保健デー


 ~ 四月七日(木) 保健デー ~

 ※博学審問はくがくしんもん

  学び、問い。学問の道を究めること。




 身体の平穏。

 心の平穏。


 それらを得るためには。

 他の誰かの身体を、心を。

 平穏にしてあげればいい。


 相手を気遣うことによって。

 自分が傷ついた時にも救いの手が差し伸べられるものだから。


 いままで俺がずっと手を差し伸べてきた。

 二人の女の子。


 彼女たちは壇上に立って。

 きっと俺の心を癒してくれるに違いない。



 2022年度。

 入学式。


 身体と心を着飾ったおすまし顔が。

 むず痒そうに反らした胸に白い花。


 桜の花びらが、はらはらと舞い落ちる。

 うららかな日差しに照らされた晴れ舞台。


 俺は柔らかく微笑んだまま。



 滝のような冷や汗をかいて足元に池を作っていた。



「原稿忘れちった!」



 ――入試にて主席となって。

 壇上に立つ新入生代表は。


 俺が知るかぎり。

 銀河系で一番かわいい笑顔で。


 会場中のハートをわしづかみ。


 既に飽きて、ステージから視線を外していた人が大半を占めていたというのに。

 この人心掌握術の見事さよ。


 流石は天才。

 流石は主席。


 でも。


「どうする気なんだこのおバカ……」


 ざわめきも、笑いも起きないこの状況。

 さすがにマズいと思ったのだろう。


 俺がさんざん悩んで推敲を重ねた原稿をどぶに捨てたこいつは。

 珍しく狼狽しつつも。


 リスクを最小にすべく。

 その天才たるゆえんを発揮した。


「舞浜ちゃん! 手伝って!」

「前代未聞っ!!!」


 思わずツッコミを入れた俺に集まる非難の視線。

 それはあのおバカさんに向けてくれ。


 ああ、俺は改めて知ったね。

 世の中すべてはルックスで決まるって。



 自分のことを大好きだと言ってくれる。

 そんな凜々花に逆らうはずもない。


 名前を呼ばれてわたわたしつつも。

 素直に横に並んだのは、生徒代表。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 壇上に咲く。

 花二つ。


 会場中から吐息が漏れる美人の競演ではあるが。

 もう俺は、どうなっても知らんからな。


「ど、どうすればいいの?」

「あんな? こういうのは、牡蠣小屋でしゃべるんよ!」

「…………え?」

「あいたあ! 掴みのギャグを外すかなあ!」

「ごめんね? なんて突っ込めばよかったの?」

「そりゃ掛け合いだろ! って」

「……『か』の字ひとつを武器に立ち向かえと?」


 滑ってる!

 盛大に滑ってるぞお前ら!


 でもある意味、校長の話聞いてた時よりみんな静かに聞いてるけどな。


「凜々花、おにいが作ってくれた原稿をそのまま読めって言われてたんだけどな?」

「うん」

「それじゃ違うんじゃねえのって思うんよ! だってこれ、凜々花が高校生になってどうしたいかってことを語る場だろ?」

「さすが代表……。深いこと言う……」

「凜々花な? 最初に思ったのは、ご近所の小川のことなんよ!」

「浅かった……」


 ボケとかいらんから!

 ちゃちゃっと話してすぐ引っ込め!


「まあまあ、聞いてよ舞浜ちゃん。これでも食いながら、忌憚ないとこ教えて欲しいんさ!」

「これは牛タン……」

「冷めてっけど、レモン汁絞ってさ! うんめえよ?」

「うん。おいしい」


 こら秋乃。

 牛タン咥えて泣きそうな顔して俺を見るな。


 知らんわ。

 

「小川の水ってさ? 他の小川とくっ付いて大きくなるでしょ?」

「急に話が戻った……」

「ほんで大きな川に合体して、その一部になるんさ!」

「ほうほう。いいお話になりそう」

「そして最後には海に出るじゃない?」

「そう、そこでみんなの心を温かくするような一言を!」

「……川の全部に温泉のもと入れたら、海が温泉にならねえかなーって」

「冷たいっ!」


 こういう場じゃなければ面白いやり取りなんだけど。

 さすがに全員そろって困った顔してる。


 まったく、普段ならいの一番に止めそうな先生まで。

 難しい顔しながらも微動だにしないなんて。


 ……いや、お前もさ。

 俺をにらむんじゃねえよ、知らねえって言ってるだろが。


「でもさ? 南の方に行ったらあったか温泉になるんでしょ?」

「そりゃある程度は……。温泉は無理だろうけど……」

「だって蒸発するんでしょ? 海の水。じゃなきゃ雲もできないし雨も降らない」

「ああ、なるほど。よくある質問系……」

「あんな? 凜々花、中学ん時習ったんよ。海の水が蒸発して雲になるって。でも、どうして蒸発すんのって。海のどっかにIHコンロがあるのかって。そう聞いたら、先生何も教えてくれなくってさ?」

