第17話 咆哮


 ミドリはルナとアンリが何かがおかしいと口々に言うのでもう一度よく鍾乳洞の様子を観察した。


 だが、いくら見てもミドリにとっては美しい光景である以外には何も分からない、そう思っていたが一瞬視界の端で動く影が見えたような気がした。


 その動く物体の方向へと視線を向けると、それは透明な鍾乳洞の後ろにいるらしく、その影が透けて見えていたものだった。


 「ルナ、アンリ!あの鍾乳洞の陰に何かいる!」


 「何ッ!?」


 アンリはミドリの指さした方向を見ると確かに巨大な鍾乳洞の後ろにうごめく影が存在した。その影のシルエットは鍾乳洞越しで光が屈折しているために形が歪んでいて正確に何がいるかは分からないがそれでも大きさの予想はおおよそつく。


 天井の高さは目算でおよそ5メートル、そして影の大きさはその半分ほどはある。少なくとも人間ではないことは明らかである。


 洞窟ということを考えれば熊か、それとも猪か、ゴリラか、オランウータンか、それとも……。


 三人は用心深くその影を観察しているが、謎の影の方はこちらの緊張など知らぬ存ぜぬという素振りでゆっくりと動き始めた。そしてその影は鍾乳洞の後ろの陰からのっそりと出てきた。


 「あれは何!?」

  

 まずはルナがヒステリックな高い声を上げた。


 アンリとミドリは声を上げなかったが、だからといって決して驚かなかったわけではない。彼らは彼らで衝撃で声が出なかったのである。


 それもそのはずで、鍾乳洞の柱と岩陰の間から姿を現したのは巨大な人間だった。体の輪郭が巨大に見えていたのは透明な鍾乳洞を通した光の屈折で姿がぼやけていたからではなかった。その身長は正に3メートル弱はあろうかという巨体である。


 腕は異常に長く、腰を曲げてのっそりと動いている。体毛は毛深くまるで巨大な猿かのような見た目をしている。


 「あ、あれはビックフット、か?」


 ミドリはその見た目からふと思いついたものを呟いた。


 「なんだミドリ、ビックフットって」


 「いや、ビックフットっていうのは空想上の生物で実在はしないはずなんだ。未確認生物って言って……。ただ、今あそこにいるあれはビックフットに似ているんだ。信じられない」


 その巨大な人間のような猿のような見た目をした生き物は三人のことに気づいていないのかどこか違う方向に向かって動いている。


 「あれ、私たちのことに気づいてないのかしら。大きな人間のような姿をしているけれど動きとかは猿みたいね」


 ルナは巨大な人間もどきがゆっくりと動いてこちらに気が付いていない様子から少しだけ警戒心を解いた声音でそう言った。


 「でも、何か危ない気がする。とにかく気付かれていない今のうちにここを離れた方がよさそうだよ。あんなでかい生き物見たことないし不気味だよ。妖魔だったらどうするんだ?昼間とはいえここは洞窟なんだ、僕たちに危害を加えないとも限らない」


 アンリは慎重に状況を見極めて何か起きないうちに撤退することを提案した。


 ルナとミドリもその意見に反対するところはなく、そうと決まればなるべく静かにその場を離れるように足取りは自然と忍び足で後退ったがすぐに三人は足を止めることになった。


 「ひっ」


 ルナが突然息を詰まらせたような声を上げたので、ミドリとアンリは何が起きたのか分からずルナの方を見ると、彼女はあの巨大な生物を見て目を見開いていた。彼女につられて二人もそっと人間もどきの方を見ると、人間もどきも顔だけを三人の方へ向けてじっと見つめ返していた。


 「なんだ、こっち見てるぞ」


 「あぁ、見てるな」


 「どうすればいいんだ?」


 「アンリの方がこの世界については詳しいんじゃないのか」


 「いや、僕もこんな生き物は初めて見るんだ、どうしたらいいか分からないよ」


 ミドリとアンリがじっと見つめてくる人間もどきを前にしてどうしたらいいかと動き出さないことをいいことに悠長な話をしていると、ルナが叱りつけるように叫んだ。


 「逃げるにきまってるでしょ!!」


 ルナはにらみ合いに堪えきれなくなったのか悲鳴のような声を上げて洞窟の入ってきた方向へと走り出したが、その声に触発されたのか人間もどきも動き出した。


 ミドリとアンリも逃げ出してしまったルナを追いかけて走り出したが、背後から人間もどきが洞窟内に響き渡り地響きを起こすような、「ブォォォオオ」という大きい唸り声を上げた。その唸り声でもはや人間もどきは確実に人間ではないことを三人は悟った。


 そしてルナとアンリは一目散に反対側へと走っているが、ミドリは爆音の唸り声が聞こえた背後に危険を感じて振り返ると、人間もどきが巨大な鍾乳洞の柱をへし折って槍のようにミドリたちに向けて構えているのが見えた。


 「……ッ!!危ないッ!」


 ミドリが前を走る二人に呼びかけると同時に人間もどきは構えた2メートル近い鍾乳洞の結晶の柱をやり投げの要領でルナにめがけて勢いよく投げつけた。


 「え、」


 ルナもアンリもミドリの警告に対して足を止めて振り返ると、もうすでに結晶の槍は投げられた後で、必死の形相で手を伸ばすミドリの背後から巨大な尖った柱が飛んでくるのが見える。アンリはそれを見るとすぐに壁際へと体を躱したが、ルナの方は驚きで体が動かなくなってしまっている。目の前に迫るものにルナは体を震わせて立ちすくんでしまっているし、アンリは壁際に躱してしまってルナを助けるには距離が離れてしまっているし、第一槍の着弾までの時間はもうすでにゼロコンマ数秒である。


 この場で助けられるのは自分ただ一人だと察したミドリは、背後から飛来する巨大な槍がどの程度迫ってきているのか分からないが一か八かルナを助けるために思考を切り替えた。


 そしてルナまでの距離が2メートルほどのところでミドリは彼女の腰辺りめがけて飛び込むように跳躍して抱き着くと、素早く体重をかけて地面に倒した。その際に右手を彼女の後頭部に、左腕全体を彼女の腰から背中にかけてクッションにするように下敷きにして倒れこんだ。


 結晶の槍は間一髪で二人に直撃することなく奥の壁に激突して粉々になった。


 「うっ…………」


 「大丈夫か!ルナ!」


 アンリが倒れこんだ二人の元に駆け寄る。


 「わ、私は大丈夫よ、アンリ」


 「大丈夫って、大量の血が出ているぞ!」


 「これは」

 

 アンリがルナのドレスの腰辺りを指さすと、確かにそこには生暖かい血の染みがべっとりとついていた。彼女の手や腕にも同様に血がついている。


 「でも、これは私のじゃない…………」


 二人は今度勢いそのままにルナの横に倒れたまま未だ起き上がっていないミドリの方へと視線を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る