ユグドー、迷って彷徨う編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 龍族は、黄金を好んでいる。それは、愛と呼べる領域のものだろう。


 第二の心臓。活力の源とも言える。


 精霊世界リテリュスにおいて、金と黄金とは別物である。


 金は、自然が作り出す金属の一種。


 黄金は、龍族が育てる黄金樹に実る果実のことだ。


 果実といっても、食べることはできないらしい。


 その代わりなのか、黄金には、膨大な魔力が含まれているようだ。


 それが、龍族の力の源になっている。


 龍は、生まれたときに黄金樹から取れる果実が与えられるのだ。


 人間は、黄金を金よりも価値のあるものだと信じて疑わない。


 多くの国や組織が、求めてきた。


 しかし、龍族に守られているために人間が手にすることはない。


 龍族と黄金の出会いは、リテリュス神話期までさかのぼる。


 転輪聖王リュンヌは、月の欠片を龍族に授けた。


 龍族は、月の欠片を他種族から守るために龍族の里の中心に埋める。


 そこから、最初の黄金樹が生えたと言われているのだ。


 黄金樹は、月の欠片と瓜二つの果実をつける。龍族は、それらを大切に管理してきた。


 やがて、森と呼べるまでに成長する。サーラソーの森と名付けられた。


 神話には、黄金がよく登場する。あの夜空の月でさえ、青色ではなく黄金の色だったらしい。


 リュンヌの髪色も黄金色。


 人間が、リュンヌの腹心である大盾の乙女を神格化するのは、同じ髪色だからだ。


 龍族にとっても、黄金樹は神からの贈り物だが、それだけではない。


 今は、地上に亡き神の力の根源。リュンヌ神の思いが込められた親の形見のようなものだ。


 自分たちこそ、転輪聖王リュンヌ神に認められた正当なる後継者の証なのである。


 だからこそ、人間は黄金を喉から手が出るほどに欲していた。


 だからこそ、龍族は人間を最大の敵として認識していたのだ。


 両者は、互いに神の後継者を主張してきた。睨み合い、憎しみ合い、敵対する。


 ユグドーの青年期は、不倶戴天の敵ともいえる両者の争いの絶頂期であった。


 触手王ルロワが求めた龍族の姫は、人が手にすべきものであったのか。


 イストワール王国は、その答えを知ることになるのである。



✢✢✢



 ユグドーは、考えを巡らせる。


 この大霊殿を黄金に染める。そんなことができるのだろうか。


 金色に塗り替えるには、外壁に金箔を貼ればいい。しかし、それほど時間はない。


 魔術ではどうだろう。物体を金に変える魔術があると、どこかで聞いた気がするのだ。


「わたくしは、このままでも十分ですわ。あまり無理をなさらないでください。ユグドーさん」


 ユグドーは、マリエル夫人を見た。失望感から発した言葉ではないように感じる。


 ここで、妥協しても問題はないだろう。


 もうすぐ、アーデルハイト王妃がお越しになる。それまでに、終えなければならない。


(でも……。妥協は、逃げることにならないかな。僕は、もう逃げたくはない)


「ユグドー、マリエル様もこう仰ってくれているんだ。お前は、立派な仕事をしたんだ。ここが、引き際だと思うぜ……」


 ディアークは、労うようにユグドーの肩に手を置いた。表情は、硬く声は低い。


「残念だな。ユグドー。君の愛とやらは、その程度か? 方法はあるんだがね。オロルの森に黄金の蝦蟇がいるんだ。蝦蟇の油であれば、この屋敷を黄金の色で染めることができるだろう……」


