第7話 雇用主と交渉しよう!
選別所の小屋前は、うずたかく積み上げられた魔石の山が無数にある。
その前に奴隷達が集まり大声で談笑していた。
「いやぁ、サクガンキってぇのはすげぇなぁ!」
「今日も三倍ノルマが昼前に終わっちまったぞ!」
「さすがレンだぜ!」
犬顔や熊顔の奴隷達に背中をバシバシ叩かれ、錬は苦笑いしていた。
スロウ爺さんも珍しく上機嫌で、錬に笑顔を向けている。
「まったく大したもんじゃ。よもや失われし魔法具の技術を持っておったとはな!」
「いえ、だから魔法ではなくて……」
「まぁ何でも良いわい。それより今日は嬢ちゃんを労ってやらんのか?」
ほれ、と指差す先には、もじもじと顔を赤らめるジエットがいる。
「もう! スロウ爺さんってば何バカな事言ってるの!」
「しかしお前さんも満更でもなさそうじゃったろうが」
「そ、そんな事ないから! レンが困ってるでしょ!?」
必死に取り繕おうとしているが、熊耳まで真っ赤にしては説得力のかけらもない。
いずれにせよ彼女も功労者に違いないのだから、感謝の意は示しておくべきだろう。
「君には助けられてばっかりだよ。ありがとうジエット」
「あ……うん……」
満更でも無さそうに赤面してうつむくジエットである。
「奴隷ども! 何をしとるかぁ!」
奴隷使い達がやってきたのはそんな時だ。
小型獣脚類のような竜に乗り、砂煙を上げて駆け寄ってくる。そんな彼らの後ろから、ことさら偉そうなチョビヒゲ男が騎乗したまま前に出た。
「レン、頭を下げて!」
「んがっ!?」
ジエットに力尽くで押さえ込まれる。
何事かと思ったが、周りの奴隷達も皆同じように額を地面に付けていたため、錬も大人しく従う事にした。
「……誰だ?」
「ルード=バエナルド伯爵だ。この魔石鉱山の所有者で、奴隷の命なんざ銅貨一枚程度にしか思ってないクソ野郎さ。逆らったら殺されるぞ……!」
スロウ爺さんがひそひそ声で教えてくれる。
その間、獣人奴隷の一人が頭を低くして笑みを浮かべながら奴隷使いのリーダーと話していた。
「へへ、今日のノルマをこなしたんで、休憩してたんでさぁ」
「鉱山は常に掘り進めているのだから、運ぶ魔石には事欠かんだろう。今日の分が済んだなら明日の分をやれ!」
「へぇ……そうすると、明日は丸一日休んでも構わねぇので?」
「明日は明後日のノルマをこなせ! 明後日はそのまた次のノルマだ!」
「えぇ……」
さしもの奴隷達もこれには顔を引きつらせる。
だが誰も反論しない。この世界において奴隷の命は羽根よりも軽く、逆らったら殺されるという恐怖が皆を縛り付けているのだ。
(……でも、本当に殺されるんだろうか?)
奴