第3話

 憧れだけで、勝ち上がれる世界ではない。所詮、ノリで始まった夢だ。生半可な気持ちでは勝てないと分かっていたのに。全国レベルには、想像以上に壁があった。

大会から一週間。アヤは自室にこもって、無気力にゲームと向き合う日々を続けた。どこから改善したら良いか、何が正解かまったく分からない。それでもやり続けている方がマシだと思い、ゲームをプレイし続けた。

 高校にはほとんど行かなくなった。行けば、嫌でも進路の話題を耳にする。竜也とは顔を合わせないように、徹底して避けた。いまの自分を見せるのが怖かった。

 ふと、孝之のYouTubeチャンネルを覗いてみた。孝之が元気よく選挙の裏側について話している。再生回数、八十四回。「まだまだじゃん」と呟いた。


「バーベキューに行こう!」

 孝之の強い一声に対してすこし逡巡したが、「奥多摩がアヤを呼んでるぞ!」という謎のプッシュも受けて、参加することにした。身体が自然を欲していた。

 五月だというのにもう暑い。孝之の運転で修一とアヤと三人で、奥多摩にやってきた。エメラルドグリーンの水と緑の木々に囲まれ、暑さを忘れることができる。無垢な自然を前にすると、すさんだ自分の心が浮き彫りになるような気がした。

 孝之と修一が慣れた手つきで、日陰を作るためのテントを組み立てる。毎年恒例の行事になっており、アヤも何も言わずにコンロやら鉄板やらをセッティングする。それぞれが阿吽の呼吸で炭を用意したり、食材をカットしたり、あっという間に準備が完了した。

「ヨシ、乾杯!」

 孝之の発声で、三人でコーラを片手に軽く突き上げた。孝之も修一も、酒は飲まない。

 すぐ横では川が緩やかに流れている。さすがに今日は水着を持ち合わせていないが、昔は家族三人でよく水遊びをしたものだ。穴場なのか、いつ来ても人の気配が無い。誰もいない自然と、気持ちの良い解放感。アヤの最近の様子を見かねて孝之が連れ出してくれたのだろうが、素直に従って良かった。

 修一が食材を網の上に次々と投入する。「今日のテーマは海の幸」と言いながら、トマトやトウモロコシなどの野菜のほか、鮭やエビ、イカなどの海鮮系の食材を並べていく。孝之はウン美味しいとホタテを口に入れながら、横から牛肉ステーキも投下した。

「そう言えば昨日、竜也に会ったぞ」

 トウモロコシにかじりつくアヤの方を見て、孝之が言った。竜也と孝之は、互いに名前で呼び合う関係だった。アヤは、決まりが悪い顔をした。

「何か話したの?」

「スーパーの前で、向こうから話しかけてきてな。何かと思ったら、最近、アヤとうまくいっていない、ってボヤいてた」

 思わずアヤは口の中のトウモロコシを、二、三粒噴き出してしまった。ますますバツが悪い。

 竜也のボヤキに対して孝之は「なぜそう思う?」と返したらしい。すると「距離を置かれている気がして。ゲームで忙しいとは思うんですけど、頼られていないというか、邪魔者に思われているんじゃないかと思って……」ともごもご返すので、孝之は一喝したという。

「ハン! 気がするとか、思うとか、全部自分の頭の中の話じゃないか。そんなクヨクヨしたヤツに娘はやれん! と言ってやったよ」

 誇らしげに語る父。一体何を言ってくれているんだ。本当にやめてほしい。

「余計なこと言わないで、マジで。それに」

 それに悪いのはワタシだから、と言いかけたところで、孝之は箸を持った手で制して遮った。

「アヤは、どうなんだ?」

「ワタシ?」

「うまくいっていない、ことがあるんじゃないのか」

 いきなりグサと本題を突いてきた。孝之は、不意に核心に入る。

「そうだね」と一拍おいて答えた。「自分の力不足を感じている」

「なんだ、まだ覚醒は始まったばかりじゃないか」

「悩んでいるのよ。すごく悩んでいる」

 アヤは、手にしていたトオモロコシを皿に置いて、ティッシュで手を拭きながら、自分自身の反省を語った。

「自分では頑張っているつもりでも、レベルが一つ上の階層に行くと、途端に勝てない。戦っている次元が違う。相手の動きに合わせられない。いけると思って勝ちを焦ると、足を掬われる。劣勢になると落ち着かない」

