第25話 この世に存在しないもの

  ◆◆◆


 その日、俺のアパートには死者からの手紙が投函とうかんされた。


 何と差出人は白面しづらいわお……今は亡き、MASKの会長である。

 手紙の封蝋ふうろうは、会長にのみ使用することが許されたという、由緒ある刻印だ。

 いったいいかなる者のイタズラかは知らないが、MASK本家に関与する何者かが、潜入任務を行っている俺の存在に気が付いているようである……。


 更に肝心の手紙の中身は【旧校舎にて実験の痕跡あり】という短いものだった。


 相手が何者かは知らない。

 だが捜査が行き詰まっていた中、乗せられてみるのも一興だ。

 事実〈悪魔〉の儀式が兜都学校で行われているとは〈セルフ〉の仲間から聞いていたが、旧校舎だというのは完全に盲点だったからである。


 早速訪れた校舎の入り口は、重々しい鎖と南京錠によって施錠されていた。

 しかし鍵そのものは真新しい。

 俺は窓を割って侵入すると、早速人の気配を感じる場所へと向かった。

 だれもいないはずの校舎から、明らかに何者かの気配を感じる。


 そしてその大本へとたどり着いたとき、部屋の表札を見た俺は思わず顔をしかめた。


「生徒会室……か」


 俺はドアを勢いよく蹴破り、素早く拳銃を向ける。


「動くな!!」


 蝋燭の明かりだけが揺らめく、薄暗い空間。

 人数は一人。

 部屋の中央に立つ男はビクリと肩を振るわせる。

 兜都学園の制服を着ているところを見るに、相手は学生か……。


「銃口が貴様の心臓を狙っている。両手を頭の裏に回し、その場にゆっくりとひざまけ。妙な真似をすれば、即座に撃つ」


 男は言われるままに従う。

 ただの学生が、おとなしく従うこの状況こそが異様であり不気味だ。


 相手が普通の子供ならあわてるはずである。つまり……ここまで冷静に対応しているということは、ある程度こういった覚悟のある者ということだろうか。


 俺は改めて周囲を見回した。

 用途不明の巨大な機材が立ち並ぶ中、部屋全体には暗幕が敷かれ、水晶や髑髏を模した燭台が建ち並び、床には赤いインクで巨大な魔法陣まで描かれている……。

 だれがどう見てもオカルトの儀式……黒魔術を絵に描いたような現場だった。


「――……今の声は、夏也かい?」


「……」


 膝を突いた生徒が、声を上げる。馬鹿な……そんな、まさかこいつは……。


「お前は……」


「止めろッ! 動くな!!」


「……何?」


「キミに言ったんじゃない。分からないのか? 夏也のうしろにいる……ソイツが」


(なん……だと……?)


 背後になにかがいる。息を止めると、獣のような吐息を感じた。


「……ッ!」


 バッとあわてて離れる。

 床を転がり、直前まで自分がいたところに銃口を向けた瞬間、俺は言葉を失った。


「な、何だ……こいつは……」


 異形の魔物。

 それはまさに、オカルトの資料で見かける山羊の怪物そのものだった。


 二足歩行に直立した雄山羊。

 真っ黒い体毛に、長くねじれた禍々しい角。背からは巨大なコウモリの如き翼が生えている。だれがどう見ても、こいつを表現する名は一つ……。


「分かりやすいだろ? そういう風に設定してあるんだ。こういった手合いは単純な方が良い」


「こ、これはいったいどういうことだ? ここで何をしていた!? 答えろ、孝太郎ッ!!」


 相手の名を呼ぶ。そう、旧校舎で黒魔術の儀式を行っていた人物は、間違いなく俺の幼なじみ……白面孝太郎だった。


「何って、見ての通りだよ。うさん臭い黒魔術の儀式さ」


 孝太郎は悪びれた様子もなく言う。

 化け物など居て当たり前。

 その平然とした態度は、間違いなく孝太郎が主犯であることを伺わせる。


「まずは感謝して欲しいなぁ。僕がそいつを制止しなかったら、キミは今頃首と胴体が離れていたんだよ? その点に関して、僕は命の恩人なんだが」


 緊張感の漂う場であるにも関わらず、終始余裕を見せている孝太郎。底の見えない異常さに、こちらの方が焦りを感じてくる。


「……ふざけたことを。こいつはどうみても〈悪魔〉だ。生態兵器の実験稼働、それを学園で行っていたのがまさかお前だったとはな。MASK本家を裏切ったというわけか?」


「う~ん、なにか誤解があるみたいだね。キミは別の派閥が実験していると考えたみたいだけど、〈悪魔〉の召喚儀式は本家の意向なんだよ?」


「なっ!? ……お、お前達は後継者争いとして新兵器を開発し、業績を伸ばそうとしているんじゃなかったのか!?」


「だからそうだって。僕ら本家が扱っている兵器こそが〈悪魔〉、なのさ。別の部署はもっと違う兵器を作っているんだよ。いやぁそれにしても驚いたね、学校で実験やってることが漏れてるって、あの時にキミの口から聞いた時はさ」


