救済者

 翌払暁ふつぎょう、ソフィーはシノーポリとその子分二人を解放した。

 意識を取り戻してからも、シノーポリの恐怖は尋常でない。彼は気づいたときには首から下を生き埋めにされていたのだ。それに、殺されかけた前夜の記憶もある。眼前にたたずむソフィーの姿に、というよりはその背後で彼をにらんでいるソフィアのすさまじい目を見上げて、ただただ震えている。

「あなたたち、もう悪いことはしない?」

 尋ねられたシノーポリは泣き叫ぶようにして、決して悪事を働かないことを誓約した。

「けど、どうして野盗なんかやっているの。自分で作物を実らせればいいのに、人から奪おうとするの」

「こんな世の中じゃ、俺たちみたいなならずモンは真っ当な生き方もできねぇ。だから仕方なく徒党を組んで盗みや追いはぎをやってる」

「誰だって、生き方は選べるわ。世の中のせいにしないの。あなただって今からでも真っ当に生きられるわ。そうじゃないと、またらしめるからね。今度はもっと怖い思いさせるんだから」

「わ、分かったよ。必ず更生するから。まったく、天使みたいな顔して、寿命の縮むようなこと言うぜ」

 まず子分らの縄をほどいてやる。彼らはソフィアの術に直撃されて、全身に打ち身のあとが生々しいが、命に別状はない。

 子分どもに掘り起こされて、シノーポリは文字通り尻尾しっぽを巻くようにして逃げていった。剣や武器になるようなものは取り上げてあるから、ひとまずは危険はない。

 だが、後ろからは不服そうな声が聞こえる。

「ほんとにいいのか、生かしておいて。心を入れ替えるなんざ、口だけに決まってらぁ」

「いいの、ソフィアと相談して決めたことだから。それに殺しはやらないと言っていた彼の言葉は本当だと、あなたも言ったでしょ。きっとやり直せるわ」

「ま、俺たちだけだったら手に負えない相手だったから、やり方は任せるけどよ。悪党ってのは、死ぬまで悪党だ。あいつらがまた悪さしたら、お前のせいだからな」

「姉さんのこと悪く言わないで!」

「いて、いてて、分かったよ分かった!」

 ソフィーへの非難や侮辱に対しては、ソフィアはこのような過激な反応を示すことが多い。アレックスは何度か、杖で頭をぶっ叩かれ、逃げるようにして道を北へと歩き始めた。

 ところで、ソフィーとソフィアが交わした約束についてであるが、小半時こはんときほど前のことである。

 ソフィアが姉の術から目覚めたあと、ふたりは術の使役について改めて議論した。

 ソフィアは冷静さを欠いてやみくもに術を放ったことについては反省したが、大切な人が目の前で殺されそうになっていたらまた同じことをする、と言った。姉さんが危ないときは、私は迷わず助ける、姉さんは私が殺されそうなとき、それを天命だとあきらめるの、と。

 妹のその問いに、ぐわん、とまるで水瓶みずがめで頭のはちを割られたような思いを味わった。ソフィーも、もし妹が昨夜のテオドールのような状況に置かれていたなら、どのような恐ろしい術で報復したか分からない。両親を、ペストから助けられるだけの力がありながら放置して見殺しにした、その経験は、彼女におぞましく悲劇的な記憶としてこびりついている。もうあのような思いはすまい、助けられる命を前に躊躇はすまい、とそう誓って術者として生きる道を選んだのではなかったか。

 しかし、ソフィーにはまた別の考えもある。

「ソフィア、聞いて。私だって、あなたと同じ気持ちよ。でも考えてみて。私たちが夕べみたいに、降りかかる火の粉を払うだけのつもりだったとしても、人からはきっと、再臨した術者が恐ろしい術を使ったと言われる。そんな噂が広まれば、みんな私たちを怖がって、近づかなくなるか、もしかしたら殺そうと迫ってくるかもしれない」

「まさか」

「誰だって怖いのよ。私たちを信じて、守ろうとしてくれる人なんて、世のなかにはほんの一握りだわ。それ以外の人は、私たちが望まずとも、敵になってしまうかもしれない。だから間違っても、人を助ける以外の目的で、術を濫用らんようしてはいけないと思うの。これはおきてだからではなくて、私たち自身のためによ」

 がく、とソフィアは首を垂れた。

「姉さん、ごめんなさい。私、そこまで考えてなくて。ただ夢中になってしまって。姉さんの言う通りよ」

「落ち込むことないわ。なんでも、ふたりで話し合って、どうするか決めていこうね」

 こうして、次のことが決まった。

 原則として、人を助ける以外の目的で術を使わないこと。彼女たちが志を立てたのは、病気で苦しむ人々を救うために、自分たちの力を役立てたいということであった。それ以外の目的で術を便利使いするのは、当初の志に反する。

 次に、危機的な状況に陥った場合は、相手を傷つけることのない穏便な方法で事態を収拾すること。ソフィーなら、風とともに逃げる、烈風で相手の足を止める、催眠術で相手を眠らせる。ソフィアなら、霧を発生させて相手の視界を撹乱かくらんする、巨大な泡に相手を閉じ込める、泥沼で相手の移動力を奪う。そうした対象を傷つけない術によって、窮地を脱する。そしてそのような非攻撃的な術を瞬時に発動できるよう、思念の鍛錬をしておくこと。