 ノルベールは、大霊殿を指で差した。ユグドーを見ると、落胆したような顔つきをする。


「閣下……。オロルの森には、魔物が生息していますわ。無理強いは……」


「マリエル。我は、ユグドーに聞いている。君は、君の使命を果たすんだ。今は、それだけを考えるべきだよ。どうする? ユグドー」


 ユグドーは、考えるふりをした。


 答えは決まっている。可能性があれば、挑戦すべきだし、してみたい。


 オロルの森は、ここから近い。上手く行けば、日帰りできる距離である。


 マリエル夫人、ディアークは、ユグドーを心配してくれたのだ。


 考えるふりをしたのは、二人の気持ちを踏みにじる気がしたからだ。


 答えは、先ほどのノルベールから提示された可能性を聞いたときに決まっている。


「やります。方法があるのなら、全てやりきりたいです。悔いのないように……」


「はは……。そうだな。そうだったな。あぁ……やろうぜ。オロルの森に生息する魔物は、それほど強くもない」


 ユグドーの決意を聞いたディアークは、制しかけた手を元に戻した。


「というわけだ。マリエル。人には、それぞれ成すべきことがある。ユグドーには、ユグドーの。マリエルには、マリエルの。それだけだ」


 ユグドーは、疑問が浮かんだ。なすべきこと。それは、やりたいこととは違うのだろうか。


 今までの旅を思い返す……


 安住の地を求め、困った人を助けた。


 巫女姫を使命の縛りから解放する。そのための力を求める。そして、マリエル夫人。


 ユグドーの目的は、未だに定まっていないというべきである。


 物語の主人公には、明確な目標があるではないか。それは、現実の人々も同じだった。


 今まで、見て来たもの。


 ユグドーには、持っていないもの。


 彼らは、何かをなすことのできるものたちだ。


 目指すべき道を持ち、それに真摯に向き合っているものたちなのだ。


 ユグドーは、それらの人々と自分をどうしても比べてしまう。


 心の奥底にもたげた焦燥感。大霊殿を黄金に染めることで、何かが変わるのだろうか。


 心に生まれた愛をどうすべきなのだろう。脳裏に焼き付いたあの映像。


「ユグドー、君にとっていいことがある。ルロワ陛下もお喜びになるということだ。この屋敷を黄金に変えたのは、イストワール王国軍とは関係ない一人の青年。つまりは、ユグドーだ。そこに意味がある。きっと、王妃陛下からも褒美が与えられるさ」


「そうですわね。そうしなければなりませんわ……。結果的に」


 マリエルは、表情は硬い。両腕を抱えるような仕草をした。


 何か気がかりでもあるのだろうか。


 しかし、ユグドーにはそれが何かを尋ねることはできない。


 ユグドーに、出来ること。それは、彼らの望む結果を得ることだ。


 ノルベールの言った通りのことを成す。ユグドーが、大霊殿を黄金に染める。


 今は、言葉よりも行動ではないだろうか。


 褒美などいらないが、今回の仕事は最後まで成し遂げたいとは思う。


 ユグドーは、決意を新たにした。


 夜の森は、危険だ。いくら魔物がそれほど強くなくてもである。


 夕刻までには、ここジェモーに戻らなければならない。


 ユグドーは、ノルベールとマリエル夫人に挨拶をした。


 出発準備のため、ディアークとともに自宅へと戻ることにしたのである。

 




 ユグドーの部屋には、生活に必要な最低限のものしかない。


 準備と言っても、持ち出せるものはないのだ。


 ディアークの助言で、傷薬や解毒薬などを購入して、飲食物の用意も完璧である。


 ディアークは、予備の剣を二振り用意した。ユグドーには、武器がない。


 悪魔の力を行使するのみだ。


 魔術というわけではないので、尽きてしまう心配はない。


 ただ、肉体的に疲れるというだけだ。


 悪魔の力をコントロールすることや、他の魔術を覚えられないか。


 以前、ある魔術師に教えを請うた。結果としては、自分次第であったが。


「後は、魔術石だな。これに関しては、俺の手持ちで十分だ。火と水と雷。全て持っていこう」


「森で火を使うと、火事にならない?」


 ディアークは、色と紋章のついた石を紙に包んで道具袋に入れた。


 ユグドーは、火の魔術を使った場合の影響が頭に過ぎったのだ。


 オロルの森は広い。延焼すれば、被害はかなりのものになるだろう。


 イストワール王国領の森を許可なく焼き払うことは、大罪である。


「あぁ、そんな強力なものじゃない。一般で買える威力の弱いものだ。ボヤすら起こせないよ」


 ユグドーは、安堵した。しかし、逆を言えば威力の低い魔術石など役に立つのだろうか。


「人間の使える魔術なんて大したことないからな。でも、組み合わせれば威力は上げられるぞ」


 ディアークは、全ての魔術石を紙袋に包み終えた。道具袋から地図を取り出して机の上に広げる。


「オロル山までの道のりは、大したことはない。街道沿いに進めばいい。問題は、森の中だ。ノルベール様の情報によると……」


 ディアークは、道具袋から2枚目の地図を取り出して広げた。


 ユグドーは、覗き込んでみた。描かれた内容から推察するに、オロルの森であろう。


「黄金の蝦蟇は、ここだ。オロルの森南東部の水辺に生息している。そこまで、レアな生き物でもないようだ。ただし、蝦蟇の油を採取するには専用の魔術具がいる。一般で流通はしていない。今回は、特別にノルベール様からお借りしたがな……」


