第五話・その悪魔、悪魔界一の知識人

「ダ、ダンタリオン館長」

「アイン君、副館長ともあろう君が来館者に手を上げるとはどういうことだい?」

「はっ、申し訳ありません」


 ダンタリオンが手を離すとアインはすぐさま頭を下げた。


「やーいやーい、アインのおっさん怒られてやんのー」

「きゃははは、人間に手を上げるなんてだっさーい」

「アインちゃん、それは悪魔の気品を欠く行為よ」

「自分の立場をわきまえんかバカものめ」


 ダンタリオンの頭上に塔のように重なっている老若男女の生首がアインをバカにし、笑い声を出した。

 アインの顔は真っ赤に染まり、初めは指を伸ばしていた手も拳を握り恥ずかしさのあまりプルプル震えていた。

 その様子をダンタリオンはやれやれといった様子で眺め、頭上の生首達を叱り始めた。


「君達は静かにしてくれ。ただ喋るだけでも私のエネルギーを使ってるのだから程々にしてくれ」

「だって面白いじゃん。見てよあのおっさんの顔」

「気持ちもわからんでもない。あれは実に滑稽こっけいだ」


 ダンタリオンと生首達が揃って笑う。


「だが今はこちらの問題だ。私に任せておいてくれよ」


 生首達は一緒に「はーい」と返事をし、口をつぐむが全員同じようにニヤニヤとバカにした笑みをアインに向け続ける。


「それはそうとアイン君、君は私に謝ったが謝るべき相手は大和君だろ? 彼に無礼を詫びたまえよ」


 アインは大和に向き直った。下等種族である大和に謝罪するのが自分自身耐えられないのか、少し間を置きつつもゆっくりと頭を下げる、


「この度のご無礼大変申し訳ありません」

「愚かな副館長を許してやってくれ大和君。実は彼、副館長の座に就いてからまだ日が浅くてね。重い責任に終われる日々を過ごしているのだよ」

「いや、まぁ大丈夫だけど」


 大和が言うとアインはもう一度謝罪の言葉を述べた。ダンタリオンが現れる前の尊大な態度とは打って変わってまるで子犬のようだ。

 大和としては目の前の怒る上司と謝る部下という気まずい空気が流れる空間から早く抜け出して書物に手を伸ばしたいところだがダンタリオンの叱責は止まらない。


「にしてもアイン君、君はどういうつもりだね? 来館者、それも身体能力的に劣る人間に対して暴力に及ぶなど冗談じゃない」

「はい、申し訳ありません。何分なにぶん対応したことない種族だったので」

「このダンタリオン図書館の理念を言ってみたまえ」

「『知識を求め辿り着くもの決して拒まず』です」

「言えるじゃないか。なのになぜ大和君を追い払うような真似をした?」

「いえ、その………」

「君がこの理念に反した行動をとったことは由々しき事態だ。それ相応の処罰を与えなければいけないな」

「そ、それだけはどうか、お許しください」


 どうしよう、今猛烈に帰りたい。

 そんな帰宅衝動に駆られる大和であったが、今にも泣きそうな顔をしているアインと周囲の悪魔達の好奇な目に晒されてどうしようもなかった。

 物々しい雰囲気が辺りを包む中、突然ダンタリオンが体を曲げて笑いだした。


「はっはっはっ!」


 大和もアインも図書館にいる悪魔達も皆キョトンとした顔になる。


「なんて冗談だよ。君がこの図書館に勤務してから初めての失態でね、ついからかいたくなってしまったよ。初犯だから特別に多目に見てやろう」

「あ、ありがとうございます!」

「いい経験になっただろう。これを機にまた頑張ってくれたまえ」

「はい! ダンタリオン館長、大和様、本当に申し訳ありませんでした!」

「よし、では仕事に戻りたまえ」


 アインは駆け足で去っていった。


「来館者の諸君、私の部下が君達の有意義な時間を邪魔してしまってすまない。彼には再度注意勧告をしておくので、どうか許してほしい」

「私達は大丈夫です! ダンタリオン様!」

「あなたがご苦労されているのは知ってます! ですから謝らないでください!」


 次々とダンタリオンを励ます言葉が飛び交い、その場にいる悪魔達が皆揃って拍手をした。それだけでこのダンタリオンという悪魔がどれだけ慕われているかがわかる。


「大和君、私についてきてくれ」


 ダンタリオンは拍手をする悪魔達に手を振りながら受付の方に向かった。大和はその後ろを追う。

 受付の奥にある二重丸内に奇妙な模様が施された紋章が描かれた扉を開けた。指で入るよう招かれる。中は下り階段になっており扉が閉まると外の音はピタリと聞こえなくなり、階段を下りる足音だけが響く。両側のロウソクの火が下まで続いている。


