第5話:女神様のとある片鱗

「はぁ……」

「どーした、朝からため息ついて」

「……ナカ。何でもない」


 登校してから席に着くとナカが声をかけてきた。


「ため息ばっかりついてると幸せが逃げてくぞ? あ、もう逃げてたか。ドンマイ」

「うるせー。人の傷をほじくり返すな!」


 暗にこの間、俺が失恋したことを言っているのだ。


「だがまぁ……そう落ち込むなって。こういう時は切り替えが大事だ。次へ行こう。次へ!!」

「あのな。何か勘違いしてるのかもしれないけど、俺がため息とついている理由は」

「例えば、ほら。見ろよ」

「話聞けよ」


 ため息をついている理由は、失恋したからじゃない、そう言おうとした俺を遮ってナカは教室の入り口の方に視線を向けた。

 教室にはちょうど市川さんが入ってきたところであり、ナカは市川さんを見ているようだった。


「今日も美人だよな」

「は、ははは……」


 渇いた笑いしか出ない。

 俺がその市川さんと付き合っていることはまだナカには言っていない。

 そして俺がため息をついた理由は、彼女にある。


 あれは、登校前のこと。


 ***


「なぁ、これ……」

「気にしないで」


 家を出た俺たちは一緒に学校へ向かっていた。

 とは言っても話し合った結果、あまり学校では一緒にいないようにすると約束したところだったので、学校が近くなってきたら俺が先に行くということになったのだった。


「だ、だからってこれは……」

「ふふ、いいじゃない。恋人だもの」


 今の俺は、市川さんに腕をガッチリとホールドされている。

 そして腕には何やら柔らかい感触が二つ。彼女から漂う石鹸のような柔かい香りに鼻腔がくすぐられる。

 女性経験のない俺には非常に刺激が強い。


 おかげでさっきから動悸する。

 歩き方もぎこちない気がする。


 市川さんの方と言えば、少し頬を緩めているようにも見える。


 かわいい。とんでもなくかわいい。同じ人間とは思えない。

 いつもはクールな印象を受ける市川さんでは滅多に見れない一面だ。

 胸を押し当てていることなど気にも止めていない様子。


 ……ダメだ。こんな調子では途中までとはいえ、学校まで向かうとか身が持たない。


「あ、あのもうちょっと離れてくれると嬉しいというか」

「いやよ。学校であまり一緒にいられないんだからこれくらい、いいでしょ?」


 可愛すぎるんだが。

 いや、秘密にする気ないだろこれ。本当になんでここまで高感度が高いのか謎すぎる。


「これからは毎日こうやって登校しましょ」

「はい……」


 俺に拒否権はなかった。


 ***


 毎日、こうやって理性との戦いになると考えると憂鬱になる。


 何? 贅沢すぎる?

 なんとでも言え。俺だってそんなことわかっているが、身の丈に合わなすぎる装備は破滅を招くんだよ。


 女性からの無償の好意に慣れてない童貞の俺には、申し訳ないがやはり何かあるのではないかと勘ぐってしまう。

 そんな情けない自分に自己嫌悪に陥る悪循環。


「市川さんと付き合える奴いたら幸せだろうよ」

「……もしかしてだけど、市川さんのこと狙ってるのか?」

「違う違う。確かに美人で付き合えたらとは思わないことはないけど、難攻不落だからな。神宮寺も付き合ってるわけではないんだろ? やっぱ高嶺の花は目の保養にするだけに限る。そういうわけで市川さんどうよ?」

「……なんでそこに繋がるのかわからん。普通に考えたら俺みたいなの無理だろ」


 そう普通に考えれば無理なのだ。これは謙遜でも何でもなく。


「目標は高くってな。それに自分を卑下しすぎだ。お前いいやつじゃん。確かに神宮寺ほどイケメンではないかもしれないけど、もしかしたらがあるかもしれん」

「一々比べなくてもいい。後、褒めてんのか、貶してんのかどっちかにしろ」

「褒めてんだよ。まぁ、市川さんはただの例として、要は失恋したときは、他に恋をすればいいってこった」


 言ってることは最も。俺も親父との約束があったとはいえ、そういう気持ちがあったからこそ付き合ってみようという結論に至ったのだ。


 失礼な話、彼女にドキドキはするが、これは単に女性に慣れていないだけでまだ彼女のことが好きになったわけでないということ。美人だからそれがより顕著に出ているだけだ。

 告白されたから付き合った。それが今の俺の彼女への正直な気持ちだった。


「まぁ、昨日も中々熱の籠もった視線を向けてたみたいだし? せっかく女神と同じクラスになったんだから話の一つでも咲かせようぜ。俺が一肌脱いでやるよ」

「いや、いいって」


 ナカは俺が市川さんに気があると勘違いしているのか止める間も無く、市川さんの方へ向かっていく。

 そして友人と談笑していた市川さんに話しかけ、すぐにその輪に入ってしまった。


 アイツ、すげぇな。

 物怖じせずに誰とでもコミュニケーションを取れるっていうのは陽キャラには必須の才能らしい。


 そしてナカは楽しそうにしながら時折、俺の方を見ながら市川さんたちに何かを話しているようだった。


「おーい、洋太。来いよ」


 あいつ、マジか。


 学校ではあまり関わらないようにしようと約束した手前、やや気まずさを感じながらも市川さんの机へ向かう。

 市川さんの周りには、他に女子生徒が一人だけいた。確か……崎野静さきのしずかさんだったっけ?

 茶髪で明るい髪色で制服を着崩した彼女はギャルと呼ばれる人種だ。陽キャの代名詞。どちらかと言えば、苦手なタイプかもしれない。

 今日は他のメンツはまだ来ていないようだ。


「こいつが洋太。さっき言ってた俺のダチなんだけどさ。女に飢えてるらしいから仲良くしてやってよ」

「おい、言い方!」

「あはは、よろしくー。ナカ君の言った通り、本当に影薄いね! 同じクラスなのに初めて見たや!」


 うわ、それ普通に傷つくやつ……。

 学校が始まって一週間も立つのに未だ覚えられていないくらい俺の影は薄い。


「崎野静だよ! しずちゃんでも静お姉様でも好きなように呼んでね!」


 崎野さんは、元気よくそう言い放つ。ギャルだけあって、名前の割には性格は真逆で人懐っこさを感じる。


「でー、こっちがー、蒼? どうしたの?」

「なんでもないわ。よろしくね、小宮くん」


 崎野さんに声をかけられた市川さんは、立ち上がるとこちらを向き、笑顔で手を差し出してきた。

 俺たちの関係は公表していないのでなんとも変な感じだ。

 戸惑いながらもその手を握る。


「よ、よろしく……いっ!?」


 すると握った手が想像以上の強さで握られ、とっさに声を出しそうになった。


「ん??」

「どうした??」

「な、なんでも……」


 しかし、すぐに俺の手は解放され、痛みだけが残る。

 ナカと崎野さんの二人はそれに気がついていないようだった。


「ふふ」


 ゾワゾワっと背筋が凍る。

 あれ? 笑ってるのに、目が笑ってないぞ?


「どうしたの蒼?」

「なんでもないわ」

「なんか、ピリついてる?」

「いいえ、なんでもないわ」

「ええー、うっそー」

「なんでもないわ」

「絶対機嫌悪いよね!?」

「なんでもないわ」


 …………。


「市川さんどうしちまったんだろうな」


 俺にも分からん……。


 結局、なんで市川さんの様子が急におかしくなったのかわからないまま、チャイムが鳴ってしまった。




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