エデンの園で待ち合わせ

未唯子

1.ゆりかご

 "身に余る幸せは破滅をもたらしますよ"


 物心がついてから何度その言葉を耳にしただろう。だけど心配しなくても大丈夫。だって私は、この島で一生を終えるのだから。そんな身に余るほどの幸せとは縁がないのだ。




 バレないように、こっそりと。別に悪いことをしているわけでないのに、私が倫太郎といると家族みんなの機嫌が悪くなるから、バレないに越したことはない。


「おっす!」


 私を見つけた倫太郎は太陽みたいなキラキラ笑顔で手を振って、こちらに駆け寄って来た。倫太郎に尻尾が生えてたら、ブンブンって振り回してるだろうな。そう思ったら、本当に尻尾が見える気がして自然と頬が緩んだ。


「どした?なんか面白いことでもあったん?」


 まさか自分に尻尾を生やされているとは思ってもみない倫太郎は、クスクスと笑う私の顔を不思議そうに覗き込む。


「ううん、思い出し笑い。おはよ、倫太郎」

「そ?てか、知ってた?今日数学の小テストなんだぜ」

「もちろん覚えてるよ。勉強もばっちりしてきたもん」


 ふふん、と得意げな顔を見せた私に、倫太郎は顔をくしゃりと歪める。"裏切り者〜"とでも思っているのだろう。


「また再テストになっちゃうよ?」

「そーなんだよなぁ……!学校着いたら勉強しよっかな」


 そんな少しの時間でなんとかなりそうな範囲ではないと思うけど、全くしないよりは幾分かマシだろう。「じゃあ、私も一緒にしよっかな」と言えば、倫太郎は「出そうな問題教えてよ」と私に擦り寄った。急に近くなった体の距離にドキドキしているのが私だけっていう事実が、ちょっと悔しい。


「うふふ。いいよ」

「よっしゃ!あー、てか俺らも今年は受験生かぁ……!」


 自分の発言にゲンナリしたのか、倫太郎は言葉の途中でつまらなさそうに小石を蹴飛ばした。その小石が真っ直ぐ転がっていくのを眺めながら、私はなんでもないようなフリをしてさらりと、「倫太郎は島外に進学するの?」と核心に触れた。


「んぁー?そのつもり、てか、絶対そうする!小夜は……島に残るん?」


 言いながら、余りにも分かりきったことを聞いているなと気づいた倫太郎は語尾を弱めた。彼は私がこの島から出られないことを、よく知っている。


「ううん。結局この島にいなきゃいけないなら、高校ぐらいは島外に通いたいなって」

「え!!マジで?!なら俺と同じ高校行こうぜ!」


 絶対楽しいじゃん、と無邪気に笑う倫太郎は、やっぱり私の太陽なのだ。出会った日から今日まで、そしてこれからもきっと変わらないキラキラの笑顔。私は、そんな倫太郎に恋をしている。





 私たちの住む島は本州沖合から18km、大小

40余りの島嶼で構成される諸島の中部に位置している。人口3千人にも満たない島だ。

 私はこの島に唯一ある神社に生まれ、今は学業の傍ら巫女もしている。なんでもうちのーー上月神社には女児が産まれにくく、私は待望の女児だったようだ。正確に言えばみんなは私ではなく、私が産む子を待ち望んでいるのだけれど。

 その理由は"直系血族の巫女から産まれる子は神通力を宿す"という、俄には信じ難い言い伝えがあるからだ。確か未来が見えるとか、そんな感じだったと思う。だから私は物心ついた頃には祖父母や両親、そして氏子の人々から「早く子をなせ」と言い聞かせられて育ってきた。で、ある日気づいた。私はこの島から逃げられないんだな、ってことに。


 それまでは自分の使命に誇りを持っていたし、周りのみんなが言うように少しでも早く子供を授かろうと思っていた。ただ、小学校の授業が終わればすぐに家に帰らなければいけないことを、つまらなく感じてはいた。他の子と同じように学校帰りに寄り道をして、友達と遊びたいなって。だから家をこっそり抜け出したのは、ほんの些細な出来心だった。

 まさか崖から滑り落ちるだなんて思ってもみなかったのだ。自分が転げ落ちたところから見上げた地上が余りにも遠くて、不安で泣き叫んだ。全身痛いし、このままここで死ぬんじゃないかって、怖くて怖くて、「誰か、助けて」って声が枯れるほど何度も何度も同じ言葉を繰り返した。そうなって、私はたくさん後悔して、「もう悪いことはしません〜」って神様に謝り出した頃。


「みぃつけた!」


 って、キラキラの笑顔で現れた男の子、それが凪倫太郎。私の特別。

 島にある小学校は一つだけで、生徒数は多い学年で10人、少ないと学年に1人、というみんな友達状態のこの環境で、見たことのない子供がいたことに驚いた。


「だれ?」


 "助けて"ではなくその言葉が口をついて出た。涙でグジュグジュの自分と同じぐらいの子供を見ても、倫太郎は不安な表情を見せなかった。それが私を酷く安心させたのだ。


「おれ?凪倫太郎!最近この島にひっこして来たんだ!今助けるから待ってろ」


 そう言って徐に自分の着ていた服を脱いだ倫太郎は、シャツとTシャツを固く結び、「つかまれるか?」とそれを私に向かって下ろした。些か心許ない助け舟だが、その時の私は藁にも縋る気持ちでしっかりとそれを掴み、なんとか地上に戻ることができたのだ。


