六話 新婚狩人生活

 無事に結婚した私とセルミアーネは、セルミアーネのお母様が遺してくれたという邸宅で新婚生活をスタートした。


 家があるのは帝都の下級貴族の屋敷が立ち並ぶ一角で、家の大きさ的には下級貴族のお屋敷として普通くらいだった。くすんだ桃色の外壁と、茶色い屋根の可愛らしい建物で、いかにも女性的だった。庭は広く、そこそこ手入れはされていた。ただ、執事一人では行き届かないらしく、手を入れればもっと良くなりそうだ。庭師の娘の血が騒ぐわね。


 執事と侍女はもう50歳を超えている老夫妻で、セルミアーネのお母様にずっと仕えていた方だそうだ。お母様の亡き後もこの家を守り、セルミアーネが結婚したら使えるようにと維持してきたのだそうだ。なのでセルミアーネの結婚を喜び私を大歓迎してくれた。執事はハマル。侍女はケーメラという名前である。


 さて、新婚ホヤホヤの私達夫婦には目下、のっぴきならない悩みがあった。・・・金欠である。


「どうしたものかな」


 セルミアーネが家計簿を見ながら溜め息を吐いた。私も見たが、エミリアン家の財政状況は確かにちょっと芳しく無かった。


 理由は単純に使い過ぎである。結婚のために使い過ぎたのだ。


 セルミアーネは私を嫁にするためにかなり無理をしていた。まず、求婚の為に侯爵家を訪れる度に持参した手土産。花や茶菓子などだが、侯爵家に持ち込むのだから安物では済まなかった。これを毎日のようにだ。


 私を迎えに行く為の旅費もかなりの金額が必要だった。糧食の準備や宿代もそうだが、各領地の境にある関所に払う通過料が何しろ高い。それが往復だ。帰りに野宿をしたのは私の好みに合わせたのもあるが、旅費の節約の意味もあったらしい。


 いよいよ結婚式となれば、結婚式の費用は新郎が全額負担が当たり前である。故に騎士のセルミアーネに合わせた挙式となったわけだが、それでもギリギリ侯爵家が列席しても恥ずかしく無いくらいの高いランクの式を準備したらしい。呼んだ司祭も準最高司祭だった。


 そして披露宴。披露宴は新婦である私の実家持ちだが、飾り付ける花や装飾は慣例として新郎が持ち込む。これも侯爵家の格に合わせたから安物という訳にはいかなかった。


 最後に新居の準備。邸宅自体はハマルとケーメラが住み込んで手入れをしていたから良いのだが、私が入居するにあたって私の私室を整備した分に結構掛かったらしい。タンスや鏡台などはセルミアーネのお母様が使っていたというものを頂いたが、テーブルや椅子は購入し、カーテンやカーペットは新調したそうだ。後は夫婦の寝室にあるあの大きなベッドは新たに購入し、合わせて布団やシーツ類も新調したのだという。


 そんな感じで掛かった費用はまだ若い騎士であるセルミアーネの懐具合ではかなり苦しい額になったのである。


 セルミアーネのお母様はかなりの資産を遺してくれていたし、セルミアーネは給金をこれまで貯金して、任務で貰った報奨金も貯めていたそうだが、それも今回の結婚関係でかなり使ってしまった。そしてこれからは生活費が二人分必要だし、邸宅の維持費はいるし、ハマルとケーメラのお給料も払わなければならない。とても騎士の給料ではやっていけないのだった。


 私は故郷で稼いで貯めていたお金が少しあるし、実家から持参金も多少持ってきてはいるから、それを家計の足しにすればすぐに困るということはなかろうが。それにしても収入より支出が多いという状態では早晩行き詰まるだろう。


 ハマルとケーメラは「私たちにお給金など必要ありません」というが、そういうわけにもいかない。かと言ってもう何十年もこの邸宅を守ってきた二人に今更暇を出すわけにもいかない。故に贅沢だと思っても二人を雇い続けるしかないのだ。


 セルミアーネは悩んでいたが「まぁ、私が頑張って出世して、稼げば良いだけだ」と言った。まぁ、それが常道ではある。私はセルミアーネの強さなら戦争がある度に手柄を立てるだろうと信じられるくらいには彼の事を信頼していたが、問題はそこではない。私は言った。


