第23話 静流の謎

   ◆◆◆


「夏也! 大丈夫!? しっかりして……!」


 シャドウに負けてから、いったいどれほど気を失っていたのだろうか。

 気が付けば俺は、見覚えのあるパイプベッドへと寝かされていた。


 ここは……どうやら俺のアパート、なんだろうか。


「お、俺は……いったい?」


「気が付いたの!? あぁ良かった~……本当に良かったよぉ夏也~っ」


 顔を上げると、そこには救急箱を広げ、濡れタオルを持ったシズ姉ぇの姿があった。


「なぜ……俺は、ここに……? シズ姉ぇが、運んでくれたのか……?」


「そうだよ、もお~。わざわざおぶってきてあげたから、感謝なさいっ」


 あの人気のないトンネルから、ここまで俺を……?


「忘れちゃったの? 私、ちょ~っと腕っ節には自信あるのよねぇ」


 そう言いながら、机をひょいっと片手で持ち上げてみせる。

 そういえば孝太郎とデートしてた時も馬鹿力だと言っていたっけ。


「……そうか。すまないな……迷惑を掛けた」


「ほんともう驚いちゃったよ。ほとんと外傷がないのに、気絶しちゃってたしさ」


「…………」


「…………」


「……理由、聞かないのか?」


「聞いたら教えてくれるの?」


「転んだんだよ」


「そういう風にはぐらされると思った。だから聞かなかったのに」


 気の良い態度と、相変わらずのノリを見せてくれるシズ姉ぇ。

 だが彼女の本音は……あの夜に垣間見えている。いったい俺はシズ姉ぇの何なのだろう。


「どうしてシズ姉ぇは、俺に良くしてくれるんだ?」


「え? そりゃあ大切な幼なじみだもの。当然でしょ? 昔みたいになれたら嬉しいしさ」


(昔みたいにって……。その昔を覚えていない人が何を言ってるんだよ……)


 こうして彼女に助けられたのが、ある意味フられた事実よりも悔しい。

 俺の脳裏に沸き上がるのは、またしても幼い頃の思い出だった。


 ――あれは……いつのことだっただろう?

 世間知らずだったシズ姉ぇがお転婆娘に返り咲いていた頃、小学校の男の子達にからかわれたことがあった。

 たぶん当時、悪ガキだった連中から見れば、男の子の物真似ばかりをするシズ姉ぇが、どうにも生意気に見えたのだろう。

 ヒーローごっこに夢中になるシズ姉ぇは、ある日こんなことを言ったのを覚えている。


『あの時わたしを抱き留めてくれたみたいに、ピンチになったらまた夏也が助けに来てねっ』


 だれかに抱きしめられ、そして助けられるということ。

 あの飛び降りの件以来、彼女にとってそれはすごく特別なことになっているらしかった。

 だけど俺は当時、妙に気恥ずかしくて……ろくに返事を返せなかったのを覚えている。

 なのにその後、シズ姉ぇは来るはずのないヒーローをあてにし、悪ガキ達と喧嘩したことがあったのだ。

 当然女の子だったシズ姉ぇは言い負かされ、俺からの助けを待っていた。


 でも当時の俺はまだまだ子供で……

 周りや世界が善人ばかりだと思っていて……

 喧嘩にだって慣れていなかったし……もっと言えば、勇気もなかったのだ。


『来るもん! 絶対に夏也来てくれるもんっ! いつだってヒーローみたいに駆けつけてくれるんだからぁ……っ!』


 そうして泣き続けながら、俺のことを待っていたシズ姉ぇ。

 俺はいったい当時、何をしたのだろうか……。



(――忘れた……。覚えていないな、もう……)


 大切な思い出は、大切な人が一緒だったからこそのもの。

 もはや完全に孝太郎の女となり、なおかつ助けるどころから、逆に助けられている俺の現状など……追想する価値もない。正直、情けなくすらあった。


「そんなことよりさ、シズ姉ぇは……どうしてあんな場所にいたんだ……?」


 俺とシャドウが戦ったのは、大都市・兜都の郊外だ。

 あんな人気のない場所に、わざわざ出向いてくるなんて令嬢のすることとは思えない。


 まさかシャドウの正体がシズ姉ぇなんてことは……。


(この怪力だ。あながち有り得ない話では)


