第24話 切り替え


 ☆


 ターニャに指示されて教会の庭で育てている消更草を取るために外へ出てきたルナとアンリだったが、草を摘むのをルナに任せてアンリは石段に座ってずっと心は上の空でいる。


 「アンリ、少しは手伝ってよ」


 先程からルナは一人で消更草を摘んでは駕籠に入れてを繰り返していたが、遂にアンリに対して文句を言った。というのも、アンリの様子が何やら普通ではないのでそっとしておいたが、何も仕事をせずにボーっとされていては堪らない。


 だがアンリは空返事を返すだけで一向に動き出そうとしない。


 その様子を見てルナも一旦手を止めてアンリの隣へ移動し、同様に石段に腰かけた。


 「アンリ、どうしたの?ミドリと何かあったの?」


 近くまで来て聞くとようやくアンリはまともに口を開いた。


 「何もない。本当に何もない。ただ自分の惨めさを思い知っただけさ」


 アンリは足元に落ちていた石を遠くへ投げつけてその軌道を眺め、再び足元に落ちている別の石を拾い上げて同じことを繰り返した。


 「どうしたの?らしくないよ」


 「どうしてルナはあんな事があったのに平気でいられるんだ?」


 「だって、あの化け物が現れて、ミドリが目を覚ます今日までもう丸4日も経っているのよ。ミドリは目が覚めたばかりだからあの日の続きのように感じているだろうけど、私たちはもう立ち直って普段の生活に戻らなければならないわ。不幸中の幸い、なのか分からないけど皆無事だったんだし今はそれでいいじゃない。だめ?」


 丸4日、これだけの日数が経過すれば心の傷や衝撃は癒えなくとも元通りの生活に戻ることは可能である。悪い夢でも見ていた、そう思うことで過去とある程度のところで折り合いをつけてやっていかねば先へ進むことは出来ない。ルナはそれをきちんと実践していた。


 ただ、それが出来たのは三人とも命が無事だったからに違いない。


 もしもミドリの目が覚めないなんてことがあればきっとルナも平常心ではいられなかっただろう。


 「僕はあの時、必死に逃げる事だけを考えていた。逃げたって無駄だって分かっていたのに逃げる事しか頭になかった。それは化け物から逃げるというよりは、どうしようもない現実から目を背けようとしていただけだったんだ。ミドリの話を聞いてそれを実感したよ。そして思い知らされた。僕はどうしようもなく情けない。逃げることで考えることを放棄しようとしていただけだ。覚悟を決めて化け物に立ち向かう勇気すらない」


 「アンリ、考えすぎよ。アンリだって弓を使って立派に戦ったわ」


 「違う、弓を使えって言ったのもミドリだ。僕は恐怖で弓を使って戦うなんてことすら思い浮かばなかった。実際に僕の弓は微塵もあの化け物に効果はなかったじゃないか」


 アンリは話せば話すほど卑屈になっていき、自分を卑下するようになっていった。


 ルナは黙ってアンリの話を聞いている。


 「正直ミドリは凄いよ、あんな化け物に怯まずに戦ったんだ。僕とは比べ物にならない。僕みたいな腰の引けた人間はあの時でなくともいつかああいうときに何もできずに死んでいくんだろうな」


 「アンリだけじゃないわ。何もできなかったっていうなら私も同じよ」


 「ルナは女の子だから………」


 アンリがそう言いかけるとルナは彼の頬を勢いよく叩いた。


 アンリは驚いた顔をして隣のルナを見た。彼女の顔は怒ってもおらず、ただ冷静に冷たい表情をしている。


 「私、男だから、女だからって言い方をされるのは嫌いよ。謝って」


 「ごめん…………」


 アンリも言った直後にハッと気付いて言ってはいけないことを言ってしまったと反省したのだろう。素直にすぐ誤った。


 アンリが謝るとルナは表情を元に戻していつも通り柔らかい優しい雰囲気に戻った。


 「アンリ、あなたはミドリとは違うわ、それと同じように私とミドリも違うし、私とアンリも違う。ミドリや他の誰かと重ねて自分を卑下すること何もない。確かにミドリは勇敢に戦って私たちを守ってくれたわ。ミドリが言うみたいに自分自身の為に戦ったのだとしても結果として私たちを守ったことに変わりはない。それ自体を否定することは出来ないし、する必要はない。でも、私はミドリの行動が全て正しいとは思わないわ。いえ、言い方を変えるわ。ミドリの行動は正しかった、でもそれと同時にあの化け物から逃げようと何とか考えるアンリも正しいの。誰もが自分自身の中に正解を持っていて他の誰かがそれを汚すことは出来ない、許されない。自分で自分を卑下するなんて以ての外よ。自分が自分を誇ってあげなきゃあなた自身が可哀そうよ」


 ルナは優しく語り掛ける。


 「あの場所にいたミドリは私たちのヒーローだった。でも、誰もが勇敢に化け物に立ち向かえるわけじゃない。アンリはアンリの尊い考えを大事に持てばそれでいいのよ。もしかしたら必死に逃げていれば奇跡的に逃げ切れるかもしれないし、抜け道を発見できたかもしれない。ミドリは逃げることは意味が無い、逃げる事だけはだめだって言ったみたいね。私もその意見には賛成よ。逃げても、それは目の前の困難に対する対応を先延ばしにしているだけで結局は逃げれていないのよ。でも、アンリの逃げようとする気持ちはそんな困難から目を逸らすためだけの逃走だったのかしら。必死に生きようとして、打開策を見つけようとして、そのための手段としての逃げる行為までを愚かだとはミドリも考えてはいないはずよ。アンリがただ目を背けるためだけの逃走をしようとしていなかったことくらい私は知っているわ」

 

 そして最後に一言付け加えた。


 「私はアンリを誇らしく思うわ。自分で自分を惨めだなんてお願いだから言わないで」


 アンリはルナの言葉を最後まで聞き終えると手の中で転がしていた石をゆっくりと足元に置いた。


 「…………ありがとう、ルナ。僕は、自分に恥じない人間になるよ………」


 「それは私もよ。…………さぁ、暗い話は終わり!ミドリも目が覚めたんだし、さっさと消更草を摘み終えて会いに行きましょ。アンリは最初にさぼった分があるから私の10倍は摘みなさいね!」


 ルナはアンリの言葉を受けて笑顔で切り替えた。


 「ちょ、10倍はないだろ!せめて倍くらいにしてくれよ!」


 「だーめーよ。さぼった罰なんだから」


 「…………ハァ。まぁ、やるか!」


 アンリは目を覚ましたミドリと、そしてルナと会話をしてここ数日抱えていた気持ちが少しだけ晴れた。


 とはいえ、その心の靄は完全には晴れることはなかったが、今ここでくよくよと考えても答えが見つかるものでもないことはアンリにもよくわかっていた。


 気持ちを切り替えて草を摘むのに取り掛かった。

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