ユグドー、絆を知る編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 私は、ユグドーが好きだ。彼は、七つの大陸で最も広大なアンフェール大陸を駆け巡ったのだ。


 精霊世界リテリュスに住む多くのものが、生まれた国を街を村を愛する。


 愛を捨てることなどできない。


 ユグドーのように追放された者の末路は、自死か賊に身を落とすかである。


 また、ある大傭兵団のように、嘘の虚しいだけの『絆』を舐め合うかだ。


 私は、それを否定しないが……


 ユグドーは、王都を追放された。その後、数カ月に渡って足跡が、不明であった。


 もしかしたら、まだ発見されていない文献や散文や詩歌や口伝があるのかもしれない。


 私の調べでは、王都追放の数カ月後に、ある小さな村で彼の足跡を見つけることができた。


 そこは、王都より西にあるリュンヌ教国との国境の都市オキュルトの北。


 シュシュ村である。


 私は、彼のこの村での行動に得心がいかない。


 ユグドーという放浪者の目指す場所は、どこにあったのか……



✢✢✢



 小高い丘から見下ろした風景が、とても似ていた。懐かしの故郷の村に。


 風にのって運ばれてくる匂いまでも、故郷のものと酷似していたのだ。


 寂しく、空虚で、乾いた渇望を秘めている。


 悪魔の力を引き継いだユグドーには、感情の波を肌で感じることができるのだ。


 ユグドーが、村に入ると入口近くの小屋から番兵らしき人が出てきた。


「おや、迷子かな。それとも、行商の小間使いかい? ここは、ようこそ、シュシュ村へ」


 番兵は、歓迎の言葉とは裏腹に、一瞬だけ嫌悪の表情を見せた。


 いや、疲労や心労の類からくる嫌悪なのか。


 しかし、入村を拒絶するわけではない。ユグドーを一瞥すると、村に招き入れた。


「何にしても、長期の滞在は、オススメできないよ。あと、夜は出歩かないようにね」


 番兵は、それだけ言うとため息をつきながら、再び小屋の中へと戻っていった。


 村は、ユグドーより、頭一つ分高い柵で覆われていて、それほど広くはない。


 シュシュ村は、イストワール国王でも、リュンヌ教国との国境近くにある。


 これほどの柵は、必要ないはずだ。


 ユグドーは、宿屋を目指すことにした。疲れていたのだ。足取りは重い。


 番兵の言葉通り、ここで一泊し疲れを癒やしたらすぐに出発しようと決めた。


 ユグドーは、懐に閉まっている小さな袋を取り出す。中には、金貨一枚と銀貨と銅貨が数枚。


 金貨は、ベトフォン家から貰ったものだ。ユグドーは、この金貨を使わないと決めていた。


 宿屋が目の前に差し掛かった。


 すると、周りの家々よりも、ひと回り大きな家から大勢の村人たちが出てくる。


 村人たちは、怪訝な顔をする騎士を取り囲んでいる。皆一応に、哀願の表情で縋りついている。


「お願いします。騎士様、行方不明になった子どもたちの捜索を!!」


 涙で、顔をしおれさせた複数の村人たちは、同じ言葉を繰り返している。


「村長にも話したであろう。我らの騎士団は、子守に来たわけではない。戦時に活発化する盗賊どもから、お前ら貧民を守るためにいるのだ。これ以上、我らに望むなッ!!」


 若い騎士は、ロングソードの柄を握る。村人たちは、悲鳴をあげて若い騎士から離れた。


 ユグドーにとっては、王都の裏通りで見慣れた光景だ。


 若い騎士は、跪く村人たちを一瞥して口の端をあげた。そのまま、こちらに向かってくる。


「騎士様……お願いです!!」


 村人たちは、懇願を続ける。若い騎士は、歯牙にもかけない様子で、ユグドーを見る。


「うん? この村のガキではないな? 行商の小間使いか? 貧弱なガキだな。……さっさと村を離れることだ。行方不明になりたくなければな?」


 若い騎士は、大声で笑った。動じないユグドーに目を細める。


 そのまま、ユグドーの横を通り過ぎていった。


 子供の母親だろうか。男に支えられながら「大丈夫だ。村長に頼んで、騎士様に動いてもらおう」と震える声で何度も呼びかけていた。


 ユグドーは、故郷の村で両親と別れた日のことを思い出した。


