第8話 ダストシュート

 数日後、演習を行なっている最中に僕たちは行動を起こした。

 昼時のサイレンが鳴ったのを機に、人目を避けながらキースと共に訓練場をいち早く抜け出す。


 向かうはダストシュートがあるという拷問棟。

 そこは寄宿舎から離れた別棟であるにもかかわらず、日夜悲鳴が響き渡ってくることで忌み嫌われ、誰も近寄りたがらない場所だった。


 今まで入ったこともない謎の建物。

 屋内に入ってまず感じたのは強烈なカビ臭さと、空気が澱のように沈澱して立ち込める饐えた臭いだ。

 他の建物と比べて通路のあちらこちらに排水溝があるのは、血を洗い流すことを前提とした造りなのかもしれない。

 施設内はまるで中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる設備が並んでおり、苦痛を与えるための針だらけの椅子や、焼印を押し当てるための焼きごて、しまいには観音開きになる蓋に棘が生えた処刑用棺桶……アイアンメイデンまでもが設置されているありさまだった。


 こんなところに閉じ込められた人間がどのような末路を迎えるのか、それを考えるだけで鳥肌が立つ。


「本当にこんなところに脱出口があるのか?」


「ああ、墓掘りしてたんならわかるだろ? あっちに運ばれるのはまだ綺麗な死体。こっちはもうミンチになったのを洗い流すだけだからよ」


 キースが指差した先には、さながら小型の鑿岩機さくがんきを彷彿とさせる機械があった。鉱山で岩を掘り進めるための機械を人間に使うとどうなるのか、想像もしたくない。


「そら、一番奥の部屋だ。着いたぜ」


 拷問棟の、最奥。つまりもっとも手酷い扱いを受ける被害者と、その遺体を捨てるためのダストシュートがあるとされる場所に僕らはたどり着く。


「あ、待て。扉に鍵がかかってーわ。中に先客がいるっぽいぜこりゃあ」


 キースが扉の解錠を試みようとする中、誰かの気配を感じて思いとどまる。

 室内では誰かが痛みつけられていたのだろうか?


 恐る恐る扉を開けた先、僕は全身から血の気がひく思いになった。

 半裸の男性が、むごたらしい傷跡を晒しながら鎖に吊るされていたからだ。

 苦痛の中で髪が真っ白になってしまったと思われる壮年の男。

 その顔をまじまじと見てしまった瞬間、今度は驚愕に目を見開く。

 何故ならそこには、あれほど再会を望んでいた父の姿があったからだ。


「と……父さん!? な、何なんだよコレはッ!」


 殺されたと思っていた父がなぜここに!?


 その生存を喜ぶ一方で、どうして“今”なのかという不可解な疑念が胸の中に生まれる。


 まさか、今回たまたま訪れたこんな場所にずっといたなんて……。


「……、……ッ、な……つ、ゃ……か……?」


「意識があるの!? そ、そうだよ! 僕だよ夏也だ! キース、下ろすのを手伝え!」


「お、おォ……だけどよ、ヤバイぜ? こんなところでチンタラしてる場合じゃ」


 四の五の言わずにやれ。僕の睨みに、キースは冷や汗を垂らしながらうなずく。


 赤茶けた鎖に吊された父の姿は、生きているのが不思議なほど憔悴していた。

 いったいどれほどの年月をここで過ごしていたのだろうか?

 父の痛みつけられた凄惨な容体に、思わず涙があふれてくる。

 しかしその傷跡に反して父の眼の光はまったく死んでなどおらず、むしろ凄みを感じさせながら僕の手を強く握ってきた。


「ッかは……! ぃ……いいか、良く聞け夏也!お前の母さんは、もういない……。奴らは私に、アレのありかを吐かせようと……母さんを人質に取ったのだ」


「ど、どういうこと!? 教えてよ! 何で僕らがこんな目に合うんだ!?」


「すまん……私は、母さんを守れなかった……。だが、何としてもアレは……アレだけは、奴らに手渡すわけにはいかなかった……。アレが奪われれば、世界から『信頼』という言葉は失われる。皆が疑心暗鬼になり、二度と手を取り合うことができなく……がはッ」


 父の強い眼力は、体から最期に振り絞っている気迫によるものなのか。

 吐血しながら何事かを訴えてくる父を見て、はげしい焦燥に駆られる。


 なぜだ……なぜ今なんだ!?

 こんな脱出の際に、どうしてこうも狙ったように父がいる!?

 第一、アレっていったい何のことなんだ!?


 その時、突如として施設内には警報が鳴り、脱走者を捉えるよう命令するアナウンスが響き渡る。


「おい空木夏也! まずいぜ……オレらが演習抜け出してんのがバレてる! 急げッ!」


 狼狽しながらも、キースが脱出を急かすべく声を荒げる。


「いいか夏也……。私とお前が、昔遊んだ別荘があっただろう? そこに、あるものを隠した。お前はアレを回収し、破壊するのだ。アレは、この世にあってはならぬ……!」


「しっかりしてよ! 父さん、僕もう……ワケがわかんないよっ!」


「――お前と、あの子には……辛い思いをさせるかも知れん……愚かな私を許してくれ」


 次の瞬間、閉めたはずの扉を背後から開けるべく、ドアノブをガチャガチャと軋ませる音が響き渡る。


「おいッ! ここにいたぞ! 野郎ぉ案の定、空木博士のところに来てやがった!」


「夏也っ お前はもう、先にいけ。ここは私がなんとかして食い止めてみせる……」


「いやだ! せっかく会えたのに、何で……何でなんだよっ! こんなのって、ないよ!!」


 なぜ。

 どうして。

 ずっと自分の中に燻っていた感情が、再び爆発する。


「行くんだ夏也! お前には為すべき事がある! そして、あの子も救ってやってくれ!」


 ドン! と体当たりされ、ダストシュートの中に突き落とされる。


 そして次の瞬間、ドアが勢いよく開く音と共に、直前までいた部屋で何発もの銃声が轟くのが聞こえた。


 凶弾の音と、くぐもった父の声。

 僕はギュッと目を瞑り、歯を食いしばるしかない。


(父さんッ、父さん! ちくしょう、ちくしょう……ッ!!)


 落下していく浮遊感と、次いで水面に叩き付けられる衝撃。


 そしてすさまじい勢いの濁流だくりゅうに呑まれながら、僕はただ父の無事だけを祈っていた……。

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