毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ

序章 ―毒―

序章―毒― 1

 如月十五日、一人の少女が宮中に出仕する。毒について造詣が深いという藤原家の娘の元へ、参内の要請があったのは、つい数日前のことだった。ろくな準備の期間も与えられないまま、少女は宮中に上がることになった。



 宮中の西寄りにある、清涼殿せいりょうでん。帝の日常の居所である。多くの儀式は紫宸殿ししんでんにて行われるが、叙位や除目などの人事的なことの一部はこの清涼殿でも行われる。帝が側近たちを集めての相談事や会議にもしばしば使われる。今日はその両方、と言ったところだろう。


 たちばなの俊元としもとは、招集された面々を見て、悟られないようため息をついた。彼ら二人を相手取るのは、疲れるのだ。だが、ここを越えねば始まらない。俊元は、五位を示す浅緋色の袍を整え、姿勢を正した。


「橘侍従じじゅう殿、今回は毒に関する調査を行うのですぞ。それを医師や陰陽師ではなく、ただの娘を参内させたとか」

主上おかみの乳兄弟だからと言って、怠慢は許されませぬぞ」


 何かあるとすぐにこれである。帝は、奥で脇息にもたれかかり、側近たちの会話を聞いているのだが、このお決まりの小言に愉快そうに笑っている。咎めるでもなく、面白がっているのだ。俊元とて、この程度のこと気にはしていないが。


「此度、参内する藤原の娘は、毒について大変知識が深く、誤って毒草を口にしてしまった者たちへの対処法を教授したり、注意すべき動植物についても知らせておるようでございます」

「しかし、それは口伝てで、本人に会った者はいないのであろう」


 貴族の娘がめったに外に出ず、人と会うことがないのは、珍しいことでなくむしろ常であるというのに。揚げ足取りが面倒で、俊元はそれを流した。もう一人がそういえば、と口を開いた。


「その娘、毒小町だという噂を聞きましたぞ」

「毒小町?」

「生まれつき体の一部に毒を持つ娘のことで、たいそう美しいらしいのです。が、専ら密殺者として利用されると」

「何を言い出すかと思えば、それは作り物語であろう。女房たちに触発されて読みふけっている場合ではないぞ。正月にあのようなことがあったのだからな」


 僅かに帝の纏う空気が鋭くなった。側近たちが、身を固くして口をつぐんだ。迂闊にその話題を出したのが間違いである。笑みを消した帝が身に纏うは、紅の長袴、白色の直衣のうし。これらは帝にのみ許された装束であり、この宮中で頂点に立つ者を示す。


 御簾の向こう側から、お連れいたしました、という女蔵人にょくろうどの声が聞こえてきた。許可をして、御簾を上げさせた。梅の表着うわぎがさらりと揺れるのが見えた。梅の重ねは、表地に白、裏地に蘇芳を配したもので、裏の蘇芳が白に透けるようになっている。役職を持たぬ女官とはいえ、宮中に仕える女官、春らしい華やかな色を身に纏っている。女蔵人が一礼し、その場を去り、入れ替わるようにして件の少女が姿を現した。


「なっ……」

 側近たちが声を失った。


 少女は、唐衣からぎぬをふわりと翻して、俊元らがいる昼御座ひるのおましの前の簀子に正座をし、膝の前に手をついた。声を失わせたのは、その流れるような所作ではなく、彼女が身に纏っている装束ゆえだった。重ねて色目を作る五衣いつつぎぬ、その上に着る表着、腰から下に流れる、そして一番上に羽織る唐衣にいたるまで、濃淡はあれど、全てが鈍色にびいろなのである。鈍色は、通常身に着けず、喪に服す時もしくは出家した者が着用するものだ。


「……不吉な」

 そう呟く声が聞こえた。おそらく彼女にも聞こえているだろうが、別段反応は示さなかった。歳は十六と聞いていたが、その顔に幼さはあまりなく、完成された美しさがあった。佳人と表現するのが相応しい。


「少納言・藤原倫成ともなりが娘、参上いたしました」

 声には少し幼さが残っているように聞こえたが、帝の前だというのに、堂々としたものだ。

 俊元は、その場の進行役らしく立ち上がり、彼女に語りかけた。


「よく参ってくれました。あなたにはある毒についての調査をしてもらいたいのです」

「……はい。かしこまりました」

 帝の御前で、要請に逆らうことなど出来ないだろう。このやり取りは形式的なものに過ぎない。詳しい説明はまた改めてすることになるだろう。


「では、ここはひとまず」

「待て」

 先ほど毒小町の噂を作り物語と一蹴した側近が口を挟んだ。


「そなたの噂についての真偽を問う」

「噂、とは」

「毒小町と呼ばれ、体の一部に毒を持つという噂だ」


 否定しておきながら、気になっていたらしい。口調は強いものだが、もしも本当ならばという恐れが滲み出ている。彼女を遠ざけるように、体が斜めになっているのだ。


「その噂は偽りでございます」

「そ、そうか」


 あからさまに安心した表情を浮かべる側近は、噂の出所であるもう一人に咎めるような視線を送っていた。送られた方も、謝る素振りを見せながらもほっとした様子だった。


 だが、緩んだ空気は彼女の次の一言で凍てつく。


「体の一部、ではございません。わたしの全てが毒でございます。この肌や髪、爪の先にいたるまで、死に至る毒でございます」


 見て分かるほどに、側近たちの顔から血の気が引いた。事前に知っていた俊元でも、彼女の淡々と告げるその声に気圧された。ちらりと帝を見れば、口端を上げて笑っている。彼女を見て、というよりは先ほどから感情が忙しない側近たちを見て面白がっているらしい。全く、いい性格をしていらっしゃる。


「お、主上の御前で、嘘をつくは不敬であるぞ!」

「真実を申し上げております」

 勝手に激昂する側近に対して、彼女は淡々と返している。

 ふと、鶯の鳴き声が聞こえてきた。見れば、彼女の背後にある高欄に、一匹の鶯が留まっている。


「ほう、鶯か」

 それまで静観していた帝が、ゆったりと立ち上がった。上げ切った御簾を、首を傾けて、くぐり、彼女の目の前に立った。


「主上、幼い頃から慣らしておいでで、毒が効かないお体とはいえ、不用意に近付いてはなりませぬ……!」

 そう言いつつも、彼らはその場から動こうとしない。俊元は、それを視線で非難しながら前を通り、帝のすぐ後ろに控えた。彼女の表情が良く見える。帝がわざわざ近くまでやって来たことに、さすがに驚いている様子だった。


「毒小町よ、毒に詳しいという評判も、信じてよいな」

「はい」


 彼女は、驚きながらもすばやく頭を垂れた。黒髪が肩を撫でてさらりと滑り落ちる。彼女の美しさの一端を担っているその見事な黒髪にも毒があるのだという。間近で見ても、実感はなかった。


 そのような者に調査をさせるなんて、と俊元の後ろで騒ぐ声が聞こえてきた。が、それをかき消すほどの声が、庭から飛び込んできた。

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