「簡単な事よ」


 セルミアーネは目を丸くした。


「何が?」


「お金がなければ稼げば良いのよ」


「誰が?」


「私がよ」


 そう。どうしてセルミアーネの考えた家計に私の稼ぎが含まれていないのか。旦那の稼ぎでは家計に足りないなど平民なら普通の事だ。夫婦揃って一生懸命働いて家計をやりくりするのが当たり前なのだ。


 セルミアーネの稼ぎで足りないなら私が稼げば良いだけだ。私はいくつもお金になる技能を持っている。そして手っ取り早く稼ぐなら、まぁ、あれしかない。


 セルミアーネは奥さんを働かせるという発想がやはり全然無かったらしく、目を白黒させていたが、私はすぐさま決断し、次の日には帝都の狩人協会と毛皮販売協会へ出向いて免状を購入してきた。


 家で利用する分くらいの狩りにはいらない免状だが、私はガッツリ仕事にするつもりだったから購入した。この免状は結構な値段がするため「結構狩らないと元は取れないぞ」と協会の人には脅された。私は構わずその人に帝都の森のローカルルールを事細かに聞いた。罠を掛ける時の目印のやり方や水場の利用法、禁猟の動物の種類など。これを聞いておかないとどこの森でもトラブルの元になる。


 そして家に帰ると、侯爵領から届いていた私物を開梱し狩猟用具を取り出した。使い込まれた愛用の道具だ。その日は用具を手入れして、次の日の朝早く、私は意気揚々と帝都の森に騎馬で出発した。足元は革のブーツ、スパッツに革のジャケット、狩人帽の本格仕様だ。弓矢、山刀、短槍、手裏剣。ロープ各種幾つかの罠と初めての場所だから過剰な装備を持ち込んだ。


 そしてその日、私はイノシシ一頭、穴熊一頭、ウサギ三匹を仕留めた。イノシシは血抜きと肉の冷却のために川に沈めて、ウサギは血抜きだけしてそのまま肉屋に売り、穴熊は美味しいので持ち帰った。家で捌いて半分は今日の晩御飯だ。


 セルミアーネは目を点にしていた。


「ウサギは大した値段にならないけど、イノシシは捌いて肉と毛皮にすればまぁまぁのお金になるわよ」


 私は穴熊のローストをセルミアーネに切り分けながら上機嫌だ。


「ラルは狩人で稼ぐつもりなの?」


「そうよ。手っ取り早くお金になるし、私が得意だからね」


 セルミアーネは呆然として、そして苦笑した。


「その方法は予想外だったよ。でもくれぐれも気をつけてね?」


「大丈夫よ。よく分からない森で無茶はしないわ。でも、うかうかしているとミアよりも稼いできちゃうからね」


 次の日、私は鹿をうっかり二頭も仕留めてしまった。ありゃ、しまった。二頭も持ち帰れないなぁ。とりあえず昨日仕留めた猪を分解して、鹿は二頭ともまた川に沈める。イノシシは持ち帰って肉屋と毛皮屋に売った。そして狩人協会に行き、鹿の処理を頼んだ。協会では大物を獲った時や場所が悪かった時に獲物の回収を助けてくれるのだ。無論有料だが。


 協会のおじさんは唖然としていた。


「二日でイノシシ一頭と鹿二頭だと?」


「そう。狩り易いからつい獲っちゃった。お願い出来る?」


「信じられん。お嬢ちゃんのような細腕で・・・」


「あいにく、私はお嬢さんじゃなくてもう奥さんなの。お願いね」


 その日以来、狩人協会の人の私への扱いが丁寧になったのだった。


 私は持ち帰り難い大物を狩るのを止めて、小さいが換金率の高い獲物を狙うことにした。毛皮が高いキツネやテン、イタチだ。私は帝都の森を飛び回り、痕跡を探し、何頭かのキツネを狩った。それを家に持ち帰る。


 こういう毛皮が高価な動物は、丸のまま売るよりも、毛皮にして売った方が高価になる。なので家で捌き、なめしまで自分でやってしまう。血まみれでキツネを捌いている私を見てケーメラは仰天していたが。すぐに慣れて作業を手伝ってくれるようになった。


 そうやって作った毛皮を自分で市場に持っていって毛皮商人に売る。貴重なキツネの毛皮である。かなりの額になった。


 冬の間も私は雪の森を駆け巡った。冬は見通しが良いので地形の把握に役立つし、木に紛れないので小さな獲物は意外に見つけ易い。仕留めた獲物も腐り難い。冬は狩猟には良いシーズンなのだ。私は順調に獲物を獲り続け、私の狩人生活は完全に軌道に乗ったのだった。


