箱庭の生態系

彼岸花

ようこそ

 ようこそ、私の意識の末端へ。


 君は、どうやら地球人のようだな。名前は■■■■。性別は……おっと、何故私が君の名前を知っているのか、疑問に思っている事だろう。

 その理由の前に、私自身について説明しよう。

 私の名はエルス。我々が用いる言語と理論、そして感性はヒトと異なるため正確な表現ではないが、ポジトロニウム生命体という呼び方が、君達ヒトに最も齟齬なく我々の性質を伝えられるだろう。実際は、ポジトロニウムよりも更に小さなもので我々の身体は出来ているのだがね。

 君の内面を読み取れるのは、私の身体があらゆるものを透過し、その内側を覗き込めるからだ。君の肉体を構築する分子や原子のみならず、素粒子の運動も全て観測している。君の意識というのも元を辿ればそれらミクロな粒子の動きや働きにより生じているもの。全てを観測すれば、心を『予測』するなど容易という事だ。


 そして君の意識が何故私とこうして対面しているのか。それは君が眠りに付いた際、君の精神的エネルギーが、君の暮らす宇宙の物理法則により次元領域を超え、偶々私の意識の波形と一致した結果だ。

 より詳細な理論の説明も可能だが、ここでは省くとしよう。この話を理解するために必要な語彙を全て得るには、君達ヒト文明はあと十八億七千二百十一万三十九年ほど進歩する必要がある。尤も君達の文明が存続するのは計算上――――いや、これは話の本題ではないね。要するに、どれだけ丁寧に話しても君には理解出来ないという事。一般的なヒトの未就学児に特殊相対性理論を説明するようなものだ。


 ……ふむ。元の世界に戻りたい、と君は思っているのか。


 その点については心配する必要などない。この状況は、いわば夢を見ているようなもの。君の肉体の覚醒と共に終わる。覚醒せずとも、少し波形がズレれば勝手に終わってしまうだろう。

 その意味ではこれは現実ではなく、全て夢の出来事と思えば良い。


 さぁて。君が知りたがっている事については説明した。対価代わりというのも難だが、私のお願いを聞いてほしい。


 大したものではない。私の話を聞いてほしいだけだ。そして私が話すのは、これまで私が見てきた無数の生命の歴史と進化、それと生態について。

 世界には、数多の宇宙と次元が存在する。

 宇宙一つ一つに法則の違いがあり、星の一つ一つに環境の違いがある。そこには様々な生命が誕生し、無数の進化を遂げ、千差万別の生を謳歌している。

 私はその様子を観察するのが『趣味』だ。これまでに幾つもの宇宙を観測し、そこに暮らす生命の誕生と死を見てきた。


 無論観察自体が楽しいから続けてきた訳だが、どうにも私は同族の中でもとびきりお喋りな性格でね。見てきたものを誰かに話したくて仕方ないのだ。

 しかし私以外のポジトロニウム生命体にこれを提案しても、全く興味を持ってくれない……我々の意識の広さをヒトで例えれば、熱的死を迎えるほどに膨張した宇宙を、指先の砂粒程度にしか感じないほど巨大だ。砂粒の中の構造体に興味を持つモノなんて、ほんの僅かなのは想像が付くだろう。まぁ、それを差し引いても我々は何事にも無関心な種なのだが。


 どうだね? 君は聞きたくないか? 異次元の、異なる宇宙の生物の生き様と進化を。


 答えは分かっている。我々の観測能力は、指先の上の砂粒を素粒子レベルで見通せるほどなのだから。君達ヒトの思考を司る動きも、全て観測し、予測出来ている。君が答えを告げずとも、私は全て分かっているんだ。

 話させてもらおう。私がこれまでに見てきた数多の生命について。


 さて。では最初に話すものは何が良いか。


 あまり突飛でも良くない。君も、七次元空間で時間遡行時に生じるエネルギーを用いて繁殖する、高次元結晶構造生物について話しても、ちょっとばかり困惑するだろう。何事も順序が大切だ。

 まずは身近な生物から。地球人が作り出した、とある『環境』に生息している生き物について語ろう。

 地球人といっても、君達の事ではない。別次元に存在し、似たような、けれども異なる歴史を辿ってきた地球……所謂並行世界の地球人だ。その地球人が、とある目的のために作り出した環境がある。

 その環境を観測したのは、今からざっと八百二垓六十一兆七千七十八億年以上前の出来事。我々にとっては瞬き一回分もないような刹那の時間だが、既にその地球のみならず宇宙も崩壊している。しかし私の『力』を使えば、当時の光景を君に見せる事が可能だ。


 例えば、こんな風に。


 ――――見えてきただろうか。宇宙空間に漂う、正六面体の構造物が。


 一辺の長さは五十五キロメートル。表面は全体的に白銀で輝いているが、その表面を形作るのは長さ一メートルほどの正六面体パーツだ。これが無数に組み合わさって一つの大きな構造物を作り上げている。パーツは面の中心に備え付けられた赤いライトが常に明滅し、エネルギーが滞りなく巡っている事を示す。


 一見すれば、すぐに人工物だと分かるだろう。その印象は正しい。これは、この並行世界の地球人の手により作り出されたものだ。

 これを『キューブ』と呼ぼう。

 キューブが誕生したのは今から……君に今見せている光景の時代から、の事。こうして宇宙空間を漂うようになったのも、ほぼ同じ時期だ。その二十万年の間、キューブは何処とも接合せず、宇宙空間で孤立していた。

 この孤立した時間は、生物が進化するのに十分な時間である。

 キューブ内には、宇宙を漂う前に様々な生物が生息していた。それらは元々地球で普遍的に見られる種だったが、長年キューブ内で暮らしてきた事で新たな種へと進化している。そして独自の生態と、複雑に絡み合う生態系も生み出した。


 ヒトが作り出した、ヒトの手を離れた生物達。

 その姿を、一つ一つ語っていくとしよう。


 ……その前に、まずはこの閉じた『世界』の成り立ちについて説明するがね。

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