「フン、つまらん悩みだな。もう分かってるじゃないか。克服すれば良い」

 孝之が鼻を鳴らして、容赦なく一蹴した。

「分かってるよ」とアヤが、ややムキになって返す。

「結局、ワタシの練習量が足りないんだ」

 悪いのは、すべてワタシだ。悩むことでは無い。やれば良いだけなんだ。でも、それだけじゃない。アヤの頭の中で、煮え切らない考えがぐちぐちと巡る。

黙って食材を皿に取り分けていた修一が、静かに口をはさんだ。

「心の壁があるんだね」

「ウン、そうかもしれない」

 そうだ、技術の話ではない。ワタシのジレンマは別のところにある。

 孝之と修一の視線を感じながら、アヤは言葉を探した。二人はじっと待ってくれる。黙ってしまうと、静寂が耳につく。

「怖いのかな」ぽつんと呟く。

「怖い?」孝之が聞き返す。

「この先の人生、ずっとゲームを続けるのかな。それ以外、ワタシに無いのかなって」

 この数日の漠然とした不安を、一気に吐き出すようにアヤが続けた。

「ワタシだって、女子らしい幸せも手にしたい。竜也とも、もっと笑って過ごしたい。それなのに、会うと時間が奪われると思ってしまう自分がイヤ。身なりだって、引きこもっていたらどうでも良くなってくる」

 本気でゲームを続けるなら、普通の大学ではなくプロゲーマーの専門学校を選ぶべきなのだろう。

「でも、ひとつを選び取ろうとすると、色んなものを犠牲にしなくちゃいけない」

 そんなに大きな決断、今のワタシにはできない。才能があるかどうか、自分に自信が持てない。「よっわ」と呟いた小学生の男の子の声が蘇る。どうしようもなく頼りない自分が不安で、声が震えた。