「足を滑らせないように注意してくれ」


 一番下まで着くとまた扉があった。ダンタリオンが開けたが先は真っ暗だった。


「今明るくしよう」


 そう言ったダンタリオンが指をパチンと鳴らすと部屋の四隅のロウソクと天井のキャンドルシャンデリアに火が灯った。

 びっくりするぐらい部屋が汚かった。足元には本が無造作に積み重なって一つの建造物になっている。皺だらけの意味不明な言語が書かれた紙が本来の床を別物に変えていた。あのがさつなグレモリーの部屋でもここまで散らかってはいない。

 それから、ダンタリオンがまるでオーケストラの指揮者のように指を振るうと床や机に散乱していた本や紙が棚へ引き出しへと仕舞われていく。


「いやすまない。ここは私の仕事場兼研究室兼寝床でね、普段客人なんて滅多にしれないから片付けなんてしてないんだ」


 これが魔法の力か、と感心しているとダンタリオンがまた指を振ると今度は椅子が二脚トコトコ歩くように姿を現し、一脚はダンタリオン、もう一脚は大和の元で止まった。


「かけたまえ。遠慮はいらない」

「あ、うん」

「なにか飲むかい? なんでもあるぞ。茶にコーヒー、紅茶、牛乳、酒、果汁飲料」

「牛乳で」


 本当に牛から搾ったものなのかという根本的な疑問はあるが食べ物に一々疑心暗鬼になっていてはこの先、生きてはいけない。ダンタリオンから渡されたマグカップはほのかに温かく、確かに白い液体が入っていた。念のため匂いも嗅ぐ。紛れもない牛乳の匂いだった。その様子をダンタリオンはなにも言わず見守っていた。

 裁判で言っていたウォフ・マナフ管轄悪魔の中に彼女は入っているのだから、対して手荒な真似はないだろうが悪魔ということには変わりなく少しの警戒心を持つことにした。


「さて、大和君。君にはあの裁判の場を生き抜いて一日が過ぎたわけだが気分は?」

「今はなんとかね」

「体に変化とかはないか?」

「特にないな」

「他には? なにか見えるようになったとか」


 今朝の夢のことが思い浮かぶ。あの自分が殺されそうになる夢だ。そのことを言おうとしたが危険な目に会う夢ならば悪魔界に来る前、人間界にいた時にも見たことがある。俗に言う悪夢というもので追いかけられる夢や謎のデスゲームに参加する夢など、それを見ること自体は特殊なことではないような気がしたため、ダンタリオンには言わないでおく。


「別にない」

「ふむ、そうか。身体的変化はないということだな。なら次だ。君が悪魔界に来た経緯についてもう一度説明してくれないか? 殺された相手のことを想起するのはは辛いことだと思うがどうか頼む」


 大和は悪魔界に来るまでのことを話した。時折ダンタリオンがメモをとりながら聞いていた。


「やっぱり身内に犯人がいそうだなぁ。内輪揉めのこともわかってそうだしね」

「あのさダンタリオン、その内輪揉めって具体的にどんなのなんだ?」

「おや、サミジナやグレモリーから聞いてないのか?」

「力で支配しようとする奴らとそうじゃない奴らの対立ってことだけは聞いたけど」

「全く説明が雑だね。いいだろう、君も知っておいて損はない」


 ダンタリオンは現在悪魔界で起きている内輪揉めについて話し始めた。

 まず、ある時ソロモン七十二柱序列二位のアガレスという悪魔が今までの体制に不満を抱いたらしい。

 今まではこの悪魔界を仕切っている七十二柱の悪魔達の中でより上位の悪魔に強大な権限が与えられる。つまり序列三位の悪魔は二位に、二位の悪魔は一位に必ず従わなければならなかった。