 もう3年も前のことだ。


 泣き狂う女たちを男や老人たちが支えて、大きな家に再び入っていった。


 ユグドーは、宿に向かって歩き出した。宿に行けば、詳しい事情が聞けるだろう。


 村のいたるところに騎士がいる。


 しかし、そのほとんどが、片手に瓶を持ち呂律の回らない言葉で、仲間と談笑をしていた。


 彼らは、盗賊から村を守るためにいるらしい。



「そんな歳で、一人旅をしているのね?」


 宿屋の女将は、目と口を大きく開けて言う。子供の一人旅が、それほど珍しいのだろうか。


 確かに、街道を一人で歩く子供の姿を見たことはなかった。


「はい。両親は……いな、死んでしまったので」


 ユグドーの脳裏には、両親の元気な姿が浮かんだ。しかし、そうは言わなかった。


「それは、心細いねぇ……そう。子供が一人で」


 宿屋の女将は、とても辛そうだ。自分のことのように、考えてくれているのだろう。


「何かあったの?」


 ユグドーは、悪霊と対話するときのようにして女将の話を引き出そうとした。


 優しく、柔らかく、自ら話をしたくなるように。


「私も、子供が行方不明になっててね……」


 宿屋の女将は、部屋の窓を開けた。やはり物悲しい風が、かすかに吹いてくる。


 子供が一人で泊まるには、大きすぎる部屋だ。窓から見える大きな白亜の山岳。


 リュンヌ教国の有名な霊峰なのだという。宿屋の女将は、何かを語ろうとした。


 一階から、誰かの呼ぶ声が聞こえる。宿屋の女将は、喉になにか詰まったような声で返事をした。


「安くするから、何日でも滞在してね」


 宿屋の女将は、口元だけの笑みを浮かべた。その寂しそうな背中を見送るユグドー。


 その日の夕刻。ユグドーは、食事に感動した。村の宿屋でだされる食事だ。


 王都の男爵家で、食べたもののほうが豪盛ではあった。


 しかし、ユグドーは宿屋の女将が作ってくれた料理に、やはり懐かしさを感じたのだ。


 宿屋の女将に感謝をした。


 『ありがとう』というのは、随分久しぶりだ。涙をこらえて、何度もお礼を言う。


 部屋に一人になったユグドーは、静かに涙を流して噛み締めながら食べたのである。



 食器を引き取りに来た宿屋の女将と談笑をし、ユグドーは深い眠りの底へ……


 微かに聞こえた子守唄に、ユグドーは『おやすみ』と言った。


 朝が来なければいいと、ユグドーは願う。


 久しぶりに安堵した気持ちだ。枕に深く頭を沈めたのは、いつ以来だろうか。



 幸せな夢を見ることはできず……


 ユグドーは、眠りから醒める。窓の隙間から母親の眼差しのような月明かりが、差し込んでいた。


 ベッドから立ち上がり、少しおぼつかない足取りで窓に向かう。


 自身の中の悪魔の力が、心臓を騒がせていた。ユグドーは、窓を少しだけ開ける。


 黒い異形が、子供を抱えていた。見回りの騎士は、その異形の横を通り過ぎる。


 見えていないはずがない。黒い異形は、村の外へと向かった。


 ユグドーは、窓から外に出る。自身に宿る悪魔の力に念じつつ、宿屋の二階から飛び降りた。


 衝撃はない。見回りの騎士は、音もなく降りたユグドーに気づかなかった。


 村の入口には、番兵もいる。彼が、止めてくれるだろう。


 そのスキをついて、子供を助けようと、ユグドーは考えた。


 しかし、番兵は、まるで客を見送るように黒い異形を見逃したのだ。


 ユグドーは、この村の悪意を知って腹部に不快な感覚を覚えた。


 明らかに、騎士も番兵も止める気などない。


「やぁ、君は昼間の子供かい? 早く出ていったほうがいいって言ったろ?」


 声を微かに沈めて番兵は、掠れた声で笑った。その顔は、宿屋の女将と同じだ。


 悲しい顔。


「僕が助けるよ」


 ユグドーの言葉に、番兵は首を横に振る。気力を失ったように地面に座り込んだ。


 何も語らない、動きもしない。


 ユグドーも何も言わずに、黒い異形の後を追った。街道に馬車が見えた。


 数人の騎士の姿がある。黒い異形は、子供を引き渡すと、消えた。


「どこに連れて行くの?」


 ユグドーは、騎士たちに話しかけた。騎士たちは、ユグドーの顔を見て目を丸くする。


