第三十一話・望まぬ再会

 グレモリーと別れた大和は三階まで上がっていた。

 別れ際に掴まれた肩がまだ痛む。

 言葉で解決まで持っていこうという判断がないのだろう。言い合いになると最終的に暴力で従わされるのがお決まりのパターンになりつつある。

 ――俺が強かったらなぁ。逆に力でやり返せるのに。

 一介の人間が悪魔に勝てるものなのか。

 巨神器の恩恵を受けても尚、グレモリーの強靭な肉体には敵わない気がする。

 だからこそ毎回思う、仲間で良かったと。

 歯に衣着せぬ性格だったから今日まで生き抜いている。

 その点は感謝している。

 ただグレモリーが第一発見者になったばかりに四六時中付きまとわれ、保護対象とは思えぬ扱いを受けているのは否めない。

 ――それさえなければな。

 階段を上りきって廊下へ。

 陽光を反射して輝きを放つ塵一つない床。

 通り過ぎる際に教室を見ると人間界の教室となんら変わりない光景。

 机があり、ロッカーがあり、黒板がある。

 大和は思い出した。


「俺、まだ高校生じゃん……」


 怒涛の勢いで過ぎ去っていく日々にその事実も浚われてしまっていた。

 ――いや、待てよ。

 顎に指を当てて、思考を巡らす。

 転生した今の体は高校生の頃のままなのか。

 身体的変化は特にないのでそうだと思う、が。

 教えてもらい短期間で出来てしまった魔力操作や予知夢の事を鑑みると、やはり納得がいかない。

 魂は大和自身のものだが肉体は赤の他人、それこそ文字通り人の皮を被った悪魔なのでは、それも高名の者の。

 だが確かめようがないため推測の域を出ない。

 犯人を捕まえる理由が増えた。

 その時まで生き抜かなければ。

 足音を消してゆっくり進む。警戒を強めて魔力感知領域を使っているが反応はない。

 廊下の中央まで来たところで窓辺に寄り外を見る。

 校内を走り回る影が見えた。中庭の草木に阻まれて誰かまではわからない。

 よく見ようと目を凝らした時、今来た方向から殺気を感じた。


「うっ!」


 即座に離れると、立っていた場所に木の杭が三本勢いよく突き刺さった。足に掠り傷を負っただけで幸いだった。判断が遅れていたら串刺しになっていた。

 その攻撃方法に覚えがあった。住民避難作戦において森の中で戦ったあいつだ。

 そちらを向くと接近する人影。下から迫る拳を避けて横腹に蹴りを入れる。

 グレモリーから実際に叩き込まれて教えられた体術だ。

 しかし元は人間の力。吹き飛ばすまでは至らない。

 ぐぅと唸った相手は大和の服を掴んで投げる。

 足から着地した大和は剣を構えて対峙する。

 その相手は紛れもなくレラジェだった。


「人間……いや、大和。お前のせいでな、酷い目に遭っちまったよ」

「俺のせいにするなよ。お前が俺に負けただけだろ。自分の責任だ」

「黙れ! お前のせいで……お前のせいで!」


 レラジェが窓に手の平を開く。すると外から高速で木の棒が矢のように飛び、窓に蜘蛛の巣模様の亀裂を作ってレラジェの手に収まった。

 レラジェの固有魔法は『植物』。中庭の草木を利用しながら戦われる事になる。

 森の時に引き続き大和にとっては不利な状況だ。

 相手は手の届く範囲に武器庫があるようなもの。

 常にその事を気にかけなければならない。


「……来いよ、レラジェ」


 静かに言う。挑発ではない。一人で勝つという意思表示だ。

 レラジェが走り出す。二人の間合いはほとんど同じ。

 振り回される棒に剣を合わせる。

 鉄の硬度を持つルチスの木なのだろう。一撃の重さが剣を通して伝わる。

 撃ち合いが続く中、大和はある違和感を覚えた。

 以前と比べて明らかに力が増している。それに話し方も軽口から変わっている。極めつけは目の色だ。

 黒に紫が混ざった何とも気味の悪い濁った色。

 グレモリーが狂喜した焦炎の女を思い出した。

 足元から這い上がる恐怖が背中をぞわぞわと震わせる。

 集中力が削がれていった。

 力の緩みを感じたレラジェが一気に仕掛ける。

 棒が途中から分かれ、鋭い枝となって大和の足に刺さる。

 攻撃が止まった大和の頭に棒を叩き込む。


「がぁ!」


 鈍い痛みが広がる。鉄の臭いを放つ液体がどろりと頬を伝う。

 怯んだところに木の杭を飛ばす。

 それらは大和に当たる寸前で見えない何かに阻まれたように空中で静止した。

 陽光で照らされて青く光る壁は『結晶』の固有魔法で大和が作り出したものだ。

 結晶の壁に命令を与えて衝撃波を発生させた。

 砕けた杭の破片が霰のようにレラジェにしとど降る。

 顔を手で覆って防いでいるレラジェへ一太刀。

 腕に大きな切り傷が出来る。

 さらに第二撃、第三撃と繋げる。一つ、また一つと増えていく傷にレラジェの顔が曇る。

 しかしどれも致命傷には程遠い。

 それなら、と剣に結晶を纏わせようとした時、背後からまたも殺気。

 そこには『結晶』の衝撃波で砕けた杭の破片が一つに合体し、一回り巨大な杭となって大和を狙っていた。

 レラジェは既に棒を打ち振っている。

 そのタイミングに合わせて杭も飛び出している。

 ――間に合えっ!