 しかしこのアガレスは名実ともに序列一位のバアルに匹敵する強さを持っていた。また仲間や民衆からの信頼も厚く、序列二位の立ち位置を確立していた。そこでアガレスは力ある者こそこの世界の頂点にふさわしいと考え、序列上位優先制を推していたバアルと対立し、自分の考えに賛同した悪魔二十人ほどを連れどこかに行ってしまった。

 それからというもの悪魔界ではバアル派とアガレス派でいつか戦争が起きるのではないかと緊張が強まっているという。


「そこに大和君がやって来たからもう大混乱さ」

「なんかすみません………」


 反射的に謝った。


「謝らなくていい。まだあちら側に動きはないからね」


 ふと裁判でダンタリオンが周りから言われていたことを思い出した。誰かが『そもそも貴様の固有魔法でなんとかできないのか、ダンタリオン。任意の時間、場所、人物を見ることができる貴様なら犯人を特定することもできるだろ』と言っていた。

 固有魔法という単語に興味を惹かれた。これは恐らく知っておくべき情報だろう。


「ダンタリオン、固有魔法ってなんだ?」


「ほう。固有魔法を知りたいか」


 なにが彼女をそうさせたのか、ダンタリオンの目は急に輝き始めた。


「教えてしんぜよう。固有魔法とは魔力を持った者が鍛練により自身を昇華させたときに偶発的に発現する強力な魔法のことだ。私達七十二柱の悪魔は全員これを持っている。そして私の固有魔法は『監視』」


 聞いていないことまで喋り始めた。とりあえず茶々を入れるのも迷惑そうなのでこのまま黙って聞いておくことにする。


「任意の時間、場所、人物を指定して見ることのできる視覚的魔法最上位に位置するのが私の固有魔法だ」


 この図書館に入ってダンタリオンが現れた時に言われた言葉の意味がここで繋がった。『待っていた』と言っていたのは本当に待っていたのではなく、大和がここに来るまでを自身の固有魔法で見ていたからだろう。そして、アインと言い合いになっているのを見かねて駆けつけてきたというわけだ。


「それ無敵すぎじゃね?」

「そうでもないさ。見られたくないところを魔力で保護してしまえば真っ暗闇だよ。それに私は他と比べて体力がなくてね、その辺の悪魔民と同じだよ」

「ダンタリオンさん、引きこもって研究ばかりしてるから体が鈍っちゃったんだよー」


 例の生首がまた口を開く。明らかにダンタリオンを揶揄しているが、事実には間違いなくダンタリオンは苦笑いをする。


「どうも運動は苦手でね。他の悪魔からは頭脳以外は役立たずと言われる始末だ」

「でもそのお陰で『悪魔界一の知識人』って二つ名ももらったんだよねー」

「口が軽すぎだ。私はあまり自分のことを話されるのは好きじゃない。静かにしてくれ」

「はいはーい」


 はぁ、とため息をするダンタリオン。




「とまぁ、私は所謂いわゆる参謀的なポジションなわけだよ。困ったことがあったら是非頼ってくれたまえ。ただし、頭脳面でね。戦闘面では他を当たってくれ。それに」


 ダンタリオンは一瞬、大和が腰に差している剣に目をやりまた戻す。


「その剣が君を守ってくれる。使いこなせるかは君次第だけどね」

「グレモリーも言ってたけど、この剣はなんなんだ?」

「いずれわかる。私がわざわざ教えるまでもない」


 ダンタリオンは意味ありげにそう言った。

 この剣を大和が持つことに意味がある。

 グレモリーとダンタリオンの言葉通り、託されたこの剣は大和を守ってくれるのだろうか。グレモリー達に守られる立場ではあるが、結局自分の身を守れるのは自分であると大和は認識した。

 もしグレモリーがいないときには自分が剣を抜かなければいけない。この世界のことはまだまだわからないが、少なくとも自分を殺そうとした悪魔がいたことは裁判で証明済みだ。

 いつ襲われてもおかしくない状況に大和は寒気を感じ、牛乳を飲み干した。

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