第三章 三人の弟子

第十二話 柱時計とぜんまい鍵

 エリシャの部屋には、その部屋の四分の一を占めるほどに大きな柱時計がある。それは一見して、ただの柱時計というわけではなさそうだった。なぜなら文字盤の数字は二十四もあったし、その時計は壁に埋まるようにして立っていて、周りには大小様々な歯車が噛みあって作用している。ただ今は動いておらず、大きな時計は沈黙のまま、部屋の主と同じく冷たい金属で表面を覆っているだけだ。

 あとは大きなデスクと棚があって、デスクの上にはぐねぐねしたパイプや実験器具、おかしな色の薬品がたくさん乗っている。棚にはこれまたおかしな形の植物や干からびた動物やその骨なんかが陳列されていた。特にあの端にある骨、あれはどう見ても人の手の形に見えるが……。それをエリシャに尋ねる度胸は、ローズにはなかった。


「部屋の物には勝手に触るな。ローズ、お前には今日、やらなくてはならない仕事がある」


 そう言うと、エリシャは小さなテーブルを用意してローズをそこへ座らせ、土色の粘土の塊を置いた。隣に、粘土で出来た寸胴な人型の人形も並ばせる。


「これを作れ。全部で二十」

「これはなんなの?」

「土人形だ。完成したらまじないをかけ、動くようにする。お前のせいで埃渡りがキッチンに湧いてるらしいからな。これで駆逐する」


 ふくふくと太ったはげ頭の人形で、口が大きく、手は小さいが足が太い。首や腕には装飾品が巻かれており、腹にはまじないの言葉が彫られていた。なんて面倒な姿だろう、おまけに可愛くない。もっと犬とか、うさぎの形だったら良いのに。

 ローズはエリシャを不満げに見上げた。


「ねぇ、イーサンは?」

「イーサンは今日は用事がある。明日まで帰らない」

「……ふーん」


 面白くない気持ちで、ローズは粘土をこね始める。最初は見よう見まねで土人形を作っていたが、もっと可愛らしい顔にするべきね、にっこり笑顔の方がいいわ、と途中から創作意欲を発揮し始める。あぁ、このちっちゃい手ったら、なんてくっつけるのが面倒なのかしら。足があると立たなくなるし、いっその事なくていいわ。

 そうして十分ほどこねくり回したローズが、できた!と声を上げると、エリシャが近づいてきてその人形を取り上げた。くるくると手の中で眺め回した後、彼は冷たい声で言い放つ。


「見本通りに作れ。装飾品がまったく足りないし、足はどうした。それに中も空洞になっていない。土人形に埃渡りを食わすんだぞ? 口がなきゃ、どうやって駆除させるつもりだ」


 やり直し、とにべもなく言って、彼は持っていた人形をテーブルへと戻した。ローズは口を変な形に歪め、唸り声を上げる。


「そんなのむつかしいわ。こんなこまかい飾り、ぜんぶ作れるわけないじゃない。うでや足だって、お手本どおりにするひつようあるの?」

「魔法やまじないをかける時のルールは絶対だ。呪文や媒体の姿形にはそれぞれにちゃんとした意味がある。勝手にお前が変えていいものではない」


 そう言うと、彼はまたデスクに戻って研究を始めてしまった。青い液体の入った試験管を眺め、ひっきりなしにメモを取っている。まったく手助けしてくれそうにない素振りに、ローズは唇を突きだし、また仕方なく粘土をこね始める。

 いびつな円柱を作ると、上部をほじくり返して口を作る。あぁ! お腹に穴が空いてしまった! ……まぁ、このくらいならどうって事ないだろう。今度は足も付けたが、案の定バランスが悪い。右足が高いので削ったら、今度は左足の方が長くなった。そのため次は左足を削ったら、机に置いた途端に粘土はこてんと横に倒れてしまう。


「もう、やーめた!」


 ローズは四肢を投げだし、床へと仰向けに寝転んだ。ちらりとエリシャに目を向けると、彼はローズには目もくれず、自分の研究に没頭している。ただ淡々とした声だけを投げてきた。


「お前は辛抱が足りなさすぎる。そうそう簡単に諦めるな」

「わたしが作らなきゃいけないの? 罰ならほかのにしてよ」


 エリシャが無言になったので、ローズはまた彼の顔色を窺った。赤黒の瞳がじっとローズを見つめていたので、慌てて目を逸らす。怒られるだろうか、息を殺して待っていると、カツカツと靴音がしてエリシャの顔が頭上からぬっと現れた。彼の銀髪が白蛇のように肩から垂れ下がっている。