 残念だったのは例のキンググリズリーと出会わなかった事で、狩人協会の話ではもっと奥地に行かなければあまり出ないとの事だった。それだと数日の泊まり掛けになってしまうのだが、それはセルミアーネの許可が出なかったのである。その内一緒に狩りに行こうと彼が言うので我慢した。


 エミリアン家の家計は私の荒稼ぎで持ち直したし、私は狩りが出来て大満足だった。つくづく私はセルミアーネの嫁になって良かった、と思っていた。まだ恋愛感情は良く分からないが、平民だろうが貴族だろうが、こんな自由気ままな生活を許してくれる旦那はそうは居ないだろうと思う。ちなみに私は炊事洗濯掃除などの家事はケーメラ任せにせずにちゃんとやったし、天候が悪くて狩りに行けない時には裁縫仕事もやった。庭で毛皮をなめすついでに庭仕事も手伝い、春には庭を花で一杯にしたものである。


 そんな楽しい生活は一年くらい続いた。私はまぁ、その内子供は生まれるだろうし、セルミアーネも出世するだろうけど、大体こんな感じの騎士の奥様生活が一生続くんだろうな、と無邪気に信じていた。



 後から思えばおかしな事はいくつかあったのだった。


 まず、セルミアーネは12歳の時に亡くなってしまったというお母様の話はたまにしてくれたが、どうにも頑なに父親の話はしなかったのだった。私は公認されない貴族の私生児なのかな?とか想像していた。


 しかしそれにしてはセルミアーネは騎士になれている。騎士は基本的に貴族の家に生まれたが予算が無いなどの理由で家が成せない者がなるもので、平民にはなれない(平民が功績を上げて貴族身分になる時は男爵を授爵する)。父親が認知しない私生児は貴族身分が無いから騎士にはなれない筈なのだ。


 それと、邸宅だ。この邸宅は明らかに子爵くらいの貴族のお屋敷で、騎士身分には不相応だ。実際、セルミアーネの同僚は独身は騎士寮に、既婚者はアパートメントに住んでいるのが普通で、たまに家に遊びに来た同僚や部下が驚き羨ましがっていた。という事はお母様が子爵夫人だったということになるのだが、それなら長男で忘形見のセルミアーネは子爵な筈で、騎士なのはおかしい。


 そしてハマルとケーメラだ。この老夫婦は物腰が非常に丁寧で、よくよく話を聞くと帝宮に勤めていたような事を言うのだ。帝宮に勤めるには平民では無理である。明かしてはくれなかったがおそらく貴族身分を持っている筈だ。その二人が騎士のセルミアーネに仕えている。これもおかしい。


 ただ、私がこれらのおかしい事に気が付いたのは、実際には全てが発覚した後だったのである。そういえば、と思い出して気が付いたに過ぎない。私は細かいことはあまり気にしないし、人の秘密を問い詰める趣味も無い。


 しかしながら一つだけ致命的におかしな出来事があったのだが、それまでスルーしてしまった事を、私は激しく後悔する事になる。それは結婚後一ヶ月くらいの時に起こった。


 その日、晩餐を食べているところにハマルがやってきた。晩餐と言っても私が作ったのでシチューと鹿肉のローストと、パンとビールである。全くの庶民食で全然畏まっていない。ハマルはセルミアーネに封書を差し出した。


「お手紙が来ています」


 手紙とはまた珍しい。手紙は紙も高いし届けるにもお金が掛かるから、平民の世界では滅多に目にしない。私は首を傾げたのだが、セルミアーネは嫌そうな顔をして手紙を受け取り、裏の封蝋を確認して更に嫌そうな顔をした。


「どうしたの?ミア」


「いや」


 セルミアーネは封を開くと、中の手紙に目を通し、うーんと唸ってしまった。一体何事なのか。


「ラル。明日は一緒に出掛けなきゃいけなくなった」


 ?妙な言い回しだな。いけなくなった、というのだから、その手紙が原因なんだろうけど。


「構わないけど、どこへ行くの?」


「うん・・・、ちょっと知り合いに会いに行くんだ」


 何故かセルミアーネは言葉を濁した。そしてよりおかしな事を言った。


「明日はドレスを着てもらえるかい?」


 は?ドレス?私は結婚式が終わって新婚生活を始めてからドレスなど投げ捨てて庶民服で生活していた。今の格好もワンピースに前掛けだ。靴は木靴だし。


 一応、ドレスは持ってはいる。嫁入り道具だと持たされたドレスを何着かと靴や下着やコルセット。宝飾品を一揃い。使うつもりはないので放置していたのだが、ケーメラがしっかり手入れしてくれていた。


