ホモ・キュブリスト2

 ヒトの末裔について語る前に、まずはキューブ内にいたヒトが辿った歴史を見てみよう。

 キューブの分離事故後、ヒトは状況を改善するため様々な手を打った。

 離れ離れとなった他キューブとの合流は、早期に諦める事となったが。事故時に生じた慣性は強力で、事態が落ち着きを取り戻した時、他キューブとの距離は何十万キロも離れていた。しかも移動のためのエンジンは事故の衝撃で破損し、キューブを形成するナノマシンが総力で当たっても修復に時間が掛かる。それでも努力はしたが……全てが回復した時、他キューブをすっかり見失ってしまった。

 そのため単体のキューブで生活を完結させる方針で手を打つ事となった。キューブは恒星間移民船であり、内部で世代交代を行う前提で運用されている。単体でも公園区画・居住区画・生産区画などが存在し、排泄物の肥料化などの仕組みも備わっていた。慌てず騒がず、普段通りに暮せば良い。他キューブにいる友人とは今生の別れになってしまったが、互いに生きているのだから良しとしよう……そう前向きに考えていた。

 問題が起きたのは、事故が起きてから三百年後。

 施設の老朽化が深刻になり始めたのだ。原因は知識の継承不足。事故直後のキューブ内には四万の人間が暮らしていたが、高齢化による人口減少が起きていた。これ自体は地球出発前から予測されていた事だが、想定よりも急速に悪化していた。事故によるストレスが社会全体に浸透し、出生率の大幅低下を生じさせてしまった事が原因である。急激に進む高齢人口を支えるため若者の負担が増え、子育ての余裕がなくなり更なる少子化が進行。労働意欲の低下や学習時間の減少により、専門知識の継承が行われない例も増えた。

 そもそもキューブは六つ揃って運用される前提であり、総人口二十~三十万人ほどで維持されるのが前提だ。多数の農家や整備工などの労働人口に支えられ、ごく少数の知識層や専門家がいるのが理想的。これを完璧に維持する人口が二十万人以上であり、少子高齢化で人口が減ればピラミッドの頂点も削られてしまう。たった数万の人口では、キューブの機能を維持する事など構造上不可能なのだ。

 技術が維持出来なくなれば、生活環境は悪化していく。家屋が劣化し、住む場所がなくなれば、厳しい環境で生きていくか……恵まれた家を奪うしかない。

 事故から六百十九年後、キューブ内で内戦が起きた。

 内戦により勝者は住処を得た。しかし総合的に見れば、戦いで生じたダメージによる損失の方が大きい。人口も更に減り、技術の維持はより困難になる。結局手にした住処はまた老朽化で住めなくなり、また内乱が起こって、また技術が衰える。戦争は技術を進歩させるというヒトもいるが、それは戦争に負けないため研究に投資するからだ。戦争そのものは破壊と衰退を招く。研究者という職が養えない環境では、技術は衰退するしかない。

 キューブの分離事故から一千五百年も経てば、ヒトは自分がどんな場所に棲んでいるのかも忘れ、原始の時代に回帰した。

 ――――それから二十万年の月日の中で誕生したのが、ホモ・キュブリストという新たなヒト種である。彼女達は主に旧工業区画に生息しており、倒壊したコンクリート製建造物が積み上がって出来た『岩』の隙間、洞窟とでも言うべき広大な空洞を住処としている。


「ンー。ンッフフー、フーン」


 天井光が隙間から差し込むだけの薄暗い領域であるが、そこにいたホモ・キュブリストの雌個体の一体は上機嫌だ。高度な知能を持つ彼女達は『音楽』を理解し、鼻歌を奏でる事も出来る。

 この雌個体は年齢十五。若いものの、ホモ・キュブリストの社会ではそろそろ成体として認められる年頃だ。身体付きはトップアスリートのように引き締まり、その顔立ちは凛としたもの。それでいて年相応の可愛らしさも感じさせる。ヒトの雄がいれば大勢からモテた求愛された事だろう。ごわごわとした毛皮の衣服も彼女が着れば『ファッション』だ。ホモ・キュブリストから見ても、美しい雌である事は付け加えておこう。

 彼女をルーシーと呼ぶ事にする。

 ルーシーの身長は百四十四センチ。小柄な体躯だが、生殖可能という意味では成体だ。またこの小さな身体は珍しいものではなく、ホモ・キュブリストとしては平均的なものである。

 小さな身体は消費するエネルギーが少ない。キューブ内は閉鎖環境であり、食物が非常に限られている。小柄な体躯の方がキューブでの生存には適していたため、低身長化が進んだのだ。

 また彼女達には足の小指がなく、四本指となっている。ヒトの頃から足の小指は退化傾向にあったが、それは歩行時に小指を殆ど使っていなかったため。ホモ・キュブリストでは完全に消失しているが、歩行に支障はない。僅かなものだがエネルギー消費も減り、効率的な肉体となっている。

