ユグドー、使命のきば編

 眠れない。


 リリアーヌを助けたいと思った。だから、リュンヌ教国から彼女を救うのだ。


 何度も、そう呟いた。でも、そのたびに誰かが、ささやいてくる。何故、彼女なんだ。


 リュンヌ教国の悪徳によって苦しめられている人々は、多くいるではないか。


 使命感を感じるほどの絆でもあるのか。


 父母を助けるのか? 兄弟を助けるのか? 友を助けるのか?


 苦しい。心が、苦しい。


 リリアーヌの顔が浮かんだ。彼女が助けを求める姿と、今まで助けられなかった人たち。


 混じり合って、小さな手を伸ばしている。


 流れていく、汚水の川に動物の死骸が浮き沈みしていた。汚物の塊に引っかかったのだろう。


 汚物を喰らう動物たちが、金切り声とともに死骸を喰い散らかしている。


(汚物以外にも、食べるんだ……)


 結局は、一睡もできなかった。



 この地下水道は、街の全てにつながっている。そうでなくては、意味がないからだ。


 ユグドーにとっては、好都合であった。もうすぐ、破魔大祭がはじまるだろう。


 地下水道にいても、分かる。感じる。人々の動きが激しくなった。


 公開された破魔大祭ともなれば、他国からも信者がやってくる。


 この街が、イストワール王国領の場合は、自国民とリュンヌ教国の民以外は受け付けないが。


 それほどの強気は、武器を多く持っているからだ。


 でも、ユグドーは、武器を持っていない。あるのは、悪魔の力のみだ。


 でも、心は。リリアーヌを救いたいという心は。持っているはずである。


 また、声が聞こえた。すぐ近くで。


「やあ、破魔大祭を潰そうって悪魔はここかな?」


「うわっ!?」


 ユグドーの肩に手が触れた。声の主は、昨日の眠れなかった原因とは、違うものであった。


「聖門長っ!! 何故……ここに?」


 ユグドーは、聞いておいてすぐに馬鹿な質問だと、撤回したくなった。


 今すぐに、悪魔の力を使うべきだと腹部に手をそえた。悪魔の声は、すぐに反応してくれる。


「ふ、ふふっ。あぁ、巫女姫さんなら、その鉄梯子のすぐ上だ。仮設の控室になってるからな」


 聖門長は、天井を指差した。その顔は、怒りに燃えるわけでも、ユグドーを侮っているわけでもない。


 ユグドーは喉の先まで、出ている言葉を何度も飲み込んだ。


 汚物の川の流れだけが、二人の間を行き交う。


「なあ? ユグドー。なぜ、破魔大祭の邪魔をするんだ? 聞かせてくれよ」


 聖門長は、大盾を壁に立てかけると、その場にあぐらをかいた。


「リュンヌ教国は、悪だからだ。悪い奴らだから、たくさんの人を殺しているから、だから……」


 ユグドーは、自分が酷く情けなくなった。決意は何だったのか。自分を責めて、鼓舞した。


「それが、リリアーヌを助ける理由か? おぉ。すげーな。なら行けよ。その決意を試してみろ」


 聖門長は、ユグドーをしっかりと見据えている。


 怖い。と、ユグドーは感じた。なにかを隠したがっている。自分がいる。


 でも、悪を滅ぼすことに使命を感じる自分もいる。今までにない気持ちだ。


 ユグドーは、震える手で、鉄梯子を掴んだ。


 ひんやりと冷たい感触と、背後からの視線に背筋を伸ばした。


(僕は、悪を、リリアーヌを、救う。使命だから。僕には、力があるから……)


