいいよ。お疲れ様」


僕に気を遣っているのが一目瞭然なくらい、ボスは当たり障りのないようにと努めてくれる。お互いに距離感が掴めていなくて、まだボスの耳には「大丈夫じゃない」という冗談交じりの僕の言葉が留まっているみたいだ。吐き出したことを後悔している。酸素をも吐き出してしまったみたいだ、息が苦しくなった。

「失礼します」と足早にその場から逃げるように立ち去った。「じゃあね」という軽々しい声。


「でもルゼってばぁ、センスがまっっったくないんですよぉ。まぁ、それも楽しみの一つなんですけどね」


なんて楽しげな会話が背後から薄らと聞こえてきたが、もう聞こえないふりをして、聞かないようにするために、自室のドアを閉める。空気が押し出されて、ちょっとだけ密閉されて、酸素の量は何処も一定だけれど、ここだけは息がしやすかった。

その場に座り込んだ。やっとまともに呼吸ができて、自分が鉄臭いと初めて感じる。自分の血液ならば、愛せるだろうが、他人の血液は、気味悪かった。


「リア、ちょっといいかい?そのままで聞いてくれて構わないよ。晩御飯を持ってきたんだ。リアが食べやすいようにお粥にしてきたのだけれども……。一応、ここに置いておくよ。それで、こんなことを聞くのは不躾で無神経かもしれないが。リア、人間が死ぬのを見て、率直な感想、どうだった?……ああ、答えたくなかったら答えなくていい。でも、いつかは聞かせて欲しいとは思っている。………ごめんね、私の我儘だね。もう一つ、我儘を言わせてもらうと、あとほんの少しだけ、ここにいさせてもらっていいかな?」


何だよ、それ。僕に許可を求めるの?一方的に話しかけてきて、最終的には僕に問いかけてくるの?「ダメ」って言えばいなくなってくれるの?ただ貴方が僕に何かしてあげているという事実が好きなんじゃないの?ダメだダメだ、こんなにも優しいボスのことまで、僕の荒んで穢れた歪んだ心では悪く言えてしまう。

部屋に入ってから床に寝転んで、五時間ほど手に持っていたスマホで、サタさんにチャットを打ち込んだ。


「ボスって何であんなに優しいんですか?」


ピコン、と即レス。


「そう思うんなら自分で探ってみれば?俺はあの人を優しいとは思わないけど」


「えー?優しいじゃないですかぁ」


なんて能天気に思ったままに返信すると、今度は数秒後にレスポンスがあった。


「リアは悪魔を何だと思ってるの?」


「……ごめんなさい」


気軽にチャットができる悪魔ができたと思ったのに、瞬く間に否定された。人間とも悪魔ともまともにそれなりの会話ができない自分の無能さに、嫌気がさして、発狂した。


「怖い、怖い怖い怖い、気持ち悪い!!!」


僕の過去の言動、現在の状態、全てが気持ち悪い。自己否定してもしきれないほど気持ち悪いから、未来を絶ちたかった。なのに、


「リア、大丈夫だよ」


とボスは横向きに寝っ転がった僕の尖った心を均すように、上向いた右肩をなだめるように撫でた。開き戸は反対側に開かれていて、蝶番が壊されていた。死にたい。

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