 身体の次はその暮らしぶりを観察してみよう。


「フフー、フンフーン」


 鼻歌を奏でながらルーシーが行っているのは、手許にある石器を削る事。黒くて艶のある石器を、灰色の石で叩いて形を整えている。

 石器と言ったが、実態は『高密度重鉄鋼』という素材で出来た代物だ。キューブの工業区画で生産されており、主にキューブの推進力であるエンジンの素材となる。生産には複雑な工程が必要であり、極小機械であるナノマシン内での合成は出来ないため工業区画で作られていたが……今では頑丈な石器の材料として、ホモ・キュブリストに使われている。

 灰色の石こと強化コンクリートは、積み上がっている周りの『岩』から採取したもの。これもまた頑丈な素材であり、石器の加工などで役立っていた。高密度重鉄鋼をホモ・キュブリストの腕力で削るにはこの強化コンクリートが欠かせない。


「ン……フゥ」


 叩いて少しずつ削った高密度重鉄鋼を、持ち上げてルーシーはしげしげと眺める。天井の隙間から差し込む光を浴びてキラキラ輝く様に、ルーシーはうっとりと目を細めた。

 満足のいく出来だったらしい。観察した後、ルーシーは出来上がった石器を大事に持って移動する。身体を通すのがやっとの隙間をさくさくと通過し、目的地を目指す。

 さて。ここで少し石器について話そう。

 石器の中でも、叩いただけで『完成』とするものを打製石器と呼ぶ。この打製石器は手間が掛からないのが利点だが、石を叩き付けるというやり方のため細かな加工は難しい。道具としての品質を上げるべく、更に細かな加工をするにはもう一手間必要だ。

 その一手間を行うための『区画』がこの洞窟内にはある。


「……ンバーバー」


 移動したルーシーは、辿り着いた区画で『挨拶』を行う。

 そこは開けた場所だった。ぽっかりと開いた半径十メートルほどの円形のホールである。中心には水が溜まり、ちょっとした池になっていた。

 此処は建物倒壊時に偶然大きな瓦礫が壁となり、周りから押し寄せる小さな瓦礫を防いだ結果出来た場所だ。中の水は定期的に振る雨(スプリンクラーによる環境再現)が溜まったもの。

 そしてこの池の周りに大勢の、二十五体の『ヒト』の姿がある。

 ルーシーと同じ、ホモ・キュブリスト達だ。此処にいる個体はルーシーにとって顔馴染みであり、協力して生活している仲間でもある。

 ホモ・キュブリスト達の生物的特徴として、群れを作る点が挙げられる。数は二十〜五十程度であり、雌雄の比率は基本的に一対一。成体と幼体の数が大体同じなのも特徴だ。


「ンバーバー」


「ンバーバー」


 また、ルーシーの挨拶に仲間が返したように、彼女達は言葉によるコミュニケーションを行う。傍に来たルーシーは仲間の雌個体達と『会話』を始めた。

 ホモ・キュブリストの会話で日常的に使われる語彙は、ヒトが用いていたものより少ない。例えば日常会話の九割を理解するために必要な語彙数は、日本語で一万語、英語で三千語、フランス語で二千語ほどである。しかしホモ・キュブリストの会話を理解するのに必要な単語は、たったの三百語ほどだ。

 ヒトと比べてこれほど語彙数が少ないのは、一つは文明を喪失した事が原因だ。ヒトの日常会話に出てきた単語の多くは文明由来のもの。例えばジュース、車、パソコン、道路、電気、信号機、ペットボトル、お金……いずれも文明がなければ存在しない、存在しても単語である。内乱の頻発により技術が衰退するのと共に語彙は失われ、殆どが忘れ去られた。

 また、ホモ・キュブリストは発声能力がヒトより低い事も語彙力低下の一因である。喉の構造が変化しており、あまり複雑な声を出せない。


「バファ、アフ、アイファー?」


「ダムダム。ターヤ」


 とはいえ言葉の拙さは、彼女達の知性の低さを示すものではない。「そろそろ男達帰ってくるかな?」「いやいや。まだでしょ」……大凡このような意味合いの会話をルーシーと仲間は交わしている。

 自分達と異なる性別を認識し、時間の概念を把握し、相手の意見を否定する。極めて高度な会話能力だ。

 そのような会話をしながら、ルーシーは此処に訪れた目的を思い出す。先程作り出した石器を水に浸し、底に溜まった砂に擦り付けた。

 此処に溜まった砂は周りにある強化コンクリートが二十万年の月日を経て風化し、堆積したもの。極めて微細かつ頑丈で、研磨剤のように使える。これにより石器を研磨し、細かく加工するのだ。

