第二十八話・暴君は悠々自適

 玄関口から一階の廊下へ迷いなく進む男の後。下駄箱の陰に、階段の陰に己の巨体を隠しどうにかこうにかバレないよう追尾する。

 と、男が立ち止まった。咄嗟に身を潜めて息を殺す。


「グレム、そこにいるのわかっているぞ」


 バレていたか。それはそうだ。

 訓練により鍛えた魔力を感知する能力があれば、例え姿を消しても居場所を特定されてしまう。

 悪魔界唯一の人間――大和はそれを会得しているのだ。

 ひょこっと顔を出すと呆れた様子で溜め息を吐かれた。まだ呆れられるような事はしていないというのに。

 種族による価値観の違いがあるのか。いや、日頃のスキンシップで彼とのわだかまりは解消されているはずだ。

 単に失礼なだけだと、勝手に結論付ける。


「なんでついて来てんだよ」

「そりゃあ、脆弱で羸弱るいじゃくでひ弱なお主を放っておく訳なかろう。助けに来たのじゃよ」


 『守りに来た』のではなく『助けに来た』と言ったのに対して彼は首を傾げた。

 グレモリーは意味を履き違えない言葉を選んだつもりだが、上手く伝わらなかったようだ。


「いいって一人で大丈夫」

「そう言うな。ここは我に任せてお主は上に行くがよい」

「はぁ? なんで俺が上に?」


 たまに見せる反抗的な態度。

 彼の目からは面倒臭さと反抗、多量の嫌悪感がにじみ出ている。

 人間界には「喧嘩するほど仲がいい」という諺があるそうだ。普通に考えれば喧嘩は仲を引き裂く立派な事由。なのに仲がいいとはどういうことだ。

 グレモリーは逆説を利用した言葉がとことん嫌いだった。


「グレムが上に行けよ」


 場所が学校な事もあってこの光景を外野は反抗期を迎えた息子とその母親の喧嘩と見なしてしまいそうだ。大和を息子と思った事は微塵もないが。

 認識を新たにすれば保護者の立ち位置にはかろうじて入るだろうか。ならば生意気な息子を軽く躾なければ。

 大和の肩を掴む。巨体に釣り合う手は肩全体を包む。徐々に力を加える。

 口で従わないなら暴力を持ってして従わせる。

 そう教えられて以来、気に入らない事はほぼ暴力で解決してきた。


「っ! 痛い痛い! 痛いって!」


 巨神器を覚醒させた恩恵で身体能力が大幅に強化されているが、関係ない。

 七十二柱最強を自負する力で操る指はどんどんめり込んでいく。


「わかった! わかったから! 俺が上に行く!」

「よしよし。それでいい」


 パッと手を放す。

 苦痛に顔を歪めて後退りをする。痛む肩を押さえてこちらを睨む不撓不屈の心は素晴らしい。だが力を半分も出していないのにあれだけ痛がるのは減点対象だ。

 もう少し強くてもいいかと思ったが、加減を違えば肩ごと捥いでしまいそうだ。


「本当に覚えとけよ」


 呪詛を吐いて荒々しく足音を踏み鳴らす。階段を上る度に響く発砲音のような足音は敵を引き寄せるので好ましくないのだが。


「反抗期、か」


 今の自分の顔は、あの時の両親と同じなのだろうか。

 一番激しかった大喧嘩。大声で喚き散らし部屋に籠ってしまったから、どういう心境でいたのか確かめようがなかった。次の日両親と朝食を共にした事は覚えているが、終始無言で居心地悪さを感じていた。

 記憶の中の両親はもやが掛かって表情が判別できない。

 食べ終えて無言で立ち去るグレモリー。

 それから先は覚えていない。覚えていないと表現するよりかは思い出さないようにと本能が働いているとした方が正しい。あるいは自分で記憶を消したのかも。『支配』を使えばそれができる。


