猫になりたい

KAC2022の第九回のお題が【猫の手を借りた結果】というものでした。

私はそのお題をお昼休みに見て、仕事終りの車の中でプロットを練りながら帰り、夕ご飯の後にノートパソコンにつらつらと物語を打ち込みました。


私はへそ曲がりなものですから、「ネタ被りのないプロットで一編書こう」なんていつも意気込む訳です。それは「オレにしかひねり出せない斬新なアイディアで、読んだ人を唸らせたいじゃないか」という欲ゆえのものです。お恥ずかしい限りです。凡百の才能しか持たない普通のオジサンですからね、私は。思いあがりも甚だしい。


だけども、「お題が発表されたその十二時間以内に、インスタントに書き上げたものの割には、まあまあいいモノが書けたんじゃないか?」と悦に入っていた訳です。【猫の手を借りた結果】というお題で描かれるストーリーの王道は、「半人前の知り合いに助けてもらったら、助けてもらうどころか、そいつの尻拭いに奔走させられた」であろうし、その対抗馬は「生きている猫を登場させた、【吾輩は猫である】のリスペクト作品か亜流」になるだろうし、異世界ファンタジーであれば「猫の獣人族が出てくる話」、現代ファンタジーなら「喋れる猫との交流」になるだろうなんて思った先に、「ならば、猫の手というグロテスクなアイテムのレンタルショップというのはどうだろう?」と思いついて、【ソーユーハンズ】という物語を書いたのです。( https://kakuyomu.jp/works/16816927861843543744 )


そんでもって、凡百の才能しか持たないのに俗物な私は、KAC20229のタグのついた作品群に目を通そうとする訳ですね。「オレのアイディアは孤高だったぜ」と思いたいが為に。


……。


ありました。


当たり前のように存在しました。私の書いた物語と基本コンセプトが同じ作品が。


当然ですね。私はその辺の普通のオジサンでしかありませんからね。誰も思いつかないアイディアで一編書き上げるなんて事は出来るはずがない。


思いあがりは控えようと思います。


でも、ポピュラーミュージックを聞いていても「この曲って、昔流行ったあの曲に似ているよな」と思う事はありますよね。人が見たり聞いたりすることで気持ちよくなる作品の、その基本骨子にはそもそもそれほど多くのバリエーションがある訳じゃない、きっと。

「おもしろい!」とか「これ、めっちゃいい!」と人が感じるメロディや物語の骨の部分はある程度決まった組み立てにならざるを得ないのでしょう。人類が絶滅した後に繁栄する知的生命体が、人間の骨の化石を発掘して、遥か昔に繁栄していた人類という種の骨格の復元を行う時、頭蓋骨を骨盤の位置に据える事はおそらく、ない。【ちょうどキモチイイ収まり具合】ってのは、きっと何にでもあるのでございましょう。それはきっと、小説にも。


だから、ネタ被りは仕方がないのだ。大事なのは、味わいと、読後感。……、私の物語の味わいが良いとか悪いとか、読後感がいいとか悪いとか、その辺は自分ではさっぱり分からないのですけれども。



それでは聴いてください。

スピッツで【猫になりたい】

(良かったら、YOUTUBE等で【Spitz 猫になりたい】と検索してみてください)

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