天命は移ろい

 カーボベルデの宮廷にいる大臣たちは、どうやらルブラン・サロンなる一派が都を脱出してアルジャントゥイユなる小県にり、各地の叛乱勢力を主導しているらしいことをつかんでいた。彼らは当初、それを危機的状況とは見ず、一部の跳ね返りどもが火遊びをしているという程度にしか認識をしていなかった。

 カーボベルデには、五騎大将軍と呼ばれる将軍たちが、それぞれ数千の常備軍を抱えて駐留している。ミニエー、カペル、リベラ、クーロン、ファンファーニの五人である。宮廷は彼らの才幹と軍事力をあてにしきっており、叛乱の鎮圧は彼らに任せておけば安泰であると考えた。確かに、これがごく小規模な地方叛乱であったなら、この五大軍閥で難なく対処できたであろう。しかし、実際の叛乱勢力は楽観主義的な大臣たちの想定をはるかに超える規模であり、しかも腹立たしいのは、五騎大将軍として巨大な兵権と栄誉を与えられているはずの彼らが、負けて帰ってきたということである。ファンファーニ将軍は南方都市エクランに向かったものの、ペドロサの背水の陣に翻弄されて敗れ、アルジャントゥイユに派遣したカペル将軍は戦死した。さらにこの方面に第二次討伐軍として差し向けた筆頭大将軍のミニエー将軍までもが奇襲を受け敗北を喫したのである。まずいことに、西方のオルビア州でも州長官のアレグリーニが背き、挙兵したという。

 このため宮廷は大臣も官僚もみな目を血走らせ、右往左往して、叛乱軍の首都侵攻に怯えた。つい先日まで、取るに足らぬ対岸の火事と見ていたのが、火は彼らの足元にまで迫っている。

 急を要する事態であるのは、もはや明白であった。

 大臣たちは窮状を打開するため、カーボベルデの全域で、徴兵と徴収を行った。若い男子を兵として強制的に連れ去り、食料、さらには鉄や木材といった軍需物資を持ち去ったのだ。

 都に、怨嗟えんさが広まった。

 しかもこの頃にはソフィー、ソフィア姉妹を擁するルブラン・サロンが解放と称して叛乱を起こしていることは、都では知らぬ者のないほどに噂が立っていた。民心を動揺させるため、アルジャントゥイユから多くの密偵が入り込んでは、しきりと風説を流したためである。

 誰しも、知人縁者を姉妹に救われており、一方で国の統治にかねてから不満が渦巻いていたから、解放軍に心を寄せる動きは多く、なかでも志の高い若者どもは、剣を手に取って都を離れ、解放軍へとその身を投じた。

 このような情勢だから、都に駐屯する軍も士気がふるわない。ミニエー、ファンファーニ両名が相次いで敗退し、都へと逃げ帰ってから、討伐軍はすっかり及び腰になって、各地の叛乱軍を都に近い要害で迎え撃つ方針を決めた。

 一方、解放軍の側も兵力の集中を選び、北方からのテオドール軍、南方から上ってきたペドロサ軍、西方から駆けつけたアレグリーニ軍は連携しつつカーボベルデ北東に位置するプレギッサの町で合流を果たした。この間も解放軍には続々と義勇兵が参じ、その総兵力はなんと2万を超えた。装備も編制も練度もばらばらの混成部隊ではあるが、この数は都に駐留する軍の倍以上である。

 五騎大将軍のうち、未だ都に留まっていたリベラ、クーロンの両将は事態を憂慮し、エクラン方面より敗走したファンファーニ将軍を交え、計を立てた。

 ひとつ、ファンファーニ将軍は精鋭を率いて叛乱軍の正面に布陣し、決戦の覚悟を見せる。

 ひとつ、間諜を用いて叛乱軍陣内に風説を流し、足止めを図る。

 ひとつ、刺客を放って両翼のペドロサ、アレグリーニの両名を亡きものとする。

 ひとつ、クーロン将軍は潜行して叛乱軍の後背に迂回し、西方からの補給線を切断する。

 ひとつ、リベラ将軍はファンファーニ将軍の後詰として、臨機応変に動く。

 窮鼠猫を噛む、とことわざにあるが、この場合にその言葉をあてはめるのは適当ではなかろう。政府軍は鼠ではないし、解放軍もまた猫ではなかった。時流と勢いが後者の側にあるというだけのことで、本来、政府軍の方が強いのである。兵の質もそうであるし、指揮官もそうだった。ペドロサやアレグリーニのようにもともと自前の軍事力を束ねていた者もいるが、それはごく一部であって、総指揮官のテオドールや、ゲンスブール、アレックス、ヴァレンティノといった連中は一兵を指揮した経験もない。たまさか、動乱に乗じて兵を預かり指揮官として将軍の真似事をしているに過ぎない。