「ふう。鬱陶しいの」


 校内の陣と称した戦いに不要な思考を払う。

 集中するのだ。一階にいる二つの魔力に警戒を僅かに強めた。

 一人は手前の教室に。もう一人は外。

 訓練を経たとはいえ大和の魔力感知はまだ未熟だ。あのまま進んでいたら不意打ちを食らっていただろう。

 颯爽と助けようとも考えたが、万が一相手の攻撃が大和に通れば足手まといになる。そうなっては遅い。

 この場は引き受け、強引に移動させる。

 これがグレモリーの考えた最善策だった。


「おーい。出てきてよいぞー。我と死合おうぞー」


 反応はない。

 互いの存在は割れているだろうに勿体ぶっているのか。

 仕方なく歩を進める。

 教室後ろの入り口を通り過ぎた。構える。

 窓を割って机が飛んできた。ガラス片が当たれば裂傷、机が当たれば打撲。

 しかし魔力のない飛び道具などグレモリーにとっては児戯に等しい。

 『支配』でガラス片と机をピタリと止める。そして突き返す。

 教室内の敵に当たれば儲けだが、そう簡単にはいかない。

 別の窓を割って姿を現したのは長い黒髪の女。低い姿勢から飛び掛かり手刀を放つ。

 上体を反らして避けた所に続けて手刀の連撃。

 手で、足でいなす。

 一歩も動かずに対処するグレモリーに相手は歯を食い縛る。

 それならばと見舞った足払いはグレモリーを崩すには及ばない。

 ニヤリと笑うと怖じ気付いた様子で距離を空けた。


「臆病者め。今はお主の手番じゃったろうに」

「うるさい、です。あなたなにするかわからないじゃないですか」


 前髪の間から覗く目は眠たそうな半開きで女性にしては低い声で喋る。


「周りに流されず自分で考えれるようになったか、ストラス。感心じゃな」

「相変わらず能天気、ですね。敵が目の前にいるのに」

「お主は敵などではないぞ」

「じゃあ、なんですか」

「雑魚」


 ストラスの魔力がほんの一瞬だけ膨れ上がった。大人しそうな見た目とは裏腹にキレやすいのは昔のままだ。


「ぷっ。あっはっはっは!」


 思わず吹き出してしまう。

 絶対キレたはずなのに、無理矢理にでも平静を装うとするストラスがおかしくてたまらない。だがキレさせないと彼女は本気どころか固有魔法すら使おうとしないのだ。

 それでは面白くない。

 殺すなら殺しに来た奴を。

 粋がった相手を返り討ちにするのが至上の喜びだった。


「笑わないで、ください」

「お? 怒ったか? いいぞいいぞ。ほれ、来てみぃ」


 指をクイクイと曲げ挑発する。

 相手は沸点が低い。まんまと挑発に乗るに違いない。


「もう、知りませんよ」


 ストラスの顔や腕といった肌色が露出している所に紫色のシミが浮き出る。それは段々と大きくなり毒々しい豹紋を作り出す。

 その見た目からもわかる通りストラスは毒の固有魔法を使う。

 種族的に見て、悪魔に毒は効果が薄い。古から毒を持つ生物を調理、食してきた悪魔族にとって毒はむしろ体を治す薬であり毒に一定の耐性を備えている。

 だがストラスの使う毒は悪魔でさえも蝕む『猛毒』。毒液その物はもちろんのこと、吐息すら危険だ。


「最初からそうせい」

「今、です。ベリス」


 また窓が割れたかと思うと、今度はストラスのような根暗とは正反対の派手な姿の軽装少女。金の髪が、自らの体がガラスの破片で切られるのもお構いなしにグレモリーを襲う。

 一辺倒な攻撃には飽き飽きしていた。

 『支配』で勢いを殺す。

 ベリスの首を鷲掴みにして床に叩きつけた。


「おう派手娘、お主か。先日は世話になったな」

「ぎ、ぎぁ」

「ん? お主……」


 ベリスに違和感を覚える。

 今は敵だが以前は仲間だった顔のパーツ。物覚えが良い方のグレモリーはしっかり記憶している。

 ベリスの瞳は綺麗な黒色をしていたはずだが、余計な色が混ざっている。


「紫……」


 意図せず口に出したその色は幾度となく殺し合った好敵手の目の色。仏頂面が脳裏に浮かんだ。

 なるほど、と納得し頭上からのストラスの手刀を避ける。

 ベリスをストラスに投げ当て、追撃をさせないよう時間稼ぎをする。

 正直、雑魚しかいないと決めつけていた。が、奴が絡んでいるなら住民避難作戦と同じく後から現れるかもしれない。

 もしそうなら、楽しめそうだ。

 まずは奴の手先であろうストラスとベリスを殺すとしよう。


「お主ら、姦染かんせんしておるな?」


 口角を上げて二人を指差した。

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