「あ、ありがと……ほんと、ありがとう」

「良かった、マジで良かった……!怖かっただろ?がんばったな」


 汗だくの倫太郎は喜びを分かち合うように私を抱きしめた。倫太郎の腕の中で私は自分の体が恐怖で震えていたことに気づき、抱きしめられてやっと、安堵の涙を流すことが出来たのだ。


「がんばったな。助けるのおそくなって悪かったな」


 トントンと一定のリズムで背中を叩きながら、倫太郎は何度も私を褒めて、そして何度も私に謝った。全然、倫太郎はこれっぽっちも悪くないのに。

 そして私の涙がやっと落ち着いた頃、倫太郎が「家までおくるよ」とキラキラと輝く笑顔を見せた。トスン、と音がした。あ、好き。って思った。さっきの不思議な音は恋に落ちた音だったみたい。


 だけど私は、倫太郎と結ばれることはない。だって私には生まれ持った使命があるのだから。その為には信心深い人と、つまり氏子の中の誰かと子供を作らなければならない。勿論それは倫太郎ではないのだ。


 だから私は納得させた。恋人が無理なら、一番仲の良い友達になろうって。そうやって倫太郎の側にいようって、必死で言い聞かせたのだ。





 中学校に着いた私を待っているのは、友達とは呼べない同級生からのご機嫌取りだ。


 この島唯一の神社の跡取りである私は、事あるごとに褒めそやされてきた。お金と権威に媚びを売る大人たちの態度が丸々子供達にも移ったのだろう。

 私を神格化したような扱いはそれだけが理由ではなく、上月神社の宗教観を信じる者がこの島には多くいることも関係していた。謂わば私は、教祖様よろしく祭り上げられているのだ。待望の女児。そして神通力を持って産まれてくる子の母体として。

 ね、本当嫌になるでしょ?この島の中で私が心を許せるのは、私を一人の人間"上月小夜"として扱ってくれる倫太郎と倫太郎のおじいちゃん、そしてあともう一人。


「おはよう、小夜。倫太郎も」

「おはよう、悠」

「おっす、ハルカ!」


 喜多悠。彼の父親は上月神社の氏子総代に任命されるほど熱心な信仰と寄付を行っている。そんな父親について幼い頃から上月神社に出入りしていた悠と、私はよく遊んでいた。就学前は余り外に出してもらえず、友達のいなかった私には、悠と遊べる日が本当に楽しみだった。

 今でもたまに思い出して申し訳なくなってしまうが、私は初め、彼のことを女の子だと思っていた。"はるか"という名前もそうだし、そして何よりその見た目が女の子だと勘違いしてしまうほどに可憐だったのだ。そんな悠も今では立派に美男子に成長し、この島の少ない年頃の女子たちの憧れの的となっている。


 そんな端麗無比な甘いマスクに微笑みを湛えた悠は、「今さら数学かよ」と倫太郎の手元を覗き込んだ。


「ハルカ!お前も助けてー!」

「え?小夜に教えてもらってるんだろ?なら、俺が教えることなんて、」


 そんな風に言いながら、悠は自分の椅子を倫太郎の横に持って来て腰を下ろした。なんだかんだで悠は倫太郎に甘い。それは悠の優しさと、倫太郎の人懐っこさが上手く噛み合っているからだろう。

 「いや、だから、なんでこれが分からん?お前、ちゃんと授業受けてんのに」と悪態をつきながらも、先ほどと同じ内容を噛み砕き教える悠を見て思う。悠も島外の高校に行くんだろうか。もし私だけがここに取り残されることになったら……そんな最悪な未来を考えてゾッとした。


「あーあー!分かった!分かった〜!」


 教室内に響き渡るような大声を耳元で聞いてしまった悠は「うるっせー」と顔を顰めた。「わりぃ!この問題の解き方が分かって興奮しちまった」と謝る倫太郎に、教室にいたみんなから笑顔がこぼれる。


 この島で上月神社の氏子になっていない倫太郎の家は珍しく、それ故に煙がられていた。転校してきたばかりの頃の倫太郎はよくイジメられていたのだ。だけど、天性の人タラシの才に恵まれた倫太郎は、今ではみんなの中心人物。倫太郎のことを悪く言う人は誰もいない。


「悠って教えるの上手ね」

「そうか?倫太郎のお陰で腕が上がったかな」

「まーじでありがと!ん、そだ、ハルカ、お前高校どーすんの?」

「高校?」


 突然何を言い出すのだと、悠は眉根を寄せた。倫太郎はそんなことには気づかず声を弾ませる。


「そそ、俺と小夜と一緒に島外の高校に行こーぜ」

「えっ?!小夜、島外に行くのか?」


 今度は悠の声が教室中に響いた。考えるまでもなく、みんながみんな私の進学先は島内の高校だと思っていたのだ。それは悠も例外ではない。普段冷静で声を荒げることのない悠が大きな声を出したのが良い証拠だ。


「う、うん……希望だよ、希望。そうできたらいいなって……ね?」

「おう!なぁ、俺ら3人いたら、どこでも最高に楽しいって!」


 倫太郎は懐っこい笑顔で、こちらが照れる言葉を大真面目に言うのだ。だから誰だって倫太郎には敵わない。あの悠だって面食らった顔をして、次の瞬間には「そうだな」って耳を赤く染めた。




 "身に余る幸せは破滅をもたらしますよ"




 私はそうやって言い聞かせられて育ってきた。身に余るほどの幸せが、いったいどれだけのものなのかは分からないけれど。今の私の幸せは、倫太郎と悠と3人で同じ時間を過ごすことなのだ。

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