「何だ、このガキ。あの霧を物ともしないで、ここまで追ってきたのか!?」


 霧? ユグドーには何も感じなかった。


 馬車の中には、たくさんの子供。行方不明になっていた子どもたちなのだろう。


「騎士様方、どうしたのです?」


 帽子の男が、馭者台から顔をのぞかせた。月明かりを受けて、眼光が鋭く光る。


「なんでもない。早くいけ。このガキは、我らの領分だ。始末はつける」


 帽子の男は、口をへの字に曲げる。大げさなため息を吐いた。


「子供は返してもらうよ」


 ユグドーは、悪魔の力に祈った。帽子の男は、馭者台から落ちて大声で叫びながら転げ回る。


 そして、動かなくなった。


「ど、どう……ぐわぁ」


 騎士たちは、白目をむいて倒れた。中には、泡を吹いているものもいる。


 ユグドーは、その悪魔の力に驚いた。前よりも力が増している。


 今までは、せいぜい人を少しの間、動けなくする程度の力だった。


「おい、これは……」


 ユグドーの背後から声が聞こえる。振り向くと、番兵が立っていた。


 彼は、目玉を左右に動かして、顔面を蒼白させていた。


 ユグドーは、番兵にこう言った。


「盗賊が、子供を誘拐しようとした。騎士たちは、盗賊と戦ったけど、負けた……また襲ってくるかも。領主から『応援』を呼ばないと」


 番兵は、ユグドーの言葉に怪訝な顔。


 当然だ。盗賊などどこにもいない。戦闘の形跡すらない。


 しばらくして意図を理解したのか。番兵は、馭者台に乗って村へと引き返した。


 朝日が、登る頃。村では、感動の声が響いていた。物悲しい雰囲気はない。


 無事を喜ぶ声、親に会えて安堵した子供の泣き狂う声、それをまた喜ぶ親の涙。


 大きな都市のどこかに咲く花や活気に満ちた声よりも、平和な空気を感じられた。


 宿屋の女将も子供に再会できたようだ。小さな子供と抱き合う姿が見えた。


 やがて、この村には領主から援軍が来るだろう。盗賊に負けた騎士など不要だ。


 貴族は、プライドに拘る。彼らよりも、有能で規律ある者たちを防衛に当たらせるはずである。


 騎士が、盗賊に負けたなどあってはならないことだ。


 領主は、敗因を調べるために、この村の現状を調査するはずである。


 その際、敗れた騎士などより、村長や村人の証言を重用するはずだ。


 もう、この村は大丈夫。


 宿屋の女将は、ユグドーに気付く様子はなかった。声をかけたら、また話を聞いてくれるだろう。


 美味しいご飯を食べさせてくれるかもしれない。


 子守唄も夢も……


 ユグドーは、そんな淡い期待を振り切るように村の入り口に向かっていった。


「あんた、これからどうするんだ?」


 番兵が、声をかける。その顔は、明るかった。


「村のみんなに、あんたのこと紹介するよ。きっと、受け入れてくれる。行商や旅なんかよりも、ここにいればいい。きっと、居心地もいいぞ?」


 ユグドーは、首を横に振った。


「僕のことは、盗賊の仲間として報告してよ。仲間のもとに逃げたってね」


 ユグドーは、振り向きもせずに街道の先へと消えていった。


 番兵は、引き止めることも、声をかけることすらできなかった……


✢✢✢


 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 ユグドーは、安住の地を求めて旅をしたと言われている。


 私は、その意見には反対だ。正しくは、安住の地だけではない何かを求めたのだと思う。


 この宿屋の女将は、ユグドーを実子として引き取るつもりだったと証言している。


 番兵にしても、ユグドーの嘘を。盗賊の仲間であるという嘘を、報告はしなかった。


 シュシュ村を管理する領主は、騎士団の腐敗ぶりに怒った。


 彼ら騎士団は、囚人たちの終焉の地である嘆きの谷に送られた。


 その後は、その谷を彩る骸の一つになったのだ。


 ユグドーは、何を求めたのか?


 何故、去ったのか……


 【ユグドー、絆を知る編】完。

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