 ディアークは、机の横においた背嚢を持ち上げて口を歪めて笑う。


「さあて、行くか。戻ったら、徹夜作業になるかもだ。明日の朝までに仕上げないとな」


 ユグドーは、頷いた。なんだかんだ言っても協力的なディアークに、お礼を言おうとする。


 ディアークは、彼の荷物から古い紙を取り出すと懐に入れた。


 古紙を入れた胸元を大切そうに数回叩く。なにかの儀式だろうか。


「それは? 何かの魔術具?」


「昔、ある人から貰った手紙だよ。精一杯の嘘を書き連ねた悲しくも優しい手紙だ……」


「ふーん……」


「魔物がいる場所に出掛けるんだ。大切なものは、死んでも離さない。戒めであり、お守りかな」


 ユグドーは、その手紙を送った人間のことを考えた。


 ディアークの家族だろうか。もしかして、愛する人なのかもしれない。


 ユグドーは、自分の胸に手を当てた。ここに仕舞えるような愛が、自分にあるだろうか。


「なぁ、ユグドー。今回の仕事が上手く行けば。英雄になれると思うぞ。望むものを与えられるさ。今のうちに、考えておけよ。いいか、無欲はときに人を怪しませる。こういうときは、具体的に欲しい物を言わないと駄目だぞ?」


 ディアークは、そう言うとユグドーの懐を叩いた。それは、先ほどの手紙を入れたときのようだ。


「うん、分かった」


 ユグドーは、地位や名誉などには興味がない。今まさに何を望むのかを考えている最中だった。


 力を手に入れる……。暗い声が心のうちに響く。


「爵位を賜れば、マリエル様たちと暮らせるかもな。羨ましいやつだ……。英雄だもんな……」


 ディアークは、窓から遠くの空の先を見るような目で重苦しく言葉を吐き出す。


 ユグドーは、その眼差しに曇天を見るときのような陰りを感じるのであった。



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 龍族と人間には、争いと嫌厭の歴史しかない。ユグドーの青年時代は、特に。


 しかし、現在では、ある人物のおかげで関係は修復された。


 イストワール王国限定ではあるが、龍族との交流もある。


 その人物は、遥かな昔。龍族に献身を示したことがあり、かつ世界を救い続けてきた。


 だからこそ、龍族を説得出来たし、友好関係を結ぶまでに至ったのである。


 彼が、龍族との信頼関係を築けた理由は異界人であるところが大きい。


 この世界の人間ではないからこそ、龍族の懐に潜り込むことができたのだ。


 それでも、何かがなければ信頼関係など生まれるはずもない。


 今回は、その何かについて話をしよう。


 はるか昔、龍族の里に異型の龍が生まれた。八首を持つ魔龍の誕生である。


 誰の子供か、竜族の里のどこに生まれたかも不明。八首の魔龍は、ある日突然に現れたのだ。


 最も、龍族の中では詳細を知るものもいるかもしれないが。


 人間が知るところではない。


 八首の魔龍は、黄金樹を有する龍族の森「サーラソー」を焼き払いはじめた。


 龍族は、必死の抵抗をする。当然、すべての戦力を投入したようだ。


 龍族の猛反撃を八首の魔龍は、軽々と撃退。龍族は、敗退をかさねてしまう。


 そこに現れたのが、異界から来た青年であった。


 彼は、八首の魔龍の消えない炎からサーラソーの森を守ったのだ。


 八首の魔龍のあらゆる攻撃を、すべて肩代わりしたのだという。


 彼は、その力を「だいじゅく」と言った。体が、肉片になっても、骨と生命が灰になっても……


 八首の魔龍が疲弊するまで「だいじゅく」は、続けられた。


 疲れ切った八首の魔龍は、魔力を使い果たして衰弱の末に死滅する。


 龍族は、異界の青年をサーラソーの森に葬り、その勇姿をたたえて諡号を送る。


 時渡りの勇者と……


 龍族の伝えるところによると、時渡りの勇者は、何度も転移を繰り返しているそうだ。


 そのたびに、リテリュスを救ってきたという。リュンヌ教国は、これを否定している。


 彼への恩があるからこそ、龍族は、限られた人間との友好関係を受け入れたのだろう。


 それが、時渡りの勇者の願いであるから……


 【ユグドー、迷って彷徨う編】完。

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