「お前の後悔はそんなものか?」

「……だってできないんだもん!」

「痛みや苦しみを感じるからといって、それらすべてを悪しきものだと決めつけるな」


 ローズはじっと頭上を見上げた。赤黒の視線が、逸らされる事なくローズに注がれている。そこに怒りの色は見えなかったが、同時にここで放棄する事も許さないという、力強い意思も感じられた。


「……どうすればいいの?」

「まず誰かに答えを求めるよりも、失敗する事を学んだ方がお前の実になる」


 ぶすっとローズは顔を歪める。結局のところ、エリシャは何も手伝ってくれる気などないのだ。これが罰なのだとしても、何時間ローズを懲らしめるつもりなのだろうか。途方もない行為に思え、ローズは不満を露わにする。しかしそれでも、エリシャの鉄面皮は崩れなかった。


「なぜ実になるのだと思う?」

「……」

「自分でこなすには、物事をよおく観察する必要がある。そして自分の頭を使って答えを導きだすんだ。それは人に聞いたり本を読むだけでは得られない、経験という名の貴重な宝になる」

「……」

「何故そうすぐに諦めてしまうんだ? 君は自分を大層おごっているらしいな。ローズ、君はまだ四歳だ。土人形を作ったのも今日が初めて。初めから上手く出来ない事など、俺は十分に予測していた。君が上手く出来ない事で、俺が失望するとでも思ったか?」


 ローズは何も言い返す事が出来なかった。何故頑張りたくないのか、自分でもよく分からなかったからだ。粘土遊びは何度もしたし、人から指図される事もしょっちゅうだ。なのに土人形づくりはすぐにやめたいと思った。

 どこかで、出来ない自分を恥ずかしく感じていたせいだった。こんな事も出来ないのか、とエリシャに冷たくされたり、馬鹿にされるのではないかと勝手に不安に思ってしまっていた。


「努力は、我慢ではない。忍耐が、苦しみだとは限らない。それは単なる布石だ。断言してやろう。苦難の末に勝ち取ったものほど、気持ちのいいものはない」


 ローズは黙ってエリシャを見上げていた。でも先ほどまでのような、どうすれば彼を説得して罰を変えてもらうかなんて事を考えてはいなかった。むくむくとローズの腹からはやる気が湧きだし、そのくりくりとした緑の瞳には力がみなぎっている。それを見てとって、エリシャは頭を上げた。


「何度失敗してもいい。やってみろ」


 ローズはがばりと起き上がると、また粘土をこね始める。それをしっかりと確認し、エリシャはデスクの方へと戻っていった。

 ローズは色々なやり方を試してみる事にした。まず中を空洞にするために、粘土を平たく伸ばしていく。これがあまりに薄いと駄目で、ぺしゃりと崩れてしまうのだと何度目かで気付いた。絶妙な厚さの粘土の板が出来たら、今度は慎重にそれを円柱型にしていく。これは少々苦戦した。粘土の端を持ち上げて頭の位置でくっつけたって円柱型にはならないからだ。でもそれは頭を捻って考え続けた結果、見本の土人形を型にして、上から粘土を被せる事で形作る事に成功した。小さな手も面倒くさがらずにちゃんと付けたし、口もしっかりと大口を開けさせる。体に巻きついた装飾品だって玉の数まできちんと数えたし、もちろん足も用意した。始めは自立させられなかったが、気付けばなんて事はない。まず自立した足を作ってから、体をくっつけてやれば良かったのだ。また粘土は形を作り始める前に入念に、均一にこねておかなくてはならない。何度も作り直していると所々に穴があって、同じようにやっても上手くいかない事があるのだと気付いた。


「材料を取ってくる。部屋の物に触るなよ」


 ローズは集中して土人形を作り続けていたので、エリシャが部屋を出ていってもお構いなしだった。


「出来た!」


 まだまだ歪だが、ちゃんと一人で自立したし、今までで一番の出来だった。嬉しくなってエリシャに見せにいこうと部屋を出ると、ちょうど買い物に出ると言っていたギルバートが帰宅したところだった。褒めてくれるなら、この際誰だっていい。ローズはギルバートに駆け寄っていく。


