第二十六話・禁書は何処に

 一つ目の街スラオシャへとやって来た一行は表門で足止めを食っていた。

 厳戒態勢の中、本探しという、いつでも出来るお使いがために通す訳にはいかない。

 それが門番を務める七十二柱序列十六位ゼパールの言い分だった。彼は無精髭を生やし、煙草を咥えてぶっきらぼうに言った。


「そういうことだ。さっさと帰りな」


 羽虫を払う仕草をして、煙草を美味しそうに吸う。

 本探しが現在の悪魔界情勢下で優先すべき事ではないのは明確。だがそれは自分は関係ないと割り切っている者だけだ。

 当事者である大和には犯人の目的に近づく数少ないチャンスなのだ。

 戦争がいつ終わるのかわからないからこそ、誰でも思いつくありふれた理由でおめおめと帰ることは出来なかった。

 グレモリーの独断で街に来たが、こうなっては腹を括るしかない。帰還して待ち受ける参謀長の無理難題は甘んじてこなすとして、『一成る者』について書かれた禁書をさっさと発見しようと意気込んでいた。


「こんなことなら師匠から通行許可証を貰っておくんだった」


 苦虫を噛み潰したような表情で呟くマルバス。

 悪魔界の王ベルゼブブは、管轄悪魔に街を任せてはいるが、なにもかもをやらせているのではない。

 街ごとの定期巡回。人知れず街に現れては、また人知れず次の街へ。律儀にも複数いる管轄悪魔の一人に通行許可証を見せるのだ。


「ゼパールさん! お願いします! 街に入れてください!」


 陽光を浴びて煌めく髪を振り乱しながらアミーは頭を下げる。

 アミーの幼気で健気な様に強く出れないのは共通認識のようで、ゼパールは灰を落としながら「うーん」と唸る。


「アミー、もう一押し。もう一押しじゃよ」

「ごめんね、アミー。頼むわ」


 ゼパールに聞こえないように小声で言う。

 普段はグレモリーに振り回されているサミジナがこの時ばかりは妙な団結力を発揮する。

 少なからずアミー頼み戦法は有効であると確信した大和は、アミーをけしかける二人に便乗することにした。

 戸惑っている彼女の肩に手を置く。


「アミーお願い」


 両手を合わせて小声で言う。

 するとどうだろう。大和に頼られたのが嬉しいのか先程までの困惑顔は瞬時に凛々しいものとなる。

 ゼパールに向き直り、今度は軍帽を胸に当て、再び頭を下げる。


「どうか! お願いします!」

「ゴホッ! ゴホッ!」


 ゼパールは大きく咳き込んで煙草を落とした。雑草に燃え移っていくのを慌てて踏み消した。


「お、おいおい。そんなに深々とされても俺はなぁ」

「あーあー。七十二柱一番の新人にこーんなに頭を下げさしても通してくれないとは、なんて薄情者なんじゃろなー」

「そ、そうだそうだー」


 とりあえず便乗しておく。なにせこちらには暴論の申し子グレモリーがいるのだ。まさかここで彼女の悪癖が功を奏するとは思わなかった。

 ゼパールには悪いがここはどうしても通してもらわねばならない。

 煽りに煽りまくる。

 イライラが臨界点に達したゼパールは煙草の空箱を握り潰し、その場に投げ捨てた。


「あー! わかったわかった! ヴァサゴには言っとくからさっさと通れ。煙草がマズくなるだろ」


 投げ遣りな感じで門を開ける。


「はっはっは! 殊勝な判断でなによりじゃ。やれば出来るではないか」

「グレモリー………てめぇ、覚えとけよ」

「ん? なんじゃその目は。売り喧嘩か?」

「おい。早く行くぞ」


 マルバスに止められて馬車へ引っ込む。挑発的に舌を出し、中指を立てるグレモリーにゼパールも中指を立てる。

 門を潜ってふと後方を見ると、ゼパールは捨てた空箱を蹴り飛ばしていた。

 あれだけ煽られればああもなる。本のためとはいえやり過ぎたか、心の中でゼパールに謝った。


「謝罪なんてせずともよい」


 そして心を読まれた。


「他者にどう思われようとも目的のためなら手段は選ばず。良心の呵責に苛まれるならせんでもよい」


 グレモリーだからこそ説得力がある気がした。

 通常の思考の持ち主であれば仲間を敵に向けて放り投げようとはならない。だがグレモリーの言葉通り、手段を選ばないが故、仲間を投げる。前にも言っていた自分に対する絶対の自信も理由の一つだろう。


