影絵ウサギ 4
数日後。公園に行くと、久しぶりにレンズの姿があった。相変わらずの物憂げな顔で、ゆらゆらブランコを揺らしている。知らない人が見たらそういう種類の幽霊がなにかだと勘違いされそうだ。レンズの顔立ちはどちらかと言えば暗いほうだし、日焼け知らずの顔は白い。黒い服を好んで着ているのもあって、どことなく霊的なものを感じさせる。そこに神秘性を見いだすものもいれば、恐怖を覚える人もいる。もちろん、なにも気にしない人も。同じ顔でも、受ける印象はばらつきがある。それは観測した側の思想や価値観に拠る個人差だ。だからどれが正しいというものでもない。
「レンズ。大丈夫か」
「大丈夫よ。どうして?」
「少し、具合が悪いように見えた」
「そんなことないよ。今日はむしろ、元気な方。半日しか行ってないし」
レンズは不思議そうな顔で僕を見上げる。その顔に、嘘や取り繕いの類いは見当たらない。どうやら、僕の気のせいだったようだ。こそこそと悪さをしているという罪悪感が見せた幻覚かもしれない。
「それより、ねえ、先週」
「うん?」
「変なことがあったんでしょ。聞いたよ」
「……ああ」
レンズの言う『変なこと』は、先週の金曜日に発生した事件のことだ。四方を校舎に囲まれた中庭。その真ん中に鎮座する噴水に、浮き輪三つが浮いていたという、ささやかな事件である。発見者は園芸部の部員数名。早朝に花壇に水を撒くために中庭に向かい、ぷかぷか浮かぶ浮き輪を発見した。
騒ぎは中間テストの二日目の朝というタイミングだった。大きな騒動にはならなかったものの、集中を削がれて結果が出せなかったとぼやくクラスメイトもいた。実際に影響があったのか、それとも不勉強の言い訳なのか。判断に困る。
「なんで噴水なんだろうね」
「?」
「浮き輪なら、プールじゃないのかな」
「プールは、監視カメラがある」
噂では数年前、授業の様子を盗撮する不審者が出てから設置したと言われている。これ見よがしに設置された物々しい監視カメラは、明らかな威嚇の意図がある。よく観察すれば死角があることは明らかなのだけれど、それでも悪戯を躊躇させるだけの威圧感はあった。
「知らなかった。カメラなんてあったんだ」
それはそうだろう。レンズは中学に上がってから、水泳の授業は一度も参加していない。
「最近、変なこと多いね。落書きとか、てるてる坊主とか」
「そうだな」
落書きは、ここ三ヶ月ほどの間に校内で起きている別の悪戯だ。油性のマジックで、あちこちに動物の絵が描かれている。絵と言っても手の込んだものではなく、かなり簡略化されたイラストだ。だがそれ故に描き手の特定は難しい。早ければほんの数秒、手間取っても一分程度の時間があれば描けるような絵だ。今のところ、目撃者は一人も出てきていない。
てるてる坊主も、やはり悪戯である。校内の各所にいつの間にか置かれている、というだけの話なのだが、こちらも犯人は不明。最初はただ置いてあっただけなのだが、そのうち妙な噂が広がった。最初に見つけた人には幸運が訪れるとか。逆に、見つけると不幸になるというパターンもある。最近では、自分の机に置かれていた場合は新しく五体のてるてる坊主を作って校内の何処かに置かないと不幸になる、という不幸の手紙じみた噂まで広がっている。
このほかにも、ささやかな悪戯が校内で見つかることが、ここ最近増えている。
「犯人、誰なんだろう?」
「さあ」
「生徒なのかな、やっぱり」
「校内のことだし、そうなんじゃないか」
「先生がやってるってことは、ないのかな?」
「なんのために?」
「うーん……ストレス発散?」
「大人なら、もう少し別の方法で発散できると思うけど」
「学校に迷惑をかけることでしか解消できないストレスだって、あるかもしれないじゃない」
「それはまあ、そう。でもそれは、先生に限った話じゃない」
「そうね。生徒だって、学校に対して不満や不安があってストレスを溜めることはある。──たとえば、私みたいに」
自嘲するような顔でそんなことを言うものだから、僕は少し驚いてしまった。
「……もしかして、自分が疑われてるんじゃないかって、思ってる?」
「少し。私、友達いないし」
レンズの言葉に、僕はつい笑ってしまった。
「今の、笑うところ?」
「いや、ごめん。でもレンズが疑われることはないと思う」
「どうして?」
レンズは不思議そうだ。
僕としては、なぜ不思議そうなのかが不思議なのだけど。
レンズは、見た人をざわつかせる卓越した画力の持ち主だ。──悪い意味で。新入生歓迎会のレクリエーションで猫の絵を描き、全校生徒を絶句させたのは記憶に新しい。そんな彼女を疑う人間がいるとしたら、それはレンズの描いた猫という名のナニカを知らない人だけだ。
「その──ほら、レンズが登校してない日も、落書きは見つかってるだろ。レンズがわざわざ落書きのためだけにこっそり学校に来るとは、みんなも思わないんじゃないか」
「そうかなあ……」
レンズは不安そうな顔で、地面を軽く蹴った。その横顔に、胸が微かに痛んだ。
「もしレンズを疑う人がいたら、僕が否定しておく」
気休めにもならないが、それでも僕がそう言うと、レンズは口元を緩めた。雨上がりに咲く花のような──という表現は、さすがに僕の目に掛かったフィルターが強烈過ぎるかもしれないが──可憐な微笑みだ。
「ありがとう、ヤマヤドリ」
うん。
やっぱり、レンズには笑っていて欲しい。
西日に照らされた微笑みを見て、僕は改めてそう思った。
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