 今度は私が嫌な顔になってしまうと、セルミアーネは懇願するような顔で言った。


「正装していないと入れないんだ。頼むよ」


 そこまで言うなら仕方が無いが、正装していないと入れない所って何だろうね。お役所かしら?


 翌日、なぜか物凄く張り切ってケーメラが準備をしてくれた。「旦那様の奥様のお支度をするのが夢だった」のだとか。そうか。毛皮処理の手伝いばかりさせて悪かったかしら?


 そもそもケーメラは必要無いと言っても毎日お風呂を準備し、私が嫌がっても必ずお風呂の世話をして、私の髪や肌や爪などの手入れを欠かさなかった。狩人生活で日焼けや擦り傷は当たり前だし、毛皮の処理は手が荒れるのだが、非常に丹念に手入れをしてくれるのだ。おかげで私の髪や肌はドレスを着てもおかしく無い程度に保たれていると思う。


 お母様から持たされたえんじ色のドレスを来て宝飾品を身に着ける。見た目はまぁまぁお貴族様の奥様に見えるはず。セルミアーネも濃い緑のコートを着て、すっかりお貴族様風だ。しかしこの格好では馬には乗れないし、歩いて行くのかしら、と思ったら、なんと馬車が待っていた。御者はハマルだ。貸馬車を借りてきたらしい。


 どうもドレスを着て馬車が無ければ行けない所など、私の貧弱な知識では思い浮かばない。セルミアーネは明らかに気乗りのしない風で、彼がそのように不機嫌なのはあまり無いことなのでちょっと居心地が悪かった。


 馬車はガラガラと進み、一度停車した。外を見ると大きな門が見える。?どこかのお屋敷かな?そして再び進み始める。すると庭園の中の道になった。あれ?ここは見覚えがあるぞ?


「ここ、帝宮?」


「そうだよ」


 帝宮に何の用なのか。確かに帝宮なら正装じゃ無いとまずいのは確かだが。


 馬車は門を二度潜り、王宮の本館の正面に出た、前回来た巨大な車止めが見える。が、馬車はそこをスルーして更に奥まった所に入って行く。そこには小さな車止めがあって、馬車はそこに停車した。


 セルミアーネのエスコートを受けて降りたのはのは良いが、どこよここ。まぁ、帝宮なんて前回歩いた範囲しか知らないけど。本館の裏手みたいなところであるのは確かだ。家の入り口の三倍くらいの大きさで豪華な装飾が施されているドア。左右を厳重に騎士が守っている。彼らは私たちが近付くと怪訝な顔をした。


 セルミアーネは右手を出して騎士達に見せた。私も同じ所に貴族の証である指輪

をしているのでそれを見せたのだろう。まぁ、私は普段は外しているけど。


 すると騎士達は納得顔になり、ドアを開けてくれた。なんだろう。騎士の間なら分かる符牒みたいなものかしらね?中に入ると一人の男性が出迎えた。


「いらっしゃいませ」


 執事。帝宮なら侍従だろうか。そんな感じの細身の中年男性だ。彼はセルミアーネを見て微かに微笑んで、私を少し緊張した顔で見た。


「妻だ」


「左様でございましたか」


 侍従の表情がホッと緩んだ。どうやらセルミアーネとは旧知のようだ。私達は侍従の先導について歩き始めた。


 帝宮の内部なんて良く分からないがずいぶんと奥まった所を歩いているような感じだ。明るい廊下や小さなホールを抜けて延々歩く。ほとんど人はおらず、たまに侍女とすれ違うくらいだった。美しい庭園を横に見る回廊を抜けると、騎士が守っている小さな扉がまたあった。侍従とセルミアーネが指輪を見せる。私も促されて指輪を見せたが私だけはそれだけでは通れず、セルミアーネがまた「私の妻だ」と言ってようやく通過が許された。