「にしても、寂れた街じゃの。スラオシャといえばそこそこの規模を持つ街のはずじゃが」

「避難作戦で住民全部移動したからしかないだろ」

「ああ、そうか」

「忘れんなよ」


 道行く悪魔は皆、武装した悪魔兵のみ。物々しい雰囲気で街を歩く。

 馬車をチラ見する者もいるが幌から身を乗り出したグレモリーを視認した途端に顔を背ける。


「余所向くなら最初から見るなよ雑魚め!」

「ちょっとやめてよ恥ずかしい」


 こいつ悪魔兵にも嫌われているのか?

 しかし以前アカ・マナフ防衛戦から帰還した時に歓迎されたのを思い出す。

 一定数の信者はいるが、アンチの方が多いようだ。

 共感出来なくもない。

 命を救われていなければ、今頃グレモリーと行動を共にしていない。あらぬ飛び火が来るからだ。

 長年の付き合いであるサミジナとマルバスの苦労が知れる。


「皆さん! 見えてきましたよ!」

「近いんだな」

「確かスラオシャは小学校が二つあるはずだ。手分けしよう」

「ならばここは我と大和で行こう。さぁ行くぞ」

「………はいはい」


 コートを翻して馬車から飛び降りるグレモリーに続いて、大和も下車する。馬車は人が歩く程の速度だったが、降りた時に転けそうになる。グレモリーが笑う。すかさず睨む。


「アミー! そっちは頼んだぞ!」

「はーい! 任せてください!」


 こちらにひらひらと振る手だけが見えた。


「さて、いざ小学校の内部へ」


 いつもは面倒臭がるのに、やけに生き生きしている。

 竹林で溜められた閉塞感を解き放つかのような笑顔。軽い足取りで進み、鎖が巻かれた門を閉ざす錠に手をかざす。

 開けるだけかと静観していると、なにかが折れる音と共に錠が落下した。鎖も一気に落ちる。

 錠を拾うと門と鎖を繋いでいた連結金具が根本からなくなっている。

 なぜ破壊する必要があるのか。全く理解できない。


「解くだけでいいだろ」

「単純な構造ならそうした。じゃがそれはコツがいる奴でな、破壊したが早い」


 門を開け、躊躇なく立ち入る。

 冷静になれば不法侵入だが、犯罪やモラルを一々気にしている間にも時間は流れる。それに最前線なため、敵の偵察部隊に監視されているかもしれない。とにかく早く見つけるのだ。

 眼前に広がる小学校は三階建てでT字型。奥に行くと正面に体育館、左手にプール、右手にはガラス張りの扉の先に下駄箱がある。これが人間界にあっても違和感がない平凡な小学校だ。


「意外と普通なんだな」

「場所によるの。創設者の趣味趣向が色濃く出ておる所もある」


 ガラス張りの扉から中へ入ろうとするが当然の如く鍵が掛かっていた。


「む」

「お得意の奴使えよ」

「しかしのう、事あるごとに魔法を使っては有事の際に魔力切れを起こしかねんな」

「じゃあどうするんだよ」

「ふむ。離れておけ」


 一、二歩後退する。

 なにをするかと見ていると、グレモリーは少し助走を付けて、跳ぶ。回転を加えて美しいフォームから繰り出されたバックスピンキックを放つ。

 いとも簡単に扉を押さえていた鍵が砕け、開かれた勢いで蝶番が壊れる。下駄箱にぶつかって生徒の靴をばら撒きながら暴れ狂う。反対側の扉のガラスに突き破って見えなくなった。