「飽和水蒸気圧に達するまで、水は蒸発するから……。気温の高い場所へ行けば、沸点に達さなくても水は蒸発する……」

「それよ! 凜々花、おにいからそれ教わってさ? ほんでおにいがどこで教わったんだって聞いたら、高校の先生に教わったって」


 そんなこと言ったかな。

 でも、ようやく軌道修正。


 凜々花は、言葉のチョイスが馬鹿げてるから誤解されがちだけど。


 ほんとは理論的で好奇心旺盛な。

 真面目な女の子なんだよ。


「授業じゃ教わってないかも……。立哉君、自分で聞いたのかな……」

「でな? 凜々花、そしたら納得できないやん!」

「え? 理解したんだよね、水蒸気の事」

「そじゃなくて、なんで中学の先生は教えてくれなくて、高校の先生はおせーてくれんのかって、おにいに聞いたんさ!」

「あ、なるほど。……で?」

「待って。凜々花も牛タン食う」

「オチまで話してからにしようよ!?」


 いい話に落ち着きそうだったから。

 この天然はさすがに刺さったようだ。


 会場の、三分の一くらいだろうか。

 思わず噴き出したり、肩を揺すったり。


 そんな中、マイペースにタッパーに詰め込んだ好物を食いながら。

 凜々花はオチを話そうと……、いやお前、何のつもりで持って来たんだよそのタッパー。


「おにいが言うにはな? 中学は義務教育で、高校は義務じゃなくて自分が勉強してえと思うやつが来るとこだって」

「うん。そうね」

「だから先生も、中学の先生は義務で教える範囲だけ教えるけど、高校の先生は自分が教えたいものを教えるし、生徒が教わりたい事も尊重して、一緒に調べてくれるって聞いたんよ!」

「おお! 見事なソフトランディング!」


 おいおい、なんてウルトラC。

 今まで眉根を寄せてた先生一同が天を仰いで凜々花の言葉を噛み締めとる。


 会場中の空気もがらりと変わって。

 とくにご関係者エリアの皆様が、一斉に目を見開いた様子が手に取るようにわかる。


「だから凜々花……」

「うん」

「まずは、IHコンロが置いてある場所を聞きてえ」

「立哉君! 飽和水蒸気圧について何を教えたの!?」


 そして場内大爆笑。

 からの。


「でも、こういうかしこまった場だからさ。ちゃんと締めくくらねえととも思うんよ」

「ぜひそうしてすぐそうして」

「凜々花、これから先生とか先輩とかにな? 一杯、自分の疑問についてぶつけてみようって思ってるんよ。それが義務としてじゃなく、自分の意志で学ぼうと門をくぐった者の当たり前だと思うからな!」

「それをね? 舌の上に牛タン乗せて喋ったらまずいと思うのよ」


 とどめとなるオチが来て。

 とうとう笑いに歯止めが利かなくなった会場は。


「だからな? まずは舞浜ちゃんに、太平洋の大海原について来てほしいんよ」

「…………そ、そのうちね」


 顔を凜々花から逸らして。

 舌の上に牛タンを乗せた秋乃を見て。


 拍手が巻き起こるのだった。


「以上! 新入生代表、保坂凜々花!」

「……生徒代表、舞浜秋乃でした」

「今日は名前だけでも覚えて帰って下さい!」

「あたしの名前は忘れてください……」



 ……その後のことは。

 もう、あんまり覚えていない。


 司会は漫才番組みたいな口調になっちまうし。

 先生たちは、俺が私がと笑いを取ろうとする始末。


 俺もすっかり楽しい気分になって。

 今日の主役たちと仲良く家路に……。


「こら。なぜ俺を夜中まで立たせるんだ」

「二人を代表にして問題ないか、俺は貴様に確認を取ったからだ」

「俺だけの責任じゃねえだろうが!」

「あと貴様は、全世界の中学校教師に土下座して回る旅に出てもらおう」

「地球一周し終わる間に新しい教師が生まれ続けて一生終わらんわそんなもん」


 二人と一緒に家路につけるはずもなく。

 いつまでも火山のように怒り続ける先生に立たされたのだった。



 なんだよ。

 俺はただ、フラグを回収しただけなのに。

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