 馬鹿な……では、あの時に孝太郎が事実確認をすると言ったのは、実験の有無そのものではなく、情報の漏洩だったと……そういうことなのか!?


「あはは。最新の兵器を作るMASK本家が、旧世代のオカルトに心酔するなんて滑稽だろ?」


 まるで秘密にしていたイタズラがバレたような笑みを浮かべて、孝太郎は言った。


 ――〈悪魔〉の儀式は本当だった。


 俺が〈セルフ〉から受けた任務は、これで一応達成したことになる。

 あとは……大佐からリストをもらい、関係する人物を始末するだけ。だが……


「それにしても驚いたよ。まさかキミがスパイだったとはね。僕としては非常に残念に思うよ。キミのことは親友だと思っていたのに」


「…………俺は、俺の意志で動いている。新兵器の調査などついでに過ぎない。答えろ孝太郎、お前達はこんなものを作って何をするつもりだ?」


 おそらく遺伝子を組み換えて作った生物兵器といったところか。

 悪魔のビジュアルとしては分かりやすい外見だが、それには何のタクティカルメリットもない。せいぜいが珍しい猛獣レベルで処理されるだけだろう。


「作ったんじゃなくて喚び出したんだよ夏也。そいつは正真正銘、異世界の魔物なんだ」


「ぬかせ……ファンタジーを信じろとでもいうのか? ここは現代の日本だぞ」


「フフッ、頭が硬いなぁ夏也は。逆に考えてみたらどうだい? それを可能とするテクノロジーが生まれたんだってことを、さ」


「なに……?」


「いいことを教えてあげるよ。今、世界中で使われている武器には、とあるセンサーが備えられている。人間の精神……感応波を受信し、エネルギーに変換する特殊な装置がね」


「精神? エネルギー!? 何のことだ!」


「簡単な話さ。オカルトよろしく〈悪魔〉を呼び出すには、膨大なエネルギーがいる。それもただのエネルギーじゃない。絶望に満ちた人間の負の思念が大量に要るんだ。そういうモノがあると仮定してさ、じゃあそれを効率よく採取するには……どうしたら良いと思う?」


「……、……まさか……」


「そう、戦場を利用するのさ。戦争ってのは悲惨だよねぇ……およそ考えられうるヒトの根源すべてが集約されている。怒りや憎しみ、死の恐怖や生存への渇望。戦地では皆が望むんだよ。生きたい。死にたくない。死ね。殺してやる。……そうした矛盾する想念の力場に、負のエネルギーは満ちあふれている。だから考えたんだ。それだけの思念を物理的に変換できれば、なにかスゴイことができるんじゃないかってね」


「バカな。戦場で集めたエネルギーを使い、異世界の門を開いたと……そんなトンデモを信じろというのか?」


「厳然たる事実だよ。これを初めて成功させたのがお爺様……今は亡き、白面巌会長だったわけさ。とにかくこれで、異世界の住人とお爺様は誓約を交わすことができたんだ」


 ――誓約。

 確か情報では、〈悪魔〉は召喚者に、何らかの誓いを求めてくるらしい……。


「ねえ。夏也はさ、世界平和を実現させたいって言ったら、キミは信じてくれるかい?」


「世迷い言か? 軍需産業の次期社長が口にする言葉とは思えん」


「あー……そうそう、そこなんだよ。そもそもどうして、今の日本で軍需産業なんてものが成り立っているのか。それがまずおかしいと思わないかい?」


「……?」


「――事の起こりは数十年前。日本が未曾有みぞうの経済危機を迎えていたのが元凶だ。相次ぐ天変地異に疫病えきびょう、エネルギーの枯渇と腐敗した政治、そしてメディアに翻弄されるだけの愚民。日本という国はね、もうボロボロになっていたんだよ」