「無茶苦茶過ぎるだろ!」

「魔力温存のためじゃ。つべこべ言うでない」


 砕け散ったガラスを気にせず建物内へ入る。

 通う生徒が帰ってきてこれを見たら悲鳴が上がることだろう。その時は容赦なくグレモリーの名を出そう。共犯扱いされるのは御免だ。

 グレモリーによって引き起こされた惨状に気分を悪くしながら歩いていると壁に掛けられたコルクボードがある。


「グレム。これ見ろ、学校内の地図だ」

「ほう。でかしたぞ」


 四隅をピンで留められた地図には階層別に各部屋の名前が細かく記されていた。一階には職員室、校長室。二階と三階には一年生から六年生の教室が二クラスずつ。音楽室や理科室などの特別教室も設けられていた。

 本を探すとなれば、大和達が行くべきは図書室だ。各教室の名前を一つ一つ確認し、図書室を探す。


「図書室は二階じゃな。階段を上がって左の突き当たりじゃ」


 長身のグレモリーはイタズラ目的で生徒が届かない高さに設置された地図に指を置き、現在地から図書室まで這わせる。

 大和も届かない事はないが、背伸びしなければならない。それをしたらグレモリーに小馬鹿にされそうだったので止めておいた。


「さっさと探してしまうぞ」

「そこにあればいいけどな」


 二人は図書室へ向かう。

 無人の廊下に足音だけが木霊する。

 大和は経験あるが、誰もいない学校というのはどうして不安感を助長させるのだろうか。

 長い廊下に背を向けて階段を上る時、つい後ろを振り返る。足音が反響しているせいで、何者かが向かってきていると錯覚した。

 人間界であれば気のせいで済むが、ここは悪魔界。あり得ない事などないのだ。


「大和?」

「あ、え?」

「どうした。心ここにあらずといった様子じゃな」

「いや、なんか不気味だなって。グレムもそう思わないか?」

「ないな。くだらん邪念は心技体を鈍らせる。自然と考えないようにしておる」

「見習いたいよ、それ」

「心が籠っておらぬな。ほれ」


 手を差しのべてきた。握れということか。


「前にダンタリオンが言っておった。肌の触れ合いは安心感をもたらすとな。今のお主に丁度いいじゃろ」


 からかっているようには思えない。

 素直な優しさがそこにはあった。


「ありがとう」


 グレモリーと手を重ねる。

 この柔らかい手のどこから人一人を高く投げる力が出せるのか、ほとほと不思議でならない。単に筋肉量が桁違いだから、巨神器の恩恵があるから、魔法で強化しているから。おそらく全部だ。