 プレギッサにおける戦いも、その弱点が露呈した。

 ひたひたと都へ押し寄せる解放軍の前にファンファーニ将軍の率いる少数の軍勢が姿を見せ気勢を上げたとき、彼らはすっかり敵を呑んでしまっていた、といえば聞こえはいいが、要するに油断した。ファンファーニ軍の数は、この戦場に展開する解放軍の10分の1にも満たない。勝負にならぬであろう。

 一方で、危惧する者もいる。解放軍において恐らく最も軍事的才幹と経験に恵まれていると言えるであろう、ペドロサである。彼はこの絶望的な状況下におけるファンファーニの決戦姿勢にむしろ疑問を持った。ファンファーニは直情径行で、進むことを知って退くことを知らない。だからこそ、先日の雪辱を願い決死の覚悟であると誰もが思ったわけだが、ペドロサは慎重である。

 陽動ではないか、と思った。

 都には予備兵力が待機しているはずである。彼は手持ちの戦力のなかから数百人という規模で偵察をばらまき、状況に対して警戒した。しかし最も気を配るべきはずの身辺で、異変が起こった。陣営内で朝食をとっている際、突如として刺客が、彼に襲いかかったのである。

 まだ夜が明けきっていない薄暮の軍陣で、ひょうと矢の風を切るうなりが聞こえて、変事は始まった。矢がペドロサの頬を突き破り、顎を砕いて首にまで達した。あとわずかに軌道がそれていたら、彼は即死していたであろう。だが幸か不幸か、矢は急所を外れ、彼の口内やのどをおびただしい血で満たしただけであった。

 ペドロサは暗殺者の存在を一瞬で悟ったのであろう。矢が刺さったまま、ぎろり、と目線を配り、腰の短剣を投げた。弓を手にした刺客は右の膝を刺し貫かれて、身体不自由になったところを捕らえられた。

 彼はだが、重傷を負っている。そのまま倒れ、昏睡に陥った。当然だが、軍の指揮をとることができない。誰が引き継ぐべきか、陣内が混乱するなか、彼らは西方にクーロン将軍の将旗を掲げる大部隊の存在に気づいた。西方というと、解放軍にとっては主要な補給線がある。アレグリーニの統治するオルビア州は、ぶどうの産地ではあるが穀倉地帯ではない。だがこの方面はもともとアレグリーニが掌握しており、解放軍の勢力圏としては最も安定している。昨日や今日、解放軍の手に落ちた地域よりも、補給の源泉として有力なわけである。その事実は、指揮官級だけでなく、末端の兵も知っている。特にアレグリーニ軍の事態に対する認識は切迫していた。帰るべき家への道を閉ざされた軍というものは悲惨である。動揺を隠しようもない。

 補給線とは、軍にとっては生命線と言っていい。

 しかも悪いことに、ペドロサに対する暗殺未遂とほぼ同時に、アレグリーニにも刺客の手が伸びていた。こちらは幸いにも、実行前に暗殺者を捕縛することに成功したが、アレグリーニ司令部は一時的に混乱した。

 解放軍全体に動揺が見られるなか、西方のクーロン軍と南方のファンファーニ軍は機を逃さず、呼応して進撃を開始した。ファンファーニ軍の後背にはすでに後詰としてリベラ軍の姿も見えている。

 戦場にいる兵の数では、解放軍はまだ政府軍の倍以上はいる。しかし数は多くとも、解放軍は烏合の衆でしかない。実戦指揮官としてはひよこに過ぎぬテオドールが、2万もの軍を自在に統御できるはずもない。頼みの綱であるべき両翼のペドロサ軍、アレグリーニ軍でさえ混乱から立ち直ることができていない。

 本格的な戦闘の開始は日が高く昇った頃合いであった。敵軍に倍する兵力を擁しながら、解放軍は戦線の各所で押されている。指揮系統や士気に乱れが生じている上に、なまじ数が多いために遊兵が目立つ。一方、政府軍は都であるカーボベルデの近郊にまで攻め込まれて、窮鼠と化している。

 特に雷龍ファンファーニの奮迅ぶりは伊達ではなかった。彼は自ら最前線に躍り込んでは稲妻のように荒れ狂い、存分に働いた。

 あと小一時間でも戦闘が長引いたら、解放軍は全面崩壊に直面していたであろう。

 救ったのは、ヴァレンティノであった。彼はペドロサが凶刃に傷つき倒れ、その軍を指揮することがかなわなくなったと知るや、すぐに乗り込んで、指揮権の掌握に務めた。そして間髪入れずに西方に出現したクーロン軍へ狙いを定め、決死の勝負を挑んだのである。そして猛攻に次ぐ猛攻の末、多大な犠牲を払いつつこれをしりぞけることに成功した。彼は休むことなく本隊の救援に駆けつけ、ファンファーニ軍を側撃してその攻勢を頓挫させた。

