第18話 白灯台と玉子焼き

 6月から始まった2人の共同生活


 互いの実情を聞いたわけでもなく、誰に頼まれたわけでもなく、至極自然に開始された新生活


 お互いが一緒に居るべき存在だということを本能的に感知し合い、一体となった2人


 そもそも、一体であるべき存在が運命の悪戯により否応なしに分離を余儀なくされ、


 2人の運命の直線は交わることなく平行に進んでいた。


 しかし、2人の直線は平行間隔を狭め、そして重複し、一致したのだ。


 これも運命である。


 女が入院中に見た「最期の夢」


 そこに登場する「最期の人物」


 男が女に感じた儚い人生を共存するとした一体感


 2人は正に運命の存在「ツインレイ」そのものであった。


 2人の呼び名も当然と変化した。


 男は女を「亜由」と呼び、女は男を「武さん」と呼ぶようになった。


 2人の同棲生活は貧しくも朗らかで慎ましいものであった。


 1日の始まりは新正栄丸に乗船する午前5時を始まりとし、午後2時には帰港し、あのバラック小屋に戻る。


 小屋に戻った武は、真っ先に晩飯の準備に取り掛かる。


 釣った魚を下ろし、刺身、あら煮、あら汁を拵える。


 亜由子は浴槽の残り湯で洗濯を行う。


 亜由子が物干し竿代わりに納屋の前の手摺に洗濯物を干す頃、決まって船の後点検を終えた正栄が通りかかる。


「亜由、良い女房やわ!感心、感心!」と


 正栄が亜由子を野次ると、亜由子は嬉しそうに、真っ白な肌を赤く染めながら、


「女房と違います。相棒です。」と照れ隠しに応えるのであった。


 2人の夕餉の時間は早かった。


 午後5時前には一緒に土間の階段に腰を据え、夏でも移動することなく土間の中心に居座るブルーバーナーの天板をテーブル代わりに武の拵えた料理に箸を伸ばす。


 魚料理はその日に獲れた魚の種類により料理も刺身、あら煮、煮付け、塩焼きと変化するが、唯一、毎食、変わることなく出される料理があった。


「玉子焼き」


 そう、武と亜由子が初めて出会った白灯台での夕暮れ時


 水面に揺れる夕陽を見ながら、一緒に食べた玉子焼き


 亜由子はその時食べた玉子焼きの味が気に入っていた。


 気に入ったというより、これが生命を維持すべき源と感じていたのだ。


 武と一緒に過ごす中、亜由子の心に変化が生じ、「生きたい」という願望が沸々と心の中から湧き上がっていた。


「神様、お願いです。長生きしたいなど無理なお願いは致しません。


 もう少し、武さんと一緒に居させてください。」


 こう、亜由子は毎朝、目覚めと共に神に祈り、癌の胃への侵食により次第と消え薄れる食欲、日に日にやつれる我が身に抗うため、


 今尚、欲する唯一の食べ物である武の作る「玉子焼き」を求めた。


 武も分かっていた。


 それは、武自身もそうであったからだ。


 放置していた膵臓癌が本格的に稼働している証として、次第に食欲不振となり、好きな釣りをしている時でさえ、腰や背中に痛みを感じ出していた。


「武さんの玉子焼きが食べたい。」


「毎日、よく飽きないな。」


「飽きないよ!だって、この世で一番美味しいもん!」


「そっか。」


 武はいつもいつも美味しそうに玉子焼きを頬張る亜由子の姿を見ると、自然と食欲が湧いてくるのであった。


 しかし、2人を襲う癌はその歩みを決して止めなかった。


 次第に2人の食欲は失われ、玉子焼きさえ、喉に通らなくなりつつあった。


 そんな時、武が亜由子に言った。


「亜由、白灯台に行こう!


 玉子焼き持って!」と


「うん!」と亜由子は頷いた。


 夏期の夕暮れ


 獰猛な夕陽が落ち着き水面に輝く時間は午後7時頃、


 2人は毎日、雨の日も白灯台の袂で夕餉を摂り続けた。


「ここで食べると玉子焼きの味が違ってくるね。」


「そうだよ。あの日、初めてお前と会った時と同じ味になるのさ。」


「そっか!だから、美味しいのか!」


「そうだよ。」


「そっか…」


 武は白灯台に背もたれ、その武の左肩に亜由子が顔を載せ、2人は海に沈む行く夕陽を見遣る。


「太陽はいつもあの水面に眠りにつくのね…」


「そうだよ。あの水面さ…」


 白灯台から左手に砂浜が広がり、砂浜から50m沖に高波避けのテトラポットが海中に一定の壁を築いている。


 その壁から砂浜の間の水面


 夕暮れ時に鏡のように鎮静する水面


 時間は違えど、漁村を照らす夕陽は必ずその水鏡に眠るように姿を現出する。


 亜由子が言った。


「私、あの水面で眠りたい。」と


 男はそっと亜由子の肩を抱き寄せ、こう言った。


「一緒にあそこで眠ろう。」と


 亜由子は「はっ」と身震いをし、ゆっくりと瞼を閉じた。


 その横顔は水面の中に揺れる橙色の夕陽に優しく照らされ、目尻から一雫の光線が頬を伝って落ちていった。


 


 


 


 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る