第二十八話 立入禁止の部屋

 ローズがお手洗いから出てきたちょうどその時、深紅の廊下で埃渡りを追いかけている土人形を発見した。廊下の隅に沿って、ふわふわと逃げる埃渡りをぺこぺこと土人形が追いかけている。しかし埃渡りはギルバートの部屋の前まで行くと、扉下の隙間からするりと中へと入りこんでしまった。土人形が恨めしそうにこつんこつんと扉に頭を打ちつけている。

 ローズはギルバートの部屋の前まで行き、そっと扉を開けてやった。土人形が喜び勇んで中へと入っていき、それを見た埃渡りがまた慌てて逃げだしていく。再び追いかけっこを始めた二者を放って、ローズは部屋の中を見渡してみる。まるで部屋の中じゃないみたいだ、と思った。

 静謐な土と草の香り。石の通路が部屋の中を右へ左へと走り、その両脇を青草や色とりどりの小花が覆っている。短い階段があって、その先には橋がかかり、ちょろちょろと小さな池の水が鳴っていた。ローズは好奇心のまま、部屋の奥へと足を進めていく。

 ギルバートはいつも、頑なに自分の部屋にローズを入れようとはしなかった。にっこり笑って、でも怖いほどはっきりと、部屋に入る事を拒否されてきた。こんなに素敵な部屋なのにケチくさいのね、とローズは鼻を鳴らす。

 少し進むと、通路の先に白い花が密集して植わっている場所を見つけた。うわぁ!と顔を輝かせ、ローズはそちらへ駆けていく。白く小さな、星型の花びらをたくさん付けた花だった。嬉しくなって手を伸ばしたが、しかしすぐにその動きはぴたりと止まった。

 何か、大きな生き物がすぐそこに横たわっている。白い花に隠れるように、干からびた焦げ茶色の岩のようなものが、ゆっくりと上下に動いているのだ。大きな生き物が呼吸している……。去年、父親と行った牧場で馬に鼻息を吹きかけられた時の事を思いだした。大きな口で、人参をあげると手まで食べられそうで怖かった。

 ローズはゆっくり、ゆっくりとそちらに近づいていく。傍には木のベンチが置かれていて、そのベンチの傍に何かが寝転んでいるようだった。何か、としか形容できない生き物だった。その時、近くにあった鉢を誤って蹴っ飛ばしてしまったせいでが顔を上げた。ぱちりと目が合う。

 黒く干からびた皮膚に禿げた頭、手足は骨格がおかしくやせ細って、骨と皮ばかり。唇がなく、不揃いな歯がむき出しになっていて、ぎょろりとした目玉は異様に飛び出ていた。それから頭の横には、尖がった長い耳。

 ローズは悲鳴を上げた。ひっくり返って転がりながら、なんとかその生き物から逃げようと距離を取る。悲鳴を聞きつけたらしいイーサンとギルバートがすぐさま部屋へと駆けつけてきて、ローズは急いでイーサンの下へと駆け寄るとその足に縋りついた。


「おばけがいるの……!!」


 ローズは必死にそう訴えたが、しかし二人は慌てふためいたりはしなかった。イーサンは宥めるようにローズの背を撫でて、ギルバートは、あろう事かその生き物が横たわる方へ、歩み寄っていくではないか。


「ギル、危ないわ!」

「危なくないよ。ほら、大丈夫だから、心配しないで」

「でも……!」


 ローズはそこで言葉を切った。何故ならギルバートはローズに話しかけているわけではなかったからだ。彼は優しい声音で何度も、大丈夫だから、とその生き物に声をかけていた。その生き物は怯えたように顔を覆い、ベンチの下へと体を押しこもうとしている。首に繋がった鎖がじゃらじゃらと音を立てて、ギルバートはその生き物の首が閉まらないよう鎖を持ち上げたり、背を撫でて宥めたりしていた。ローズはどうしてギルバートがそんな事をしているのか、理解できなかった。