 このように研磨処理が加わった石器を磨製石器と呼ぶ。磨製石器は手間が掛かるものの、細かな加工が行えるため、様々な用途の日用品を作り出せる。例えばルーシーが今作っている石器は『調理器具用』の小さなナイフだ。

 ホモ・キュブリストはヒトと同じように、食材を食べやすく加工する技術を持つ。しかし打製石器の刃は荒く、食材を綺麗に切り分けるには向いていない。綺麗に切れないと力尽くで切らねばならず、また思った大きさに分けるのも困難。高度な調理には優れた道具が必要なのである。

 勿論調理には道具だけでなく、食材が必要だ。その食材を確保するのは、此処にはいない雄の役割。


「ボアーノー!」


 帰宅を告げる言葉を聞き、ルーシー含めた雌達が振り返る。とはいえ出迎えはしない。雄達の方から此処に来てくれるのだから。

 やがて広間に現れたのは、身長百五十センチほどの雄個体達。数は二十で、各々の利き手には研磨されていない石器……打製石器が握られていた。

 そして雄達に引きずられてきたのは、体長二・二メートルの獣。

 オオケモノブタである。オオトラネコの観察時に現れたソウゲンブタと同じく、家畜のブタから進化した生物。こちらは草原ではなく、荒れた岩場に好んで生息する。足が長く伸びており、よく開く指先と柔らかな蹄は岩場を歩くのに適した構造だ。性格は極めて凶暴で、自分に近い大きさの生物には容赦なく口からはみ出している牙を突き刺してくる。

 雄達が連れてきたオオケモノブタは無数の刺し傷があり、既に息絶えている。殺したのは勿論、洞窟内に帰ってきた雄達だ。

 ホモ・キュブリストは性別による分業を行う。雄個体は屈強な身体を活かし、食べ物の採集を担う。祖先であるヒトから食性の広さを受け継いでいるため基本的にはなんでも食べるが、特に好むのはオオケモノブタなど大型動物の肉だ。実質、狩りに出るのが役割と言って良い。

 そして仕留めてきた獲物を処理するのは、雌個体の役割である。


「バムッ! バム!」


 年長の雌個体(四十二歳。群れの中でも一番の高齢だが、腹筋が割れた筋肉質な身体は若々しく、ヒトには二十代後半ほどに見えるだろう)が、雄達をオオケモノブタの傍から追い払う。

 オオケモノブタの傍にいたのは十〜二十歳の若い雄達。自分達が仕留めたとアピールしたかったようだが、雌にとっては仕事の邪魔だ。またホモ・キュブリスト達には細菌やウイルスの概念はないが、泥や血で汚れたものが病気を招く事を知っている。これから食べる食材の傍に、激しい狩りで泥塗れになった雄達がいるのは好ましくないと考えた上での行動だ。

 そして生物学的に重要なのはこの知識が本能ではなく、伝統によるものである事。

 幾万年と積み重ねてきた歴史の中で、食中毒により死ぬ個体が幾つもいただろう。その予期の『経験』を伝統や伝承として受け継ぐ事で、ホモ・キュブリスト達は真実を知らずとも適応的な行動が行えているのだ。


「ブァー。ハンアーナ」


 年少達が叱られたところで、年長の雄個体が他の雄達を引き連れていく。それと背中を優しく叩いて励ましていた。年長の雄も幼い頃、年上の雌に怒られた事があるのだ。

 雌に追い払われた事もあって、狩りを終えた雄達は住処の奥へと向かう。そこには雨水の溜まった水場があり、身体を洗う事が出来る。全てのホモ・キュブリストの住処にこうした『施設』がある訳ではないが、水場があれば身体を洗浄するのはホモ・キュブリストでは一般的なものだ。彼等は水をあまり恐れない。恐れず、身体を清潔に保っていた個体は生存確率が高く、より多くの子孫を残せたからだ。

 雄達がいなくなった後は、いよいよ雌達の仕事。ルーシーも仲間達とオオケモノブタの下に駆け寄った。

 これから行うのは獲物の解体。オオケモノブタのように大きな獲物は皮が分厚く、それでいてホモ・キュブリストの歯は肉食動物ほど鋭くない。ヒトと比べれば鋭利だが、楽々と食い千切る事は出来ないのだ。

 また小さな獲物であれば一体で簡単にバラバラに出来るが、オオケモノブタは体長二メートルを超える大物だ。これを一体で解体するには時間が掛かる。勿論時間を掛ければ解体可能だが、死んだ生物はどんどん腐敗していく。食中毒を避けるためにも手早い解体が好ましい事を、ルーシーの群れは経験的に知っていた。

 そのためみんなで協力し、手早く解体を行う。

 そしてその解体、更に『その後』に、彼女達の発展した文化を見る事が出来るだろう。

 次に観察するのは、その文化だ。

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