第31話 素質


 ただの黒い影から何十本もの腕が飛び出している禍々しい姿である。


 「そうそう、これこれ。黒い影を見たっていうならきっとこれだね、チヨコ君が行き会ったっていうのは」


 「はい…私が見たのもこんな恐ろしい見た目をしていました…………。ですがこんな写真をどこで………。一体白井先生は何者なんですか」


 チヨコはますます白井の正体が分からなくなった。


 チヨコの行き会った黒い影はとても直視できるものでは無いにも関わらず、その写真を手に入れているとはただものではない。


 「僕は医師という職業の傍ら妖魔という存在について研究しているだけだよ。研究しているのだから僕よりも一般人の君の方が知識が合ったら困るだろう。これらの写真だって、そりゃあいろんな場所から集めてくるさ。…………それにしても、チヨコ君は先程からこの黒い影について見たことがあると言っているけれど、実際に目で見たのかい?まぁ、この写真を見てこれだと言っていることが唯一の証拠なのかもしれないけれど………」


 白井はリンの方をちらりと見た。


 リンは何か言葉を求められていると感じたのか、一つ咳払いをしてから白井の言葉を補った。


 「本来その妖魔は知識のない人間が視認できるようなものではないのだ。巧みに人の心に付け入り、惑わし、そして振り向いたら最後、数十本の腕が全身を影の中へと引きずり込む。その影を文字通り『見る』ことは実際に不可能。だからカメラのレンズを通して写真を撮ることは出来ても直接視認することは不可能なわけで、白井さんはそれを君がどのように見たのかを聞きたがっている」


 リンが長々と話すのを初めて聞いたのでチヨコは多少面食らったが、今はそんなことにいちいち驚いている場合ではない。人なのだから話すことは当然である。


 「確かに、背後からずっと『振り向いて』と呼びかけられていました。でもやっぱり振り向いてはならないと本能的に感じて振り返ることはしませんでした。それで、どのようにして影を確認したかというと、道路にあるカーブミラーと、最終的にはカバンの中に入れていた手鏡で背後を映して確認しました」


 チヨコがいうと白井は感心したように手を叩いて納得したという表情を浮かべた。


 「いやぁ、最初に何の知識もなくそれをやってのけるんだからね。これはあっ晴れだね。素直に感心するよ。やっぱりチヨコ君はいい意味で普通じゃないよ。鏡ね、鏡を通した虚像ならば影を見ることができる。それで対処をしたわけか」


 「………妖魔というものが存在するというのは一旦認めるとして、それでどうしてリンさんや白井さんは私がそのようなものに行き会い、そしてここへやってくると分かっていたのですか」


 チヨコが見たものが妖魔という存在で、白井やリンがそれについて調べているということは理解できたが、やはりそれでも彼らがどうやって予言めいたことを言っていたのか分からない。


 「どうして君がここに来るのが分かっていたのか、さっきの言い方だと確かにまるで僕が分かっていたようなニュアンスで取られてしまっても仕方なかったね。それは悪かったよ、訂正しよう。正確には、ここに君が来ることを予測していたのはリン君で、僕はそれを裏付けたにすぎない」


 「それでは、分かりません……」


 チヨコがさらなる説明を求めると、白井はまたしてもリンを見た。


 白井は本来口下手なのか返答に困るとリンを見る癖があるらしい。無口ではあるが、確かにリンの方が要領を得た回答をしてくれる。


 「私はヒトより鼻が優れる。それはただ匂いに敏感とかそういった類のものではない。感覚的なもので、言語化するのは容易ではないが、敢えて言うのであれば素質のある人間を嗅ぎ分けられるといったものだろうか」


 「……何の素質ですか」


 チヨコが聞くとリンは白井を見た。

 

 チヨコの質問に答えて良いかを目で訴えているようである。


 「何の素質かはまだ言えない。というか、僕たちが敢えて隠しているとかじゃなくて、本当に曖昧なものなんだ。ただ、実際にチヨコ君は妖魔と遭遇したし、それに対してきちんと一人で対処した。それだけで十分に他の人間にはない『素質』ってやつを持っていると僕は思うけどね。それで納得してはもらえないかな?」


 チヨコは当然納得などできはしなかったが、それは呑み込んで話を進めることにした。


 「…………はい」


 「それでね、リン君が君を嗅ぎ分けたわけだ。それでね、失礼ながらチヨコ君こと、家族のこと、友人こと色々調べさせてもらったよ。そしたらどうだ、まさかあの山本ミドリと幼馴染、そして今も浅からぬ関係にあるというじゃないか。この情報は僕たちにとって僥倖だった。いや、僥倖ではないな、だからこそ君には素質があったっていうべきなのかな。さっきの話に戻すと、君には素質があったんじゃなくて、君だからこそ素質があったんだね」


 チヨコは白井が自分の近辺のことを調べたと言ったがその程度ではもはや驚かなくなっていた。


 妖魔などという未確認の存在よりも信じがたいものなどもはやありようもない。とはいえ、ミドリの名前が白井の口から飛び出したことには多少面食らった。


 だが、思い返してみれば不可解な点があった。


 「私の身辺を調べたというのは見逃しておきます。ですが、リンさんが私を嗅ぎ分けたというのであればそれは初めて会ったここのロビーでのことですよね?」


 チヨコはリンの方に質問した。


 「……それであっている」


 「それならば、私が初めてリンさんに会った時にミドリの病室を聞かれたということは、私に会う前から白井先生もリンさんもミドリのことを知っていたということですか」


 「そうだよ。正解。そもそも僕たちの本来の目標は、山本ミドリを僕たちの組織に組み入れることにあった。それなのにねぇ、先を越されちゃったね。まったく、嫌になるよ」


 白井は両手をひらひらさせて困った、というポーズをとったが、チヨコにはまたしても何を言っているのかさっぱり分からなかった。


 「白井さんの組織って………。それに、先を越されたって何に先を越されたんですか」


 「僕たちの組織はー……、って言っても僕とリン君の二人だから組織って言えるほどの規模じゃとても無いんだけどね。要するに妖魔を研究してその出所を探っている組織だね。そして僕たちから山本ミドリの存在を横取りしたのが…………」


 白井はいつも通りにやけた不真面目な顔を浮かべてはいるが、目は全く笑っていない。


 「…………観測者だ」

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