 一時は絶体絶命に思われた戦況は覆り、政府軍は順次、戦場から都を目指して離脱していった。

 奇跡の勝利と言っていいかもしれない。しかも驚くべきは、その奇跡を現出させた手品師が、つい先日までは名もなき少年で、エクランの牢獄に入れられたこともある悪童であったのだ。

 彼は本陣に参上するや、なんとペドロサ、アレグリーニの両将と同格の席を用意され、英雄として迎えられた。特にペドロサは暗殺未遂で負傷し、部隊の指揮をとれなかったことを詫びつつ、ヴァレンティノの機転と用兵を激賞した。確かにこの戦いの勝敗は解放運動の成否に決定的な影響を及ぼすであろうし、降伏兵を取り込み各地からの義勇軍も続々と合流して、数日後にはその兵力は3万を超えた。

 彼らはカーボベルデの都を包囲し、血気にはやり功を焦る連中は即時突入を主張するも、参謀として従軍していたルブランはあえてその勢いを抑えて、宮廷の内部から崩壊させるべく工作に腐心した。

 果たして、アパラチア帝国の終焉は拍子抜けするほどあっさり訪れた。敗北避けられがたきことを悟り、自己保身のとりことなった者が、解放軍に内通したのである。これには、ルブランの調略が見事に奏功したといっていい。

 裏切ったのは、五騎大将軍の一角であるクーロン将軍であった。もともと、忠義に欠ける一方で利にさといと評される人物である。彼はプレギッサの地で一敗地にまみれ、そのまま都へ逃げ帰ったが、帝国の衰亡が意外にも目前に迫っていることを知って、自身の無事を考え、かつむしろこの機を逆用してさらなる立身ができないものか思案した。できれば降伏したかったが、それではただ捕虜となるのみで、不遇な晩年が待っていることは目に見えている。

 だから、ルブランからの内密の使者が訪れたときは渡りに船と思ったであろう。使者は消え入るような小声で口上した。

「将軍。将軍の名声は解放軍にも鳴り響いておりますぞ。苦労して手に入れた地位や名誉を、あたら滅びゆく国になげうつ必要はございますまい。解放軍に呼応され、内から帝国をお崩しになれば、御身おんみのご安泰はもとより、解放軍第一の英雄として、その名声と栄華は永遠に約束されるでしょう」

 クーロンは狂喜し、日を示し合わせた上で、解放軍が外部から突入するとともに宮殿に火を放った。防備にあたっていたミニエー、リベラ、ファンファーニの各軍も味方の裏切りに恐慌状態に陥って、このうちリベラ将軍は乱戦のなか味方の矢を誤って受け戦死した。

 ミニエー、ファンファーニ両将軍はやむなく宮殿と皇帝を捨てて南西方面へと逃げ落ちた。

 皇帝の身柄は一度はクーロンの軍によって確保されたものの、激しく抵抗し、兵の槍を奪ったために殺すほかなかった、とのちにクーロンは主張している。彼はこの直後、臨時司法官の任を帯びたペドロサによって卑劣な裏切り者の烙印を押され、即決裁判ののち直ちに処刑された。無論、このあたりの扱いについては、ルブランの悪辣な計略が働いていることは言うまでもない。皇帝を生きて捕らえたところで邪魔にしかならない。もはや勝敗が完全に決した段階であれば、自らの手を汚さずとも、沈む船から逃げようとするネズミに皇帝殺しの役をやらせ、しかるのちに始末すれば最も効率が良い。

 都を脱出してのち、ミニエー、ファンファーニの両名は半島南西部のドランシー地方に逃れ、そこで地盤を固め、捲土重来けんどちょうらいこころみた。彼らの闘志たるやさかんで、新政府軍の討伐部隊を幾度か撃退したが、すでに滅びし国の残党であるため、支持する者もなく次第に衰え、最後はブーランジェ未亡人が仕掛けた離間の計によって互いに殺し合い、労せずして鎮圧された。

 いずれにしても、ついに天命は移った。

 ここに至るまで、それはつまり、ルブラン・サロンの挙兵から首都カーボベルデ陥落とアパラチア帝国の滅亡まで、歴史はここで語ったよりもはるか多くの出来事を記しているが、それらの整理や研究はひとまず専門の歴史家に任せておくとして、本稿では筆を置きたい。

 内戦の顛末てんまつ、それは通り道であって主題ではないからである。

 主題は、術者の姉妹であり、視点は再び彼女らに戻る。

 解放軍が都を完全に制圧したひと月後、ソフィーとソフィアは連れ立って、慣れ親しんだこの都会へと戻った。しかし、当時は術者としての名声こそあれ、筋目を正せばもとは名もなき平民である。

 今は、身分が違う。

 新生ロンバルディア王国の、初代女王として迎えられたのである。

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