「ねぇねぇ、見て見て! この土人形、わたしが作った――」

「帰ってきたのかギル、早かったな」


 ちょうど、廊下の反対側の扉から、エリシャが魔法薬に使う種子を手に戻ってきた。ギルバートは彼を見るとぱっと顔を輝かせ、見てくれよ!とローズを追い越し行ってしまう。


「鬼の血を手に入れたんだ、本物だぞ!」


 ほら、とギルバートはポケットから親指ほどの小さな、コルクで蓋をされたガラス管を取り出した。


「知ってるか? これだけの量でも、どんな生き物も生き血を啜る化け物になり下がる! 本物の吸血鬼の血液だよ! 滅多にお目にかかれる代物じゃないぞ」

「随分な骨董品を手に入れたな。そんな物、どこで手に入れた?」

「おぉっと、ボクの貴重な取引先はそう簡単には教えてあげられないな!」


 二人はそのまま廊下で話しこみ、ローズの相手などしてくれなかった。なによ、せっかくうまくできたのに!とローズは目を吊り上げる。

 するとその時、また玄関が開いて、今度はマーリンが帰宅してきた。ツバの広い白の帽子と、これまた純真無垢な真っ白のロングワンピースを着ている彼女は、今日もどこぞの令嬢のように美しい。


「……やぁ、先生。おかえり」

「……今日は早かったな」


 途端、廊下の二人が身を固くする。マーリンは帽子を取ると、弟子二人に目を向けて、その後視線はギルバートの手の中へと流れていった。


「何を持ってるの? ギル」

「え、いや、これはその……」

「随分と貴重な物を手に入れたのね」

「えぇ、まぁ、運良く……」


 ふーん、と興味深そうにマーリンは眺めた後、そのまま廊下を通って扉の向こうへと行ってしまった。流れる金髪が扉の向こう側へ消えてようやく、ギルバートが深い息を吐きだす。


「……今の先生の目、見たか? おっかねぇ~」

「ギル、その小瓶、先生の手の届く所には絶対に置いておくなよ」

「……ボクの部屋にちゃんと隠しとこ」


 ローズは一人、こっそりとエリシャの部屋へと戻った。まだ二人のおしゃべりは時間がかかりそうだったし、褒めてもらえる時間はじっくり取ってもらえた方がいい。まだ十七個ほど土人形を作らなければならなかったが、すぐにテーブルに戻る気にはなれなかった。手持ち無沙汰に、壁際にある棚に並んだ品々を眺めていく。

 端まで来ると、そこに手の骨の置物があった。手首から先には五本指の細長い骨が連なっていて、やはり何度見ても人の手の形に見える。でもまさか本物ではあるまい。ローズは聞き耳を立て、エリシャがまだ廊下で話しこんでいる事を確認すると、そろりそろりとそちらへ近寄った。

 じっと、その手の置物を凝視する。そーっと指を伸ばして、骨の手の中指の先をゆっくりと押してみた。軽く抵抗感があって、少しだけ指の第一関節が動く。骨は白いものだと思っていたが、この骨は茶色っぽかった。手を広げてみると、父親の手よりも大きそうだ。そのまま握ってみようと手をかざしたその時、部屋の扉が開く音がして、ローズは慌てて後ろへと飛び退った。


「どうした、もう二十個全部作れたのか?」

「ま、まだ……」


 ローズは自分の太ももにぴたりと両手を付け、何も触っていない事をアピールした。エリシャは流し目でローズを見下ろすと、なら早く作れ、と言ってすぐに自分のデスクへと戻っていく。急かさないんじゃなかったのか、とローズはムッとしたが、どうやら棚の物を触っていた事はばれずに済んだようだ。

 エリシャは持ってきた材料を自分のデスクへと置くと、棚の高い位置に置かれた小箱の中からぜんまい鍵を取り出した。それを持って壁に埋まった柱時計の前まで行くと、時計の文字盤部分に開いた小さな穴にそれを通し、ほんのわずかだけ左に捻る。文字盤の針の内の一つが、少しだけ巻き戻った。そしてエリシャがぜんまい鍵を抜いた途端、時計に繋がった歯車が一斉に動きだし、おかしな事が起こった。

 床に置かれたテーブルの前に、もう一人のローズがいたのだ。彼女は一心不乱に粘土で土人形を作っていて、急にぱっと立ち上がったかと思うと、扉から出ていき消えてしまった。ローズは呆然とその場に立ち尽くし、扉の先に消えたもう一人の自分を見つめていた。しばらくするともう一人のローズがまた部屋の扉から現れて、ぶらぶらと棚の前を歩きだす。そして骨の手の置物の前で足を止めた所で、ローズはその時計の意味を理解した。少ししてもう一人のエリシャが扉から現われ、ローズが棚から後退る。そうして過去の二人は、その場でふわりと掻き消えてしまった。


「俺は、触るなと言ったな?」


 赤黒の瞳が冷たくローズを見下ろしてくる。鋭利な刃を突きつけられているような気分になり、ローズの背中に汗が伝った。

 残酷にも、その日のおやつは抜きにされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る