 騎士身分のセルミアーネの指輪は銀で、侯爵家で成人した私の指輪は金だ。銀の指輪より金の指輪の方が帝国では尊重されている筈なのに、銀の指輪で入る事が出来て、金ではダメというのはおかしい。まぁ、この時の私はそういう事もあるのか、くらいにしか思っていなかった。


 小さな扉の先は明らかにプライベートスペースだった。生活感がある。非常に柔らかい絨毯は音をなるべくたてないためのものだし、壁の色はクリーム色で落ち着く色だ。それまでそこら中に施されていた豪奢な装飾は抑えられ、壁に掛けられた絵もこれまでは巨大な肖像画が多かったものが、ごく小さな風景画ばかりになった。庭園もそれほど大規模ではなく、庭木ではなく花壇が主体だった。冬だったので花壇には花が無かったが、恐らく春には美しく花が咲き乱れるだろう。何となく花好きの主人の人柄がしのばれる。


 案内されたサロンも大きな窓が開放的だが、無駄に広くは無い部屋で、調度品も多分高級品だが落ち着いた色合いと使い込まれた風合いが生活感をにじませていた。私達はソファーに並んで座り、入れてもらったお茶を飲んだ。あら、流石に帝宮のお茶は美味しいわね。出されたお菓子も遠慮なくボリボリ食べる。うん。お菓子も美味しい。セルミアーネは少し緊張した様子でお茶は飲むがお菓子には手を付けなかった。というか、お菓子をボリボリむさぼり喰うのは貴婦人的では無かったらしく、控えている侍女が目を丸くしていた。別に気にしないけど。


 しばらくお菓子を楽しんでいると、先ほどの侍従が入って来て「お出でになりました」と言った。私は???となっただけだが、セルミアーネは立ち上がり胸に手を当てて頭を下げた。私にも「立ち上がって頭を下げて」と言うのでお菓子クズを払って立ち上がり、頭を下げる。良く分からないので手はお腹の所で重ねた。確かお母様はお辞儀する時こんな感じでしてたはず。


 すると、誰かが入って来た。そして正面のソファーに座ると「楽にしなさい」とおっしゃった。私は即座に顔を上げる。セルミアーネは静かにゆっくりと顔を上げていた。あ、そうだった。ゆっくりが良いんだった。


 正面に座っていた人は大柄な、セルミアーネと同じかまだ少し大きいくらいの男性だった。歳のせいもあって厚みがあるのでより大きく見える。筋肉質で非常にたくましい。めっちゃ強そう。薄茶色の髪色と青い瞳で、薄茶色の顎髭を生やしていた。良く見ると結構美形だった。??あれ?見覚えがあるな。私は記憶を辿って・・・、この人が皇帝陛下である事にようやく気が付いた。


 は?皇帝陛下?私は目が点になってしまう。考えてみれば帝宮の奥まった所にあるプライベートスペースに案内されて、そこに出てきたのだから皇帝陛下でもおかしくないのかもしれないが、普通、皇帝陛下は軽々に臣下の前に、まして騎士とその奥さんの前になど現れない。下位貴族だったら傍で顔を見た事も無いというのも珍しくは無いのだ。


 促されてソファーに腰掛ける。私はしげしげと皇帝陛下を観察する。なんだろう。お会いするのは二回目の筈なのに、とっても見覚えがある。というか見覚えのある何かに似ている。う~ん?お父様かな?お父様よりお若いけど。お父様のお母様は皇族から降嫁された方で、皇帝陛下とお父様は遠目の親戚だと聞いた事がある。


 皇帝陛下は若干不機嫌を顔に表していた。貴族の表情は微笑がデフォルトなのに、こういうはっきり感情を現した表情は珍しい。そして見ると、セルミアーネも笑っていなかった。あえてという感じで無表情を装っている。


 しばらく沈黙してセルミアーネと私を睨んでいた皇帝陛下だが、やがて重々しい声で仰った。


「結婚したそうだな」


 私にではなくセルミアーネに仰ったのだろう。私は返事をせず、カップを取ってお茶をすすった。飲み終わると即座に侍女が入れてくれるのだ。それを見て皇帝陛下が少し目を見開かれた。?何ですか?