 姉妹にとっての、これは神聖な約束であった。

 さて、隣村のアディジェに着くと、奇妙なほどに出歩く人が少ない。アディジェはセーヌよりも少し大きな村と聞いている。当然、人もセーヌよりは多いはずであろう。

「あっ、あんたらがセーヌの術者姉妹でやんすか」

 咄嗟とっさに聞き取れぬほどのひどいなまりで出迎えたのは、村の物見やぐらで番をしていた若者で、彼は一昨日、セーヌの村に往診願いを伝えに来た男である。そそっかしい連中で、彼らはセーヌの長老らに用件を伝えただけで、ソフィーらの顔も見ずさっさと帰ってしまっていたのである。

「はい、私がソフィー、こちらは妹のソフィアです」

「こいつぁ救い主だぁ。早速ブーランジェ未亡人のもとへ」

 ブーランジェ未亡人に話を聞くと、ペストの蔓延で村の人口はなんと半分ほどに減ってしまい、長老をはじめとする年寄りはみな死に絶えて、今は村で最も人望があるとされる彼女が臨時で代表を務めているという。彼女の夫も、28歳の若さでつい先日、早逝そうせいしたという。良質のオリーブ農園と、八人の召使いを抱えている。さすが、富裕の家と言うべきだが、ペストの状況を恐れて、召使いは二人しか残っていない。

 あとは、まだ生まれたばかりの乳飲ちのみ子がいる。

「分かりました、すぐに治療をさせてください」

 ソフィーは張り切って言ったが、ブーランジェ未亡人は半信半疑の様子であった。

「あの、本当に治せるのでしょうか。ここに用意した1,400ルーガの資金は、決して蓄えの多くない村民たちから平等に募ったもの。失礼な言い方とは思いますが、彼らの願いを裏切らぬよう、何卒よろしくお願いしますね」

「はい、私たちに任せてください」

 ブーランジェ未亡人はまだ20代の前半といったところであろう。光り輝くようなプラチナブロンドの髪を持ち、広い額には知性が漂っている。

 太陽はすでに西に傾いている時分ではあったが、二人は手分けして各家庭を巡回し、ペストの患者を次々と治療していった。その奇跡に、村民の誰もが瞠目どうもくするばかりである。

 ただし、重症者であるほど、治癒には大きな思念を消費する。この場合の思念は体力と同義に近いが、やや異なっている。術の使役には体力の充実よりも精神の集中がより肝要で、術を使って思念を放出しすぎると、疲労し、下手をすると気を失う。

 思念の消耗から回復するには、肉体の疲労を感じた場合と同様、休養するしかない。つまり、一日のうちに限られた人数しかることはできない。

 ブーランジェ邸での晩餐ばんさんのあとで、テオドールは姉妹の寝室を訪ねた。ソフィーはこの時刻、すでに眠っていて、というより正確には寝たふりをしていて、要するにテオドールはソフィアとふたりきりで話をすることができた。彼らはこの日、朝からなんとなくお互いに気まずい思いで、日中の旅路でもついに一言も会話しなかったのである。

「ソフィア、ちょっと話せるかな」

「……うん、なに?」

「昨日はごめん」

「どうしたのよ。急に謝られても、分からないわ」

「君のこと守るって言ったのに、かえって足手まといに。それどころか、命を助けてもらった」

「いいの、そんなこと」

 すぐそばで狸寝入りを決め込んでいるソフィーには、こうした妹のつれない態度が、もどかしくて仕方がない。こうまで一途いちずに自分を思いやってくれる相手に、もう少し言いようがあろうというものだ。

 しかし、歯がゆい思いをしているのは、ソフィーだけではないらしい。

「あのね、テオ。私は何も、あなたが私を守ろうとしてくれてるのがうれしくないとか、感謝してないなんて言ってないの」

「え、そうなの?そう思ってない?」

「そうよ。あなたってつくづく鈍いのね」

 ぷいっ、と唇をとがらせるソフィアの表情が、ソフィーにはありありと想像される。姉の自分に対してはいつも素直で無邪気なのに、テオドールに対してだけはついつらく当たってしまう。それは裏を返せば、ソフィアにとってテオドールが特別な存在ということなのであろう。ソフィーに対するのとはまた別の意味で、テオドールに甘えているのだ。

 ソフィアの声が続いた。

「テオは無茶をしすぎなの。世話が焼けるんだから、あんまりいい格好をしようとしなくていいの。そのままでいいんだから」

 最後の一言は、自ら口にしておきながら余計なことを言ったと思ったか、真意を悟らせるまいと、ソフィアは慌ててテオドールに就寝を促した。

 素直だが鈍感なテオドールと、繊細だが素直になれないソフィア。

 (世話が焼けるのはあなたの方よ)

 ソフィーは心のなかでため息を漏らしたが、考えてみればこの感想は滑稽と言うべきであったろう。なぜならソフィー自身、まだ恋愛というものを経験したことがなく、その意味では彼女がこの件に関して仲立ちをしようとするのはどうも間が抜けている。

 もっとも、妹の面倒ばかりに気を取られて身辺がついおろそかになるというのは、かわいい妹を持つ姉ならば誰もが持つさがなのかもしれない。

 姉妹は、両日をアディジェのペスト患者の治療に費やし、一度は1,400ルーガという大金を受け取ったが、ふたりでよくよく話し合った上で、全額をブーランジェ未亡人に返還した。病に苦しむ人々を救済するのは、術者として生をけた自分たちの義務と思っている、とソフィーがそのように言うと、ブーランジェ未亡人は感激して涙し、村民らもみな姉妹の高徳に手を合わせ謝意を示した。

 これで彼女たちは、二つの村を、全滅の危機から救ったことになる。

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