ユグドー、家族を映す水面編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 今日は、リュンヌ教国が野心を抱く根拠にもなっている「大盾の乙女」に関して述べる。


 人間による暴挙の一つ。リテリュスへの侵攻。非人間から見れば、そのように非難されるだろう。


 どのような侵攻にも、作られた大義がある。


 それは、どんなに稚拙であってもいいのだ。大事なのは、それを味方に信じさせることである。


 リュンヌ教国の場合、それは「大盾の乙女」という存在であった。


 リュンヌ神は、剣と盾を所持していた。


 剣は、四柱の精霊王によって作られた「ノモス・ロートゥス」。


 盾は、大盾を持つ人間。


 神話の時代、人間は小人族とともに白い民の中では最底辺の存在であったのだ。


 なぜ、人間がリュンヌの神体を守る盾に選ばれたのであろうか。


 しかも、その盾は、少女だった。


 リュンヌ神が、下位の存在を盾に選んだのには、様々な説があるのだが。


 リュンヌ教国にとって、そのような説など、どうでも良かった。


 リュンヌ神を守ったのは、人間の少女。これだけで、十分であったのだ。


 神の聖地を守るのは、人間の使命だ。これを御旗に人類のリテリュス侵攻は、はじまった。


 非人間側も必死の抵抗をした。ただ、彼らは一枚岩になりきれなかったのだ。


 それぞれの利権や野心が出てしまった。


 その結果。


 現在では、精霊世界リテリュスに人の住まない地は、ないとまで言われる状況を招いたのである。


 

✢✢✢



「凄いね。あの星には、そんな神話があるんだね。やっぱり、ユグドーはなんでも知ってるよね」


 星空を不快に思わない涼やかな夜の窓辺。


 この世界で、どれだけの人が、あの光を見つめて星の神話について話をしているのだろう。


 ユグドーは、夜空を彩る星の説明をしてくれるディアークに安堵していた。


 窓枠に手をかけて、星を見上げるディアークの横顔には、品位が戻っていたからだ。


 その品位の前では、お酒に溺れる自堕落な生活も酒場の奥で、一人枯れた男の演技も必要ない。


「ユグドー。星には、愛を語る神話も多く存在する。でも、そのほとんどが悲恋なんだ。皆、上ばかり見上げるからな」


 ディアークは、窓から離れてユグドーのベッドに座った。


「僕に、愛について教えてくれるんだよね。僕は、知りたい。苦しさについては、よく分かったんだけど。まだ、完全に理解できない部分もあるんだ」


 ユグドーが、感じはじめた愛という感情。ユグドーを苦しめていた記憶の中の人影。


 マリエル夫人に、愛の苦しさを告白することによって、吹き飛んでしまった。


 愛の答えよりも探していた十二支石は、大霊殿のどこにもなかった。


 高価そうな小物や古物は、大人一人が入る箱に溢れるほど見つかったのに。


 だから、せめて愛の意味くらいは、知っておきたいのである。


 愛の苦しさについては、理解することができた。


 愛の対象を見たときに、自分を死地に追いやった存在に苦しめられるというものだ。


 ただ、ディアークを見ても、まぶたの裏の人物に苦しめられないのはなぜなのだろう。


「ユグドー、マリエル夫人への愛は悲恋に終わる。つまりは、愛するべきではないということだな。生まれるべきではない愛だ」


 ディアークは、ゆっくりと深呼吸をしていた。痛みに耐えているような表情に見える。


 ユグドーには、ディアークの言葉が理解できなかった。生まれるべきではないという部分だ。


「ディアークにも、愛を持っては駄目?」


 ユグドーの疑問に、ディアークは間抜けな声を出して困惑顔で小さくうめいた。


「ち、違うよ。ユグドー。それは、好きだろ? 自分で言うのも変なんだけどな。家族愛の類。ほら、俺たちは家族だろ。お互いに、大切に思ってる。それが、家族愛だ」


 ディアークは、説明することの難しさを口にした。腕組みをして、天井を見つめる。


「マリエル様を家族とは思ってないよ。リリアーヌ様に対しても同じだよ」


 ユグドーにとって、家族とはディアークのみだ。


 ユグドーを、しっかりと見てくれていて、家族になろうと言ってくれたのはディアークだけだ。


 マリエル夫人や巫女姫リリアーヌは、それぞれ違う愛なのだとも思った。


「気の多いやつだな。ユグドー。まぁ、愛するのは、自由だけど。でも、自分の中に封印すべきだな。もっと、ユグドーに似合う娘がいるよ。どちらも高嶺の花だ。いや、断崖絶壁の花かな」