 強く願って全身に結晶を生み出した。

 レラジェは咄嗟に攻撃の手を止めようとするが、ほんの一瞬、棒の先端が結晶に触れた。

 僅かな接触が引き金となり、二度目の衝撃波は全方向へ発せられた。

 空気を揺らして地響きが起こる。教室と廊下の窓が一枚残らず粉々に割れる。

 至近距離にいたレラジェが無事なはずがなく、目から鼻から口から耳から血を垂れ流し、もんどり打って倒れた。

 大ダメージを与えた一方で大和が今しがた立っていた足場も砕けてしまう。

 慌てて砕け散った廊下の端を掴んでよじ登る。砕けた天井の欠片が背中や腰に当たったが大事には至らない。


「……ってぇな」


 こめかみの辺りがじんじんと痛む。流れ出る血は顎から床へ滴り落ちていた。

 足の刺傷は深くはないもののやはり痛む。

 今の衝撃波で倒れてくれたら幸運ラッキーなのだが、現実はそう甘くないものである。


「か、下等、種族が。この程度で、俺が、倒れる訳がない、だろ」


 棒を支えにして立ち上がる。

 顔を伝って垂れる鮮血が、顔に深紅の模様を描いている。

 レラジェの怒りの表情とシナジーを起こしておぞましさを増大させていた。


「お前は、殺す!」


 レラジェの脇腹の辺りに丸い紋章が浮かぶ。大和が『結晶』の固有魔法で抉った箇所と紋章が浮かんだ位置は一致していた。


「あの紋章は……」


 ソロモン七十二柱それぞれに宛がわれた悪魔紋章は全て覚えている。

 脳内で照らし合わせる。

 だがそれよりも先に、紋章から伸びる線がレラジェの全身に巡っていくのを目にして照合作業が妨げられた。

 線が一センチ蝕む度に苦しそうに呻いて血を吐いた。

 嫌な予感がして剣を構える。

 十秒程で侵蝕が止まるとレラジェの風貌は大きく変わっていた。

 髪は燃えるような赤色に、濁った色の瞳は紫一色。溢れんばかりの魔力は空間を歪め、心なしかレラジェの体を大きく見せた。

 線が広がりきると獣のような雄叫びを上げた。


「行くぞ!」


 そう言い放ったレラジェはたった一歩踏み出しただけで『結晶』の衝撃波で空いた廊下の穴を飛び越えた。

 目に追えない速さだった。

 気づいた時には腹に飛び蹴りを食らっていた。


「おぅえっ!」


 大きく嘔吐えずいた。内容物が堰を切った水のごとく上がってくる感覚。


「まだまだぁ!」


 レラジェの持っていた棒の形状が変化していく。

 一メートル程の長さが二つに割れる。棒の端近くに、垂直に短い棒が生えた。

 レラジェがそこを握って手首を返すと長い棒の部分が回転した。

 二本一組の近接武器、旋棍トンファーである。

 大和は自分が不利な状況に立たされた事を察した。

 旋棍と剣の間合いの差はおよそ半分。普通に相対しているのであれば間合いが長い大和に分がある。が、レラジェの高速移動で二人の距離はほぼ零に等しい。

 この状態では間合いが短く小回りの効く旋棍を使うレラジェが有利だ。

 頭に一回、胴に三回、顔面に三回、鉄の硬度のルチス木の棒が与える強烈な打撃は着実に大和を追い詰めていく。


「このっ!」


 激痛に耐えながら剣を振るうが、回転する旋棍の長棒に手首を打たれた。

 剣を握る指から力が抜ける。カシャーンと音を立てて剣が床に落ちた途端、どっと体が重くなる。

 体から離れてしまったため巨神器の恩恵が途絶えたのだ。

 旋棍が迫る。わかっていても体が言うことを聞かなかった。

 顎に命中した一撃は大和の意識を遥か遠くに追いやった。

 膝から崩れ落ちる大和を掴んで外に投げる。

 それを待ち構えていた木が幹を捻って最も太い枝で打ち上げる。

 その先に、校門の傍に根を張っていた大木が枝を手足の代わりに使って校舎を登り、幹を折れてしまいそうなくらい仰け反らせて待っていた。

 申し分のないタイミングの良さ。

 強力無比なヘッドバンキングが大和を叩き落とした。

 屋上、四階を突き破って三階の廊下でようやく止まった。

 ピクリとも動かない大和に近づく一人の男――レラジェは冷徹に言い捨てる。


「死ね」


 彼の背後に木の杭が現れた。

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