権力の香りに包まれて

 その日の酒宴で、姉妹はルブラン・サロンのメンバーから歓待を受けた。

 当初、宴は偉大な術者姉妹を女王として迎え盛大に催すことが企画されていたが、女王即位の話は中断され、また焼け出された民衆が乞食となってさまようなか、大規模な酒宴を開けばソフィーの機嫌を損ねるであろうとして、ごくささやかに、名目も打ち続くペストや内戦の死者を追悼ついとうし、新たな国づくりの志を固めるためであるとした。

 参加者は術者姉妹とルブラン・サロンのほぼ全員で、一軍を率いて野外に陣を張り、都を守っているゲンスブールだけが不在にしている。テオドール、アレックス、シャルルといった都入り前からの仲間に加え、テオドールの弟ジョシュア、ソフィーに拾われてみなしごから将軍にまで立身したヴァレンティノ、トルドーやカッシーニといったサロンの中心人物たち、隣村の長であったブーランジェ未亡人、南方都市エクランをそっくり解放軍に寝返らせたペドロサ、オルビア州の長官であったアレグリーニも、首都陥落の戦火から無事でいた妻のマリアナとともに出席している。ほかにも、古くからの有志が綺羅星きらぼしのごとくつどっている。

 ソフィアは、こうした宴席や会合がひどく苦手である。ルブラン・サロンは成立当初の動機はともかく、実態としては政治結社であったから、話も合わない。平和になり、落ち着いたら、画家の友人がほしい。

 気疲れを感じ、隅でひとり休んでいると、彼女に何かと親切にしてくれるブラニクが、静かに声をかけた。彼女はどれだけ酒を飲んでも酔うということがない。

「ソフィア、疲れたの?」

「皆さんよくしてくださるんですが、どうしても気を遣ってしまって」

「そうね、早速、派閥争いも始まってるみたいだし」

「派閥? なんのことです?」

「帝国の権力者や行政官は一掃されて、今度は私たちがその地位に就くというわけ。誰だって、力を持ちたい。そのためには昨日までの仲間を蹴落とすこともいとわない。そういうことよ」

 ソフィアが見るブラニクの表情には、シニカルさと徒労感とがうかがわれる。主体が誰であっても、権力とは常に腐敗の絶好の苗床となる。そのことに、失望を感じるのであろう。理想に燃えていたはずのルブラン・サロンは、野心に取って代わられようとしている。

 ソフィアはしかし、サロンの人々が我欲にとらわれて醜い勢力争いを始めようとしていることなど、にわかには信じがたい。つい先日まで、そのような気配は微塵もなかったではないか。

「詳しく教えてください」

「そうね、まず首班格のルブラン氏。彼はいわば革新派で、既得権益や官僚特権を廃して、国によって細かく管理された、平等で公正な世の中を目指している。理想は分かるけど、ちょっと頭でっかちなのよね。彼の考えに従えば、少なくとも何年間かは、大きな変革にさらされて国は大混乱でしょうね。共鳴するのは……」

 目線を移した先に、ルブランがワイングラスを片手に何やら論じる姿がある。彼を中心に取り巻くのは、カッシーニ、チェーザレ、クレッソンといった面々で、思想的にも性格的にもルブランと非常に近しい連中と言える。

 彼らは古くからの仲間で、サロンの正統派メンバーと言えるが、これに対抗しうる派閥があるのだろうか。

「対立するのは、彼らよ」

 ブラニクが顎をくいっと動かした方には、陽気にさざめきつつ、祝杯を掲げる集団がある。トルドー、トスカニーニ、マルケス、ブーランジェ未亡人、そしてヴァレンティノといった人々である。

「思想としては、中道派といったところかしらね。急進的に改革を断行するのではなく、旧帝国の体制や法制、権益を引き継ぎつつ、可能な限り早期に国内を安定させて、国家の基礎を固めようという考えよ。ま、現状に妥協して、緩やかに国を変えていこうということね」

「ヴァレンティノが派閥争いに加わるなんて……」

「見ていて分からない? 彼はただ、取り込まれているだけ。帝国の打倒を通して、彼の軍事的才能は証明されてる。いずれ本格的な抗争に発展するのを見越して、中道派が軍を持つ連中に声をかけているのよ」

「テオは、どのような立ち位置でしょう」

「悪いけど、彼はお飾りよ。サロンの力の均衡を保つために彼がいるのであって、いずれ力を持った者の言うなりにさせられる。彼には確かに人望はあるけど、それは帝国を倒すまでに使える器であって、新しい国をつくる器ではないわ」

 ソフィアは暗鬱な気分になった。権力というのは、近づけば近づくほど、人を強欲にさせ、好戦的にさせるものらしい。ソフィーもソフィアも、そしてテオドールも、権力に魅せられた強欲で好戦的な人々の道具として使われる運命なのであろうか。

 しかし、彼女にとっての本当の絶望はそのことではない。

「もう一つ言わせてもらうと」

「なんです?」

「彼らが、テオに力を与えるはずがないということ。どういう意味か分かる?」

「いいえ」

「あなたとテオは決して結ばれないということよ」

 瞬間、ソフィアは息が止まる思いをした。目の前が真っ暗になりかけ、咳き込むようにして問い返した。

「どういうことですか?」

「もしあなたが女王になって、彼と添い遂げたいなら、当然、結婚するしかない。でもあなたたちが結婚したら、テオは女王の夫として特別な力を持つことになる。彼らはテオを、序列の筆頭に置きつつ、あくまでも自分たちと同じ臣下の一人という身分にしておきたいのよ」

 女王になることは鳥かごの鳥になるということ、とブラニクはぼそりとつぶやき、そのままいずこかへ去った。

 ソフィアはそのことにさえ気づかぬまま、ただ数時間前のテオドールの言葉と表情とを反芻はんすうしていた。彼も、ブラニクの言ったことを察していたのかもしれない。ソフィアが女王になれば、ふたりは結ばれることはない。であれば何故、彼はソフィアにそのことを告げてくれなかったのであろう。ふたりの将来のことだ。ふたりで話し合うべきことではないか。

 (テオは?)

 会場内を見回したが、テオドールは見当たらない。

 相談すべきソフィーは、中央の最も大きい円卓で、すっかり酔いが回っているのか、顔を赤く染め、ふやけたような表情でしきりと杯を重ねている。その周りはアレグリーニ夫妻やアレックス、シャルル、フェレイラ、デュラン、挙兵の直前に官兵に殺されたセルバンテス老人の孫イネス・セルバンテスといった若い男女が集まっていて、内気な彼女が割り込めるような雰囲気ではない。

 ソフィアはやむなく、軽い術を使うことにした。術者は、思念を交わした相手であれば気配を探ることができる。例えばソフィーとソフィアは、ひとつの思念を分かつようにして生まれ育ったため、互いの所在を常に確認できる。同様、テオドールも、彼女と肉体の交わりを通じて思念を交流させているため、ソフィアは精神を集中させることで彼の居場所が分かる。無論、その反対は不可能であったが。

 誘われるようにして、彼女の足取りは愛するひとのもとへと向かった。

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