「はい」


 セルミアーネは短く答えた。皇帝陛下は唸るようにセルミアーネを問い詰める。


「なぜ結婚する前に報告しなかったのだ」


「報告の必要が無いと思いましたので」


 セルミアーネの端的な報告に皇帝陛下のお顔が少し悲し気に歪んだ。


「一カ月も経ってから騎士団長から聞かされた私の身にもなれ」


「一介の騎士の結婚で皇帝陛下のお心を煩わせる訳には参りません」


 セルミアーネは私の方をちらっと見た。皇帝陛下は少し驚いたような顔をした。


「言っていないのか?」


「はい」


 皇帝陛下はハーっと溜息を吐き、私の事を初めてジッと見つめる。なんだか品定めされているような気分だ。実際、何かを見極められているのだろう。


「まったく。私の勧めた縁談は蹴って勝手に・・・。このような・・・」


 と言い掛けて、皇帝陛下は何かに気が付いたようだった。


「・・・其方、もしかしてあの時セルミアーネがエスコートしていた令嬢では無いか?」


 いきなり話し掛けられたのでお菓子を喉に詰まらせるところだったわよ。私はお茶でお菓子を飲み下してから答えた。


「はい。そうです。それが縁で結婚しました」


「確か・・・。カリエンテ侯爵の六女だったか?」


「はいそうです」


 良く覚えていらっしゃいますね。一度しか会ってないのに。流石は皇帝陛下だわ。私が感心していると、皇帝陛下は何だか一転、非常に上機嫌になられた。破顔してすごくホッとした口調で仰る。


「そうかそうか!侯爵家の令嬢と結婚したか!それはめでたい!」


 皇帝陛下は喜んだがセルミアーネは逆に渋面だ。


「別に、身分が理由で結婚したわけではありません」


「そうではあろうが、ともあれ良かった」


 何が良かったのか分からないが、皇帝陛下が私の事を一般的な侯爵令嬢だと誤解していなれば良いなぁ、と思うわね。


 それから皇帝陛下は上機嫌になられて、私の生い立ちや領地での生活を聞いては笑っていらっしゃった。別に庶民生活をしていたと言っても態度に変化は無かったので、本当に血筋だけが問題だったらしい。つまりセルミアーネを高位貴族の血を引く者と結婚させたかったという事?なんで皇帝陛下がただの騎士のセルミアーネの結婚相手を気にするのだろうか。


 すると、パタパタと足音がして、入り口に貴婦人がひょっこり現れた。あれ?なんと皇妃陛下だ。黒髪黒目の細身の美人で、何だか顔を輝かせている。


「セルミアーネ?」


 笑顔で呼び掛けて、私の存在に気が付いたようで少し慌てていらっしゃる。セルミアーネと私は立ち上がって頭を下げる。


「ご無沙汰をしております。皇妃陛下」


 セルミアーネが言うと皇妃陛下はニコニコと微笑まれ、皇帝陛下の横に腰掛けると私達にも座るように促した。


「久しぶりね。セルミアーネ。それで?そちらが奥さんなの?凄く美人じゃないの」


「カリエンテ侯爵令嬢だそうだ」


「まぁ・・・、あ、あのお披露目で暴れたとかいう、セルミアーネがエスコートした方ね?うふふ、まぁ!面白いご縁ね」


 皇妃陛下はテンションMAXで笑いっぱなしだった。私に幾つか質問をなされ、私が御菓子を沢山食べていると、他にもどんどん持って来させてくれて、お土産にもたくさん持たされた。なんだかな?


 結局、小一時間皇帝陛下と皇妃陛下と談笑して私とセルミアーネは帝宮を下がった。私は疑問で一杯だったが、セルミアーネは疲れてしかも不機嫌で、どうも質問するのは憚られた。


「ごめん。ラル。疲れたろう?」


「まぁね。良いけど」


 何だったんだろうね?とは思ったが、この日以来特に私達が帝宮に呼ばれる事も無かったので、私は直ぐに気にするのを止めた。まぁ、皇帝陛下ご夫妻とセルミアーネになんか個人的な面識があって、セルミアーネが気に入られたかなんかでしょ。くらいに思っただけだった。


 よ~く考えてみれば、お忙しい皇帝陛下がわざわざ時間を取り、一介の騎士を内宮まで通し、結婚について詰問するなどおかしなことこの上無い事である。私に少しでも貴族社会や皇族についての知識があれば異常性に気が付いたであろう。お父様がこの出来事を聞いたら驚きで卒倒しかねない。セルミアーネの正体にも気が付いたに違いない。だが私は全然気が付かなかったし、気にしなかった。


 だからその出来事は私にとってあまりにも突然だった。


 

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