 ユグドーは、マリエル夫人や巫女姫リリアーヌへの愛は、星々の神話のように悲恋に終わると。


 神話のとおりなら、引き離されたり裏切られたりするのだろう。


 ディアークは、それを恐れているのかもしれない。でも、もう逃げたくはない。


「僕は、マリエル様もディアークも……。リリアーヌは、良く分からないけどさ。愛を持ってる。それは、家族愛なのかもしれないけど?」


「あ、ありがとう。うーん。これは、愛の違いから教えなければならないか。あぁ、俺は、父上と母上になんて教わったかな……」


 ディアークは、僕のベッドで仰向けに倒れた。暫く苦慮しているようであった。


 そして、体を起こしてユグドーを見る。


「マリエル様に対して向けていい感情は、服従の心だけだ。マリエル様は、メモワール公爵家のご令嬢。イストワール王国の王族の血筋。俺たちとは違う。いいか、マリエル様を女性として好きになるのは、悲劇しか生まない」


 ディアークは、研ぎ済ました刃のような視線をユグドーに向けている。


「俺への愛は、家族愛。マリエル様や巫女姫リリアーヌに向けているのは、異性愛。これは、その異性と家庭を作って、子供を持ったり生涯をともにしたいと願う気持ちだ。ああ、だけど異性愛のなかにも色々とあってだな。その相手とそうなりたいと、思わない人もいる。ただ、同じ時を過ごしたいとか。どちらにせよ、相手の身分が上すぎる。だから、悲恋しか生まないんだ。それは、愛慾と言うやつさ。欲望なんだ」


 ディアークの言葉は、理解できる。マリエル夫人に対する思いは異性愛なのだろうが。


 まぶたの裏に浮かぶ人物に向けている気持ちと、似ているようにも思うのだ。


 巫女姫リリアーヌについては、異性愛ではないような気がする。ただ、守りたいと願う対象。


 いや、使命に生きる姿に憧れたのだろう。


 何もなく、逃げ回って、守れなかったユグドーだからこその憧れである。


 その結末が、悲恋にはならないだろう。そもそも、異性愛ではないのだから。


 どちらにせよ、二人に感じた愛を捨てることはできない。


 それは、ユグドーにとって死と同義になっていた。


「でも、気持ちはわかるぞ。マリエル様は、芸術レベルだからな。外見も中身も。まぁ、でも不敬がすぎるよ。相手はベトフォン家だぜ? その気持ちを知られたら、ろくな目にあわない」


 ディアークは、心配そうな顔で覗き込んでくる。落ち込んでいるとでも思ったのだろう。


 ユグドーは、ここまで長い旅をしてきた。人の欲ということに関しては、よく知っているつもりだ。


 この感情が、今まで見てきた強欲と肩を並べるほどのものなのか。


 ディアークに言っていないことが、二つある。


 マリエル夫人を見ていると、思い出す記憶の断片のような感情のことだ。


 誰かの柔らかな声。誰かの温かい手。誰かの優しい思い。


 そして、まぶたの裏に浮かぶ、ユグドーを死地へと追いやった母と父。


 このことも、話すべきではないか。きっと、ディアークならば、正体がわかるはずである。


「なぁ、ユグドー。あの青き月に触ることができるか?」


 ディアークは、立ち上がって窓際まで移動すると、夜天に着座する月に向かって手を伸ばした。


 月は、リュンヌの核とも言われている。触ることは、物理的にも精神的にもできない。


 リテリュスに住むものならば、絶対に触れることなど考えられないことである。


「ユグドーにとって、マリエル様や巫女姫リリアーヌが青き月だ……」


 ディアークは、身分の違いを説いているのだろう。それは、ユグドーも分かっている。


「ディアークも?」


 ユグドーは、孤独を感じていた。やはり、身分の違いなのだろう。


 どこまで行っても、そこに帰結する。


 家族だと、言ってくれただけでも喜ぶべきだ。貴族にとっては、最大の慈悲である。


 ディアークは、表情を曇らせる。すぐには、否定しなかった。


(ディアークは、貴族だ。今も、昔も。僕は、そんな、ディアークが好きだったんだ……)