 一歩、一歩、一歩。天井に近づく。蓋を開けた。日差しが差し込んでくる。


 顔を出した。聖門長の言葉が嘘でなかったことが、証明された。


「リリアーヌ……」


 ユグドーは、何故か声が出なかった。大声で、助けに来たと言えなかったのだ。


 リリアーヌは、ユグドーに気付いた。驚いた顔はしていない。


 遠くから、祝砲のような声が聞こえてくる。楽隊の規則的な演奏がはじまった。


「やっぱり、来てくれたわ。もうすぐ、終わるわ。あと2回で、悲劇がすべて終わるの」


 リリアーヌの瞳は、琥珀のようだった。


 その幼い顔に迷いはない。助けを求めていたように聞こえたのは、幻聴だったのだろうか。


「……でも、その後は、どうなるの? 悲劇のなくなった世界に、リリアーヌはいる?」


 ユグドーの質問に、リリアーヌの顔が一瞬沈んだ。ユグドーは、それだけで十分だった。


「逃げよう。僕は、誰か一人を犠牲にするやり方は、間違っていると……」


 ユグドーは、自分が何を言おうとしているのかが、分からなくなった。


 逃げてどうするのだろう。リリアーヌと一緒に逃げるとして、その先はどうする。


「巫女姫様、そろそろ。お時間っ、何者だ。おい、そこのガキ。お前、腹の中に何を飼ってやがる。黒き民の末裔が、白き民の願いを蹂躙するかッ!!」


 教門騎士は、三人。漁村のときに比べて、数は少ない。悪魔の力を使えば、成し遂げられる。


 正義……を。悪徳を阻止することが正義。それが、使命。リリアーヌを助けることは、正義。


「うぅ、なんだよ。なんなんだよ」


「や、やめて。彼は、ただの信者だわ」


 教門騎士は、リリアーヌの制止を無視して、剣を抜いた。


 悪魔の力を見抜く教門騎士には、嘘は通用しない。やるしかない。


 ユグドーは、悪魔の力を解放して、飛び掛かった。教門騎士のひとりを組み伏せる。


「やめて、ユグドー」


「馬鹿者め、この間合いを誘ったのが分からないか、よし、法願魔術だ。やれ」


 残りの二人の教門騎士は、手を合わせて「三宝鈍麻サンポウドンマ」と唱えた。


 ユグドーの体は、大きく伸びたかと思うと、膝を抱えて丸くなる。


 教門騎士のひとりが、ユグドーの背中を蹴った。


 内臓が、ぐらぐらと揺れるような感覚がした。咳き込むユグドーは、赤く染まった反吐を吐いた。


「酷いわ。ここまでしなくても……」


 リリアーヌが、ユグドーに駆け寄る。不思議と思考が整理された。


 自分が敗北したのは、法願魔術のせいだ。悪魔の力では、叶うはずもない。


 このまま、殺されるのだろうか。


 リリアーヌの悲しそうな顔を見ていると、自分がしたかったことが、分からなくなる。


「ユグドーを助けてあげて、彼を殺すなら、私を殺してからにして……」


 リリアーヌは、ユグドーに覆いかぶさった。ユグドーの目から、涙がこぼれる。


(人間って、こんなに暖かいんだ。でも、僕を殺そうとする教門騎士も人間。悪魔は、こんなに暖かいのかな……)


 思考がひどく乱れる。心臓の鼓動がはやくなる。


「巫女姫様、そのような真似はすべきではありませんよ。そこを退いてくださいよ。そんなみすぼらしいガキへの愛よりも、人類への愛でしょ? 巫女姫」


 教門騎士は、大きく息を吐いた。後ろから笑い声が漏れる。


 愛とはなんだろう。ユグドーは、罵倒よりも愛の意味が気になった。


「はいはい。そこまで、そこまで。愛じゃないでしょ? 巫女姫さんの優しさだよ。やられ役の悪人みたいなセリフはやめろよ?」


 聖門長の声だ。首が動かないから、姿も見れない。でも、場の雰囲気が変わったのは理解できた。


「聖門長様、しかし、このガキは、悪魔が。それに、破魔大祭を阻止しようとしたのです」


「阻止したのは、てめえらだよ。その悪魔とやらの血で祈願所を汚しやがって。すでに、教皇には報告済みね。誰がやったとは言わなかったけど? この意味わかるよな?」


 聖門長は、語気を強めて言う。教門騎士たちはかすれた唸り声を発して、息を荒げるだけだ。


「巫女姫さん、破魔大祭は中止。いいですね? そのガキは、俺が預かります」


 リリアーヌは、唇をかみしめて頷いた。今にも泣きそうな表情だった。


 太陽を過ぎ去る雲が、日差しをさえぎる。


 法願魔術の影響なのだろう。ユグドーの意識は、次第に薄れていった。


 なんのために、こんなことをしたのか……。答える声はなかった。





「よお、お目覚めか。王子様になれなかった野獣くん。まぁ、そんな歳でもないか。子供だもんな、ユグドー君……」


 日差しが強い。雲はなくなっている。手に何かが、当たる。掴んでみた。この感触は、土だ。


 音が聞こえる。波の音、磯の匂い。海が近くにあるのだろう。


 鳥が、空を回っている。鳴き声が、遠くまで響いていた。


「海、漁村……かな?」


 聖門長は、寂しそうに笑った。首を横に振ると、ユグドーの上体を起こしてくれた。


 どこまでも続く海だ。ユグドーは、浜辺に寝かされていた。


 爪を立てた後もある。


「島流しさ。ユグドー、あの決意じゃ、リリアーヌは救えなかったよ。嘘とごまかしの決意だからな?」


「嘘? ごまかし?」


「でも、でも。ありがとな。おかげで、破魔大祭を潰せた〜」


 聖門長は、笑顔を見せた。その笑顔は心からのものだ。この人は、リュンヌ教国の側ではない。


「ユグドー、ここで。よく考えろ。なんで、リリアーヌを助けたかったのかを。とくに、この島には、考えるのに適した洞窟がある。そこで、よく考えろ。いいか、洞窟でよく考えろ……。生きてたら、また会おうぜ。ユグドー」


 聖門長は、わざとらしく誇張するような口調と、どこかを指さしながら消えていく。


 まるで、霧のように。


 無人島に一人残された。ユグドーは、寒さを覚える。


(僕は、人の暖かさを知ってしまったんだ。リリアーヌ……)


 この思いは、なんだろう。ここには、教えてくれそうな人は誰もいないのだろうか。


(いや、自分で考えるんだ。洞窟、そうだ。洞窟で、考えよう。僕は、何が間違っていたんだろう)


 ユグドーは、立ち上がると、歩き出した。聖門長が、指し示した洞窟を目指して。



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 聖門長は、謎多き人物だ。


 一番の謎は、彼がリュンヌ教国建国時から生きていたことだろう。


 リュンヌ教国の成立は、千年以上前だが、建国となると、イストワール王国と同じだ。


 つまりは、851歳以上である。


 彼が、人間ではないというのは、誰もが噂すること。リュンヌ教の不思議のひとつだ。


 ちなみに、破魔大祭の中止事例は、数多くある。


 どの中止の時にも、彼がいたという話がまことしやかにささやかれている。


 教皇が、彼を解任することは、絶対にない。


 また、彼の上司に当たる神門長も、聖門長の失態などには無視を決め込むらしい。


 それはさておき、ユグドーだが。


 巫女姫リリアーヌを助けようとした動機については、意見の分かれるところだ。


 幻聴の話は、地下水道のねずみ男の著書「百のかじり話」から見つけた一節だ。


 今日は、その一節を紹介して、筆を置こう。


 ある日、僕は見たのです、聞いたのです。汚物を喰らう動物とお話をする男の子を。


 あれは、駆け落ちを約束する男女のひそひそ話でしたよ。僕もかじりましたよ。それは。


 【ユグドー決意の使命のきば編】完。

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