「ちょっとぉ? 夏也く~ん? 何だかキミはすご~く失礼なこと考えてないかな~?」


 ほっぺたを思い切りつねられた。


「あ痛でででででッ ち、千切れるよシズ姉ぇ……! ごめんって!」


「ほんっとレディに失礼しちゃうんだから。こんなか弱い乙女だっていうのに」


「で、実際のトコ何やってたんだよ……あんなところで」


「実は……ちょっと、しつこい人に言い寄られててさ。どうしても逃げたくて」


 MASKの御曹司の婚約者にアタックするとは……命知らずもいいところだな。

 そんな俺の言わんとすることを察したのか、シズ姉ぇはふるふると首を振るう。


「あ、いや、えっと。その人……治安維持部隊の外部の人、なんだけどね?」


「え?」


 てっきり交際を迫ってくる男がいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。


「警察の人とかじゃなくてね。ほら、ウチの会社が雇ってる、何ちゃらっていう傭兵部隊いるでしょ? そこの……なんか、偉そうな隊長さんにさ、やけに絡まれるのよ。だから怖くて、あんな場所まで逃げちゃってさ」


 もしかして〈ペルソナ〉の〈超我兵〉か?

 そこの部隊長が、シズ姉ぇに何の用なのだろう?


「シズ姉ぇはMASKのお姫様だろ? 会長令嬢として有名人なんだから、その隊長とやらは熱心なファンだったんじゃないのか?」


「う~ん。それがよく分からないのよねぇ。向こうは私がMASKの人間とは関係のないところで知ってたみたいなのよ。それに……」


「それに?」


 言葉を急かすと、シズ姉ぇは唇を噛んでキュッとうつむいてみせた。


「何だかすごく……気味の悪いこと言われたわ」


「……どんなこと言われたんだ?」


「えぇ~……、あんまり思い出したくない話題なんだけど……夏也、笑わない?」


「笑わないよ。だから教えてくれ。シズ姉ぇは、何て言われたんだ?」


 シズ姉ぇとて、本当はだれかに相談したかったのだろう。

 やがて彼女は一度深呼吸をすると、ばつが悪そうに口を開いた。


「――。……って、そう言われたわ……」


「死人……だって?」


「ほんっと失礼しちゃうわよねぇ、私ぁ幽霊かっつの! アハハ……」


 妙だ。

 シズ姉ぇに話しかけてきたのは、おそらくは〈ペルソナ〉の〈超我兵〉。

 奴らは戦術用〈アニマ〉の投与を受けて、並はずれた記憶力を持っているはずだ。


 一度見た地図の地形を瞬時に頭に思い描けるよう、彼らの記憶力は写真のように精巧だと言われているくらいなのに……。


(つまり〈超我兵〉の記憶違いであることは……可能性としては低い)


「し、シズ姉ぇ。〈ペルソナ〉って名前に聞き覚えはないか? 他にはなにかこう、山奥にある秘密基地みたいなものを見た記憶とか!」


「え~なにそれ? ペルソナって心理学用語でしょ。パーソナリティ、社会的な仮面って言ったっけ。それがなにか関係あるの?」


「い、いや……そうか。知らないなら問題ないんだ」


 ダメだ。情報ソースとしては〈超我兵〉の記憶の方が信頼と確証は高い!

 ではシズ姉ぇが嘘を吐いているということか?

 いや……嘘を吐く理由がない!

 あるとすれば、ただ忘れているという点のみ……。


(どうする……?)


 彼女の顔に触れ、その脳をトレースすれば、〈ゼノフェイス〉の力を使ってシズ姉ぇの情報を入手することができる。

 そうすれば、封印された記憶を思い出すことなど造作もないことだ。だが……


(シズ姉ぇの記憶、心の中には……既に孝太郎の存在が……)


 それを確認し、反芻はんすうしろというのか!?

 彼女の心を占める男の存在を、俺に直視しろと!?

 今の自分は、彼女の中でどういった存在になっている?

 完璧に昔のことなど忘れ去られてしまっているのか?

 そして代わりに、孝太郎への熱い想いを……直に受け止めろと?


(クソッ! 嫌だ。そんなことは……できるわけがない……!)


 プライベートな感情を覗く趣味はない。

 いや、違う。見たくないのだ。俺が。彼女の今の想い人のことを。


 結局その日は、それ以上シズ姉ぇに無粋なことを訊くことはできず……俺はただ運んでくれた礼のみを伝え、彼女を見送った。

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