 ユグドーは、少し笑った。簡単なことだったんだと思ったからだ。


 ユグドーは、愛という言葉を知らなかっただけで、ずっと昔から、誰かを好きになっていた。


「俺は……。ユグドーにとって水面に映った月だな」


 ディアークは、自らの膝を叩いた。しっかりと閉じた口は、何かを耐えているように見える。


「どちらにしても、実際に触れることはできないんだね……」


「あぁ……。好きっていう感情は、目に見えるが。愛は見えない。愛は自分だけのものだ。他人には、分け与えられない。俺は、ユグドーが人間として好きだ。それだけは誓える。だから、見つけるんだ。その愛を見てくれる人を。それは、マリエル様や巫女姫リリアーヌ……。俺ではない」


 ディアークは、ユグドーとの関係について、家族愛だと言ってくれた。


 今のユグドーには、愛は、好きよりも、その上にある言葉だと理解している。


 でも、ディアークは家族愛という言葉を使っただけだった。


 ディアークでさえ、階級意識からは逃れられないのだろう。


「ありがとう。ディアーク。僕も、ディアークが好きだよ。だから、一緒にいたい。そして、僕は、本当の愛を見つけるよ」


 ユグドーは、ディアークが、何かを言う前に次の言葉に繋げたかった。


 ディアークは、無表情を作っているように見える。その、心の中を読むことはできない。


 家族になろう。それは、水面に映った月の残像ほどの意味しか持たないのだろう。


 それでも、ユグドーにとっては、ありがたいことなのだ。


 身分の違いを考えれば……


「ディアークっ。あ、明日で大霊殿は、完成だ。ベトフォン家のノルベール様が見に来る。僕は、もっと立派にしたいんだ。あの家を」


「今だって、十分立派だろう? そりゃ、マリエル様だけじゃなくて、ルロワ国王の……龍族の……アーデルハイト王妃様にも使ってもらうんだからなぁ」


 ユグドーは、ノルベールの父親から貰った金貨を取り出して、見せた。


 ディアークは、眉間にシワを寄せて金貨を見ていたが、やがて目を丸くして声を上げた。


「ベトフォン家の金貨。いや、紋章だな。それ、どこで手に入れたんだよ。それは、ベトフォン家の一族しか所持を許されてないはず……」


「ただの金貨じゃなかったんだね。よかった。大事にしてて。こんな金貨のような家にしたいんだ。ディアーク。大霊殿を一緒に金ピカにしようよっ!?」


 ユグドーは、こらえきれない孤独感を誤魔化すように、負けないように、大きな声で言った。



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 リュンヌの大盾。人間の少女は「大盾の乙女」と呼ばれていた。


 その髪は、リュンヌと同じ黄金。その目も同じく翡翠。しかし、どこまでも人間だった。


 彼女には、息子がいるという──違う説もある。息子ではなく、大盾の乙女の転生体。


 時渡りの勇者である。彼は、異界人の風体をしていて、龍族にとっては大恩ある人物だ。


 猛禽魔王が、龍族の滅亡を企てたことがあった。そのとき、時渡りの勇者が、龍族を救ったという。


 時渡りの勇者は、精霊世界リテリュスの時を守る存在だと言われている。


 時代を変えてしまう恐れのある「時の傷」。


 それを事前に防ぐために、異界から転移してくるのだという。


 リュンヌ教国は、時渡りの勇者について公には認めていない。


 ただ、大盾の乙女については、リュンヌ神の次に信仰すべき対象だと位置づけている。


 【ユグドー、家族を映す水面編】完。

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