「…………」


 当時、日本が最大の危機を迎えていたのは確かだ。

 それは今の時代の教科書に、ハッキリと記されている。


「経済大国の威信を失った日本。その厳しい憂き目を打破すべく、政府はある取り決めを改正した。……そう、一九六七年に国で禁じていた武器の輸出を解禁したのさ」


 無論、そう簡単に国の原則が変わるはずがない。

 日本では武器の輸出は禁止されている。

 特に日本は世界唯一……いや、随一の被曝国だ。

 こと戦争や大量破壊兵器に関しては敏感だったはず。


「お爺様の目的は武器を海外に売ること。そして反対する世論をねじ伏せることだった。契約によって呼び出された〈悪魔〉はお爺様に協力し、色々と都合良く動いてくれたってわけさ。邪魔者を消してくれたり、適当な国家元首を操って世界の敵にし、紛争を引き起こしたりね」


「……ッ!?」


「これが今の日本とMASKの歴史さ。お爺様は戦争特需を引き起こし、日本の経済危機を救ったってわけ。高品質で安価な武器は飛ぶように売れたからねぇ」


 かつておきた戦争。

 あれは、白面巌の意向だったと……こいつはそう言っているのか?


「ウチの名字は白面しづら……白面はくめんってのは素顔って意味だ。それがMASKって屋号の会社を作ったんだ。本当の自分を隠す嘘つきとしてエスプリが利いてるだろ?」


「俺の……父さんも、知っていたのか……?」


「そりゃあお爺様の右腕だったからね、当然だと思うよ? むしろ僕は、キミが知らなかったことの方が意外だな……。でもおかげで結果的に、日本は救われた」


 今更この世界の歴史なんぞを暴いたとて、仕方がない。既にそれは過去のことだ。


「……話は分かった。で、お前は何をしている? また世界に紛争を招こうというのか?」


「冗談でしょ、僕は昔から争いを好まないんだ。ずっと考えていたよ、どうすれば人は手を取り合い、平和を実現できるのかを」


「…………」


「で、考えた末に結局は無理だと気が付いた。だからどうしたら最小限の犠牲で最大の平和が保たれるかを考えたのさ。そしてその結果が……こいつらだ」


 孝太郎は山羊の化け物に手をかざす。


「こいつらは……人間の言葉で言えば、〈悪魔の使途〉って扱いらしい。要するに使い魔さ。この連中を、世界中の色々な国に解き放つ。もちろんその時の情勢や的確な景気を狙ってね。するとどうなる? 正体不明の怪物が出てきたことで、人間は人間同士で争っている場合じゃなくなるんだ。人々は自衛のために武器を求めるだろう? それを繰り返していくことでMASKは業績も伸ばせるし、人類もまとまることができる。一段落ついたら、また時期を見て別の国に魔物を解き放てばいい。つまりさァ、恐怖と安全のバランスは僕が作るってコト」


「お前……」


「安全は、お金を出して買うんだ。神出鬼没の〈悪魔〉に怯える毎日の方が、よりスリリングで平和の大切さが実感できるだろう?」


 言葉にならない怒りがこみ上げ、俺は孝太郎の胸ぐらをグッと掴む。


「僕を殴るかい? いいよご自由に。僕は自分で人を傷つけないって誓いを契約に、〈悪魔〉から〈悪魔の使徒〉を譲り受けたんだ。一発で足りないなら、反対側の頬も差し出すけど?」


「……救世主にでもなったつもりか?」


「保身だって。反撃したら僕がペナルティをもらう。そういう『約束』になってるんだよ」


「腐り切ったヤツになったな孝太郎……。この怪物は使い魔だと言ったな? なら、こいつらをお前に貸し出した〈悪魔〉本人はどこにいる?」


「さあ? 今どこで何をしてるのかは知らないよ。なかなか気前がいい奴だったけどね。第一キミのおじさん、空木博士に未知の技術を提供したのも〈悪魔〉なんだよ?」


「父さんの技術が……〈悪魔〉から教えられたもの、だと?」


 では、仮面の力……変身を可能とする〈ゼノフェイス〉は、悪魔のテクノロジーだったのか!?

 いや、疑うまでもない。あんな技術が人間に生み出せるハズがないのだ……。


「その〈悪魔〉は今どこだ!? どこにいる……ッ 言え、孝太郎ッ!!」


 すべての元凶は、異次元からやって来たとかいう〈悪魔〉だ。

 あんな仮面を作らされなければ、父さんは会社を告発しようとはしなかったし、俺達家族もバラバラになることはなかったはず……!