「ワタシの人生、ゲームに全振りして良いのかな」

 すると、じっと黙っていた孝之が、吹き飛ばすように言った。

「構わん!」

 大きな声に、ビクッとアヤの肩が揺れる。

「ハ! 人生なんて何度でもやり直せる。おれなんか、いつだって全振りだ」

 孝之は豪快に笑って続ける。

「何があっても、おれにはシュウがいる。どんなに派手に転んでも、シュウは必ず笑って手を差し伸べてくれる。だから、大事なものは何一つ失わない」

 孝之の横で、修一は微笑んで頷いた。

「アヤだって、同じだ。どうせやるなら、ド派手にしくじってみると良い。大丈夫だ、おれたちがいる」

 孝之がぐっとアヤの肩を引き寄せた。「えっ」と声が漏れたが、身体を委ねた。孝之が、頭を撫でながら言った。

「アヤは何にだってなれる。おれが保証する」

 頭を孝之の胸に寄せる。父親の匂いがした。

 随分と忘れていた。あぁ、こんなに安心するものなのか。

 修一が優しく口を開いた。

「アヤ、辛い時は、やめたら良い。やめたらもっと辛くなると思えば、やれば良い。ぼくは、何があっても絶対にアヤの味方をするよ」

 さすがシュウだ、と言いながら孝之が提案した。

「そうだ、ここに世界一のコーチがいる。シュウにメンターになってもらうと良い」

「そうだね、きっとアヤの役に立てると思うよ」

「出世払いだな」孝之が笑う。

 そろそろ再開するぞ、と孝之。炭も切れてるね、ぼくが入れるよ。助かる、シュウ。そんな言い合いをしながら、二人はバーベキューを再開した。

 アヤは目に涙が溜まってしまい、しばらく顔をあげることができないでいた。俯いたままのアヤに、孝之が声をかけた。

「そうそう、さっき言い忘れたが、竜也が言ってたぞ。アヤを幸せにしたいって」

 世界一みじめだと思っていたワタシは、なんだって、こんなにも恵まれている。失うものなんて、何があったのか、忘れてしまった。


 後日、初めて訪れた修一のオフィスは、カフェのような空間だった。

「その椅子は段ボールで作って塗装したんだよ」

 アヤが座ったところで、修一がお茶を出してくれた。

「机も、廃材を活用して自分で作ってみた。秘密基地のようなワクワク感があるでしょ。心地良い空間が良いなと思って、ぼくがデザインしたんだ」

 温もりを感じる照明や、異国情緒を感じる置き物。隅々までこだわりを感じる。アヤは、感心しながら部屋を眺めまわしていた。

「さて、さっそくだけど始めようか」

 アヤは孝之の勧めに従い、修一と月に一度、対話の時間を持つことになった。改まって向き合うと、すこし緊張する。

「ここは安全な場だから、自由にイメージしたことを話してもらって良いよ。聞いたことは、誰にも言わないと約束する」

「わかった」

「うまく答えられないこともある。そんなときは無理して繕わなくて良いからね」

 修一の質問に従って、アヤが答えていく。プロゲーマーを目指したいと思ったこと、その為に専門学校に進学しようと考えていることを話した。うんうんと、修一が頷く。

「それじゃあ、これからについて質問するね。アヤが目指す理想の状態を思い浮かべてほしい。その時、アヤは何をしているだろう? どんな状態だろう?」

 アヤは、咄嗟に浮かんだ情景をそのままに話した。

「ワタシは、世界中の、何千、何万人の人を魅了している。みんなが楽しんでいる」

「じゃあ、アヤがその状態になっているのは何年後くらいだろうか?」

 一、二年後では難しいかな。でも、そう遠くない未来。

「四、五年後くらいかな」

「うん、良いね」

 修一が微笑むと、色気がある。近くで見るほど、顔が整っている。アヤは別の意味ですこし緊張した。

「さっきアヤは、理想の状態を、世界一位、などのタイトルではなく、状態としてイメージしていたね。アヤらしくて、非常に良いと思う」修一が褒める。「その状況を、できるだけ毎晩イメージするんだ。意識を四、五年後に向けて」

「毎晩ね。うん、そうしてみる」

「寝る前のベッドの中で、とびきりワクワクしている理想の状態の自分を思い描くんだ。思いは現実化するからね。そして、目先の勝ち負けにこだわり過ぎないこと」

 アヤは、「うん」と返事した。修一に従うことにした。

「素直でよろしい。ぼくがサポートするのは、日々のパフォーマンスの向上だ。本番というより、練習の質を高めるための方法だよ。どんな経営者にも同じことをしている」

 その他、睡眠をしっかり取ること、毎日散歩など軽い運動をすること、と修一はアドバイスをした。そして「今回は以上だよ。これから毎月よろしくね」と言って終わった。


 大小さまざまな決断が、それぞれの人生を形作っていく。アヤは、プロゲーマーを目指す学生の集まるeスポーツ専門学校に通い始めることにした。

 専門学校での生活は、楽しかった。すぐに友人もできた。通っている学生も、それぞれ異なる背景でそれぞれの決断の末に入学している。同じクラスには、高校生大会で対戦した@sodaもいた。本名は、「颯太」と言う。チーム戦ではアヤと共に、仲間としてプレイすることも多かった。以前は気持ちの読みづらい男子、という印象だったけど、実際に話してみるとノリが良くて優しい青年だった。高校までは友人の間で疎外感を覚えていたので、ゲームを真剣に取り組む仲間が増えて嬉しい、と笑顔で言っていた。アヤも、当時のことを笑いながら語れるようになっていた。

 学校に通いながらも、アヤは月に一度、修一のオフィスにも通い続けていた。修一は何でも話を聞いてくれたし、都度、的確な質問を投げかけてアヤをサポートしてくれた。アヤは毎日欠かさずゲームの練習を続けているし、毎晩、理想の状態をイメージしている。成長の速度は鈍くなってきたが、まだまだ上達の余地はある。楽しさだけではない、地道な研究と練習の積み重ねの領域だった。迷いと苦労の連続。そうした中で、修一との時間はブレイクスルーのきっかけを与えてくれる大事な時間だった。

 修一のオフィスには、さまざまな決断の真っただ中にある人々が連日出入りしている。高級スーツに身をまとった年配の男性から、ベンチャー経営者らしいラフな格好の若者まで。訪れる時は難しい顔をしていても、出ていく時にはサッパリしているから、まるで魔法にかけられたようだった。

 そうした人々に混じって、ときどき竜也もひょっこり顔を出していた。都内の大学まで一時間半かけて通っている竜也は、「修一さんに筋トレを学びに来ているんだ」と言う。たしかに筋トレ用の器具も置いてあり、修一は筋肉の管理に並々ならぬ心血を注いでいる。口実はともかく、竜也とたまに会って話せるのは嬉しかった。

 修一のスケジュールはいつも埋まっていて、オフィスでは常に誰かの相手をしている。それでも本人はまったく忙しい素振りを見せない。家にいる時だってそうだ。大雑把で乱暴な孝之とは正反対に、部屋をキレイにしたり、料理を三人分作ってくれたり、アヤの学校の事務手続きを済ませてくれたり、社会的に求められる親としての役割はほぼ修一が担ってくれていた。それでも、いつだって涼しい顔をしている。

「政治家になる準備は進んでいるの?」

 オフィスでの対話の合間に、修一に聞いたことがある。

「うん、まあ着々とね」

 話を聞くと、二年後に控えた市長選挙に向けて、着実に支持基盤固めが進んでいるようだった。先日、修一のオフィスで宮部先生を見かけた時は驚いた。他にも、テレビで見かけるような与党の大物政治家を見かけたこともある。修一の底の知れない器を見せつけられている気がした。「ぼくは欲張りなんだ。アヤの夢も叶えてあげたいし、タカの望んだ社会も実現したい」と修一は言った。

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