デビューの日


 ~ 四月五日(火) デビューの日 ~

 ※雲合霧集うんごうむしゅう

  多くのものが集まって来ること




 写真があるはずもないし。

 実物を見た人がのこっているはずもない。


 でもこの風景は。

 江戸時代の人が見たものと、きっと近しいのだろう。


「……楽しい?」

「そりゃもちろん」


 尾張徳川家の大名屋敷。

 ほぼ東京ドームと同じ広さに再現された、この公園は。


 名前もそのまま。

 徳川園。


 もちろん、かつての要人の屋敷という点に於いて感慨深いものはあるのだが。


 それよりなにが凄いって。

 美しい日本庭園の木々の向こうに見えるのは。


 高層ビルだったりする。


「……実にいいね」

「うん」


 お屋敷の縁側に腰かけて。

 俺の隣りで、相づちを打つのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 昨日、あれきりまるで会話をしなかった俺たちは。

 名古屋のホテルで一泊したんだが。


 朝になって、急に秋乃が妙なことを言い出した。


 それは、旅行の最終日となる今日。

 俺が行きたいところに行こうという提案。


 雛さんと小太郎さんの姿を見て。

 秋乃は一体、どんな心境でいるのだろう。


 その心境の変化が。

 この不可解な提案の元になっているのは間違いないはずなのだが。


 俺は、悩みながらも予定を変更して。

 名古屋城から徳川園という歴史探訪コースを組んで。

 もちろん楽しんではいるんだが。


 ずっと複雑な気持ちのままだったりする。


「あたしたち……、別れのシーンに立ち会う事、多いね?」

「付き合う瞬間に立ち会うことも多いだろ。トントンだと思うけどな」


 ぽつりと秋乃がつぶやいた言葉。


 秋乃が問題にしているのは。

 比較じゃなくて、単なる回数の話し。


 それを詭弁で即答して。

 誤魔化してみたんだが。


 こいつは、そう言えばそうだよねと。

 柔らかく微笑んでくれた。


 二年も一緒にいるのに。

 まったく読み切れない秋乃の心。


 今も、俺の意見に納得したのか。

 それとも騙されたふりをしているのか。


 ……それにしても。

 予定外なことが重なるもんだ。


 ほんとは熱海まで足を伸ばしたかったんだが。

 小太郎さんたちに見つかったのと。

 資金が付きそうになっていたので。


 急きょ、名古屋まで戻って来た俺たち。


 そして俺が、テーマパークで一日過ごそうと考えていたところに。

 この提案だ。


「水族館とかじゃなくて、立哉君はこういう方がいいんでしょ?」

「まあ、そうなんだが」


 デートスポットではなく。

 家族での観光みたいなところ。


 秋乃のためにという言い訳に隠してきたが。

 実は、俺の嗜好だったりするわけで。


 そんなことはお見通しだったらしい。

 策士なこの女。


 名古屋城を見て。

 徳川園の日本庭園という、きっとまるで興味なんかないであろうコースを。


 俺の横顔を見る度に、笑顔を浮かべながら。

 一緒に回ってくれていた。


「立哉君は、この景色を見てどう思うの?」

「秋乃はどう思うんだよ」

「……昔の景色と、今の景色があって」

「ふむふむ」

「さらに未来には、ビルの合間を縫うようにパイプが走って、中に車が……」

「昭和の未来予想図か」


 そんな俺の突っ込みに。

 ふふふと柔らかく笑う秋乃の心境。



 これは。

 ひょっとして。



 江戸時代の景色をそのままに。

 木々の向こうに見える高層ビル。


 昨日の事件。

 秋乃の変化。


 不思議な景色。

 情緒と思考が刺激される。


 数奇なる人生ドラマ。

 秋乃の心に灯るかすかな明かり。


 過去、現在、未来。


 友達、恋人、そして……。



 今日の秋乃を見ていれば。

 いくら鈍感な俺でもさすがに分かる。


 これはあれだ。

 いわゆる、デレだ。


 旅行の間、ずっと。

 ツンって訳じゃなかったけど、フラットな位置を保ち続けた秋乃が。


 俺が、秋乃のために考えたプランじゃなくて。

 自分の行きたかったところでデレるなんて。



 ……時は、満ちた。

 何かが俺の背中をそっと押した。



 静かな空間。

 風に舞う桜の花びら。


「あ……、秋乃にお願いがあるんだ」


 この、過去と現在が木々の稜線で区切られた公園で。

 俺たちは、晴れて。


「……今日から、お前は」


 新しい関係となる一歩を。

 今、間違いなく踏み出……。


「こら貴様ら! 県外に出る時は申請を出せと言ったはずだ!」

「俺の彼女っ!?」



 新しい関係となる。

 輝かしい一歩。


 それを俺は。

 豪快に踏み外して足をくじいた。



「こ、この野郎……!!!」

「え? せ、先生が立哉君の彼女?」

「違うわ! それよりあいつのせいで……? あれ?」


 今のは確かに先生の声。

 でも、姿がどこにも見えやしない。


 秋乃と二人、顔を見合わせて。

 よくよく耳を澄ましてみれば。


「こら! 逃げるとは何事だ貴様ら!」


 先生の怪獣みたいな声量にしては。

 随分小さく聞こえるな。


「……この建物の裏側か?」

「う、うん。多分そうだと思う……」


 そしてドタバタと走る靴音が。

 建物の側面から近付いてきたから。


 俺と秋乃は、ほとんど同時に。

 小太郎さんに貰った暗い土色のタオルケットを被って息を殺した。



 ……ほんと。

 隠れるの上手くなったな、俺たち。



 それにしても。

 先生は誰を追いかけてるんだ?


「お前がここなら大丈夫とか言うから!」

「お前が言ったんだろ~!?」

「ケンカしてる場合じゃないのよん! 早く逃げて!」


 おまえらかい!


 そして秋乃、俺だって我慢してるんだ。

 クスクス笑うな、バレるから。


 ……閑静な公園を。

 ギャースカ騒ぎながら走る四人が右手に遠ざかる。


 すると、左手の茂みの方から。

 なにやら話し声が聞こえて来た。


「あっは! あの三人も来てたんだね!」

「騒ぐな、見つかるぞ。あいつらが連行されるまで隠れていろ」


 うおおおおい!

 お前らも来てたんかい!


「あ! パパ! あの追いかけっこしてるの、いつぞや一緒に旅行したおにいのお友達!」

「こらこら。だからって追いかけていっちゃダメだと思うよ?」

「……もう凜々花には聞こえてないとおもうぞ?」


 ちょっと待て!

 なんだお前ら、そんなに俺が恋しいのか!?


「ぷっ! ……くくく」

「だから肩を揺するな。隠れてる意味ねえだろうが」

「でも……、ふふっ! フルコース……!」

「確かにそう思うけど。俺だって堪えてるんだ、我慢しろ」

「あれ? おーい、バカ凜々花! 珍しいとこで会ったな!」

「だめだよ、こんな静かなところで大声出しちゃ」

「くふふふふふふふふふふふふ!!! デ、デザート付き……!」

「げ、限界だ……! こっそり逃げるぞ!」


 そして、怪しいタオルケット二人。

 こそこそと建物の裏手に回って、駆け出すなり。


「あはははははははははははは!!!」

「うはははははははははははは!!!」


 二人揃って、大笑いしながら。

 家路についたのだった。




「うはは……。最後は楽しかったな、秋乃」

「うん。今日の観光なんかより、断然」

「うはははははははははははは!!!」


 こうして、一大決心を果たせぬままに。

 旅行は終わった。



 ……また、明日から。

 頑張りましょう。

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