 近くで見るとグレモリーの手は所々傷付いており、爪の形もばらばら。お世辞にも綺麗な手とは言えなかった。

 だが逆にそれが頼もしく思えてくる。一体、この手でどれだけの命を守ってきたのだろう。


「我の手が珍しいか?」

「ご、ごめん。その………」

「昔に馬鹿やってな、その時の傷じゃよ」

「なにをしたんだ?」

「知りたいか?」


 深紅の双眸が妖しく揺らめいた。

 やっぱりからかっているのか。

 しかし様子がいつもと違う。気持ち悪い笑みを浮かべていなかった。

 瞳の揺めきは無意識での自己防衛反応。目は口ほどに物を言うとはこの事だ。

 直感的に知らない方がいいと判断した。


「いや遠慮しとく」

「そうか。まぁよいわ」


 手を繋いだまま図書室に到着すると、言うまでもなく施錠されている。

 脳筋のグレモリーには無駄というものだ。

 力一杯扉を横に引くと、簡単に開いた。

 このセキュリティはどうにかした方がいいのでは。


「探すとするか。『一成る者』についての禁書を」

「じゃあ俺はこっちを探す」

した。我は反対から行こう」


 幸運なのは一見したところ本の数がそれほど多くはない事だ。

 腰の高さの本棚が上下二段に分かれて部屋をぐるりと囲んでいる。

 部屋の中央には縦に繋がった二つの長い机が三列。椅子と一緒に並べられていた。

 本棚の端から一冊ずつ題名を確認していく。

 『ヤギでもわかるグリモワール』『悪魔の偽王国』『化粧品とジャム論』『歴史で読み解く悪魔界』『悪の天使と善の悪魔』『悲しい王様』『七人の勇者』。


「整理ぐらいしろよ………」


 杜撰ずさんな管理に思わず声に出る。

 ジャンルも五十音順にも並んでいない。小難しい本の隣が絵本だったりする。統一性の無さに探すのさえ億劫になる。

 なにかの規則性に基づいているのなら、目星はつけられたのだが、しらみ潰しに探すしかなさそうだ。


「グレム。見つかった?」

「『一成る者』の『一』の字もない。ベルゼブブの言ったことは正しいのじゃろうな」

「嘘は吐かないだろ。悪魔界の一大事だぞ」

「そうだといいがの」


 信頼の置き方がマルバスやサミジナと全く違う。

 グレモリーが誰かを信頼すること自体考えにくい。

 時々マルバスと衝突しているので、その師匠であるベルゼブブをよく思っていないという単純な理由か。

 悪魔界の王をここまで信頼していない理由がそれだけでは不十分だが。

 その内聞けるか。

 隅に追いやって本探しに戻る。

 それからというもの、棚にある本だけでなく、受け付けの引き出し、棚の奥、鍵が掛かった図書準備室まで隈無く探したが、お目当ての本は見つからなかった。

 もしや、と各教室の小さい本棚も探したが見つからず。禁書だから、と職員室や校長室も探したが見つからず。

 外は夜の帳が降りていた。耳にしたことのない鳥の鳴き声が校内に漂う。


「見つからぬではないか」

「一ヶ所目だろ。まだあと街は三つある」

「もう我は疲れたぞ。大殿籠りたいぞ」

「何歳だよ、お前」


 もう諦めて出直そうかなどと話していると、廊下の向こう側から足音が響いた。


「誰じゃ? こんな時間に」

「こっちに近づいてきてないか?」


 こちらの動向を察知した敵勢力が斥候を送り込んだか。

 剣に手を掛ける。

 グレモリーも拳を握って臨戦態勢に入った。


「あのー、そちらにどなたかいらっしゃいますかー?」


 物腰柔らかな声。どこかで聞いたことがある。

 声の主がグレモリーには判別できたようで、相手に手を振った。


「くるしゅうないぞ、近う寄れ」

「あれ? その声は」


 足音のテンポが早くなる。

 夜の学校で接近してくる黒い影。

 一種の怪異として語り継がれそうなその正体は、大和も知っている悪魔だった。


「なんで前線にいるんですか、グレモリーさん。それに大和さんまで」


 華奢な体つきの短髪好青年。アカ・マナフの管轄悪魔フォルネウスだ。


「お久しぶりですね! お会いできて嬉しいです!」

「ああ。久しぶり」

「しかし二人共、どうしてここに?」

「それは、一な、むぐぅ!?」


 『一成る者』と言い出そうとし、グレモリーに手で口を塞がれた。

 小さく顔を動かして彼女を見る。

 怒っている訳でも、馬鹿にしている訳でもない無表情。

 「喋るな」。

 口は開いたが、声は発さず。無音の伝言は大和にしっかりと届いていた。

 意図を汲み取った首肯をしたことで解放される。


「た、探検みたいな?」


 誰がこの虚言を信じようか。苦しい。余りにも苦しすぎる。


「なるほど! 確かにここには滅多に来れませんからね! お気持ちもわかります!」


 意外にも純粋な心の持ち主であったフォルネウスはあっさりと騙された。

 子供でも今のグレモリーとの変な間があれば、すぐに嘘と見破れるはずだ。

 こんな能天気が管轄悪魔とはこれ如何に。詐欺に遭うのではないかと心配になる。


「してフォルネウスよ。我らは次の日には隣街へと移動するのでな、この街で一晩明かそうと思っておる。良い宿はないか?」

「あ、それでしたらおすすめの宿があります! そこはですね山草と獣の料理が美味しくてですね………」


 グレモリーに止められるまでフォルネウスはその宿がどれ程素晴らしいかを、暗い校舎の中語り続けた。

 ここに禁書がないなら次の街。次もないならまた次の街。

 ベルゼブブの事を信じて、探すしかないのである。

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