「なにそれ……。ギル、そのおばけはなに……? ギルがかってるの……?」

「飼ってるなんて失礼だなぁ。挨拶くらいしてくれよ、ローズ」


 ほら、姉さん、と彼は言った。


「この子がローズだよ。急に部屋に入ってきてびっくりしたよね? ごめんね、ローズには言いつけておいたんだけど、悪い子なんだよ」

「……ねぇギル、そんなに近づいたらあぶないよ」

「危なくなんかないよ。ボクの姉さんは優しいんだから、誰も傷つけたりしないさ」

「でも……」

「可哀想に、こんなに怯えて。ローズが意地悪するからだよ。ねぇ?」


 ギルバートはその生き物の頭を抱え、よしよしと撫でている。ローズはこんがらがった頭のまま、なんとか言葉を絞りだした。


が、ギルのおねえちゃん、なの……?」

「そうだよ。ボクの双子の姉で、ボクの本当の家族なんだ」

「……でも、おねえちゃんはあなたにそっくりだって……」

「そっくりだよ。姉さんはボクに似て、綺麗じゃないか」


 ギルバートは絶対、ローズと視線を合わせてくれなかった。他のものは何も見ず、ただ一心にその生き物に目を向けている。


「ただちょっと、今は厄介な病気にかかってて見た目に影響が出ちゃってるだけなんだ。質の悪い魔法使いに変な薬を飲まされて。でもちゃんと元に戻るんだよ? ボクがちょっと手間取っちゃってるだけで、ちゃんと良くなるんだ。大丈夫大丈夫、すぐに戻るから。全部元通りになるから、心配ない」


 空言のようにそう零すギルバートの様子が、ローズには恐ろしくてならなかった。彼の視線はどこか虚空を見ていて、その目には何も映されていない。

 ローズは必死に彼を呼んだ。


「ギル? ねぇ、ギル……!」

「もう、あっち行けよ」


 ギルバートが冷たく言い放った。ローズは口を噤んでしまう。彼はぴたりと大きな生き物に被さったまま、そのまま微動だにしなくなってしまった。そんな彼の様子に、自分は何か彼を酷く怒らせ、取り返しのつかない事をしてしまったのだと理解した。ローズはスカートの裾をぎゅっと握る。


「ローズ、外に出よう」


 黙って事の成り行きを見ていたイーサンが、そっとローズの背を押して扉の方へと連れていく。部屋を出ていく寸前、ローズはちらりと後ろを振り返った。ギルバートは未だ、大きな生き物の傍に寄り添っている。


「……かってにおへやに入ってしまって、ごめんなさい」


 そう言って、二人は部屋から出ていった。

 部屋の外に出ても、ローズはまだイーサンの足にしがみついて離れようとしなかった。脳裏に恐ろしいおばけの顔が張り付いていて、めそめそと涙を流し始める。


「あれは、なんだったの……?」


 とても恐ろしかった。あの生き物も、それにすり寄るギルバートの様子も。自分の態度がそんな彼を怒らせてしまった事も理解できていたが、それでもあの生き物を好きになれそうにはなかった。ギルバートは何故平気なのか、理解できなかった。


「ギルは、どうしちゃったの……?」


 あれが通常の彼だったのか知りたくて、イーサンに尋ねる。しかしイーサンは何も答えてくれなかった。壁を見つめたまま、ただ黙ってローズの背中を押して、ギルバートの部屋から離れさせようとする。


「……どうして、なにも言ってくれないの?」


 そのまま自分の部屋へと連れていこうとする彼に、ローズは眉を寄せて文句を言った。イーサンは扉を開けた所でローズを見下ろすと、やがて静かに口を開いた。


「……家族がああいうふうになったらどうなるか、僕には分からないんだ」


 ローズは黙ってイーサンの目を見返していた。それから何も言えなくて、しばらくしてから抱っこをせがむと、彼はローズを抱えあげ、自分の部屋へと入っていった。

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