「わ、分からないんだってば。アイツは“どこにでもいて、どこにもいないんだ”。悪魔って言い方も便宜上のもので、本当はもっとわけのわからない存在なんだよ! アイツは“ないものにしか成れない”んだ!」


「ないものにしか成れない!? 意味が分からんぞ! どういうことだッ!」


「く、苦しいよ夏也……」


(クソッ!)


 俺は忌々しげに孝太郎を突き放した。

 傍らに控える異形の雄山羊は、依然として部屋の隅で沈黙している。


「ゲホッゲホッ! あ、アイツは……伝承や噂を依り代に顕現する存在らしい。この〈使い魔〉も一緒で、怪物っていう分かりやすい記号と情報から、見た目を再現させただけなんだよ」


「な、何が何だか分からない……どういうことだ……?」


「吸血鬼とか狼男、お化けや妖怪……何でもいいけど、本来そういうオカルトの怪物は実在しないだろ? でも、迷信や伝説だけは各地に存在する。柳の下にいる幽霊なんて典型だよ。人間の心が夜の柳を怖いと錯覚しただけの想像物だ。アイツは……は、そういった伝奇や情報にのみ“受肉”するんだ。連中に言わせると、古今東西のあらゆる魔物は、その地の噂を元に受肉したらしい。だからアイツらは実体が無くて……、世の中にないモノにしか成れないんだ」


「そんな荒唐無稽な話を信じろと言うのか!?」


 何なんだその変態生物は……! “向こう側の住人ゼノサイド”だと?

 山羊の悪魔という見た目や概念は、この世で最もポピュラーの怪物像だから利用されているだけに過ぎないのか。


 つまり〈悪魔〉という名の化粧をした本体……“向こう側の住人ゼノサイド”をあぶり出すには、を見つけなくてはいけないのだ。


(ふざけるな……! そんな雲を掴むような話、できるわけがない……ッ!)


 両親の仇だというのに!

 すべての元凶を……居もしない相手を特定し、見つけるなど……不可能だ。


「この世にいない存在……。そうだ、たとえば死者はどうなんだ? 鬼籍に入った者に成り済ましている可能性は!?」


「……無駄だよ。亡くなった時点で、その人の情報は終わってるんだ。死者は何も語らない。アイツが僕の前に怪物の姿で最初に現れたのも、世界中で常に悪魔というイメージが更新され、情報が生きてるからさ。今はどんな姿をして活動しているのか、見当もつかないよ」


 ――完全な死とは、忘れ去られること。

 かつて父さんはそんなことを俺に教えてくれた。

 といえども死者には変身できない。

 つまり今〈悪魔〉を見つけ出すには……

 確実に生きており、

 なおかつこの世に己の情報を発信し続け、

 そして現在地上に実在しないモノを見つける必要がある……。


 実在しない? おいおい、いない奴を見つけろって指示が狂ってないか?

 謎すぎる。答えがない答えを探せなんて、もはやミステリーですらない。

 文字通り“悪魔の証明”だ。

 いったいこの件に模範解答なんて存在するのか!?


(あのシャドウが〈悪魔〉だと思っていたのは、俺の勘違いだったのか?)


 鉄兜で素顔を隠した、正体不明の殺人鬼。

 あの人間離れした戦闘力と、神出鬼没の異質さは……ヤツが〈悪魔〉の本体である可能性を匂わせる。問題は、奴が何らかの伝説的存在なのか否かと言うことだ。

 いずれにせよ、雪辱は晴らさねばならない。

 父さんの作った仮面兵器……〈ゼノフェイス〉が、に負けるのは道理だ。

 しかしそれでは納得がいかない。

 今度こそシャドウを倒し、その正体を暴かなくては。


「シズ姉ぇも……お前のやっていることを、知っているのか?」


「いいや、話してないよ。結婚したらシズ姉ぇには話そうと思っているんだ。シズ姉ぇだってMASKの人間なんだし、分かってくれると思うんだけどね」


「…………孝太郎、お前の処遇はあとだ。ただし〈使い魔〉のこれ以上の実験は認めない。今後はその妙な召喚実験はやめろ。でなければ……」


「分かった分かった、僕は人を傷つけないと誓ってるんだ。もとより争いごとは苦手だし……今回はキミの言うことを聞くよ」


 俺は孝太郎に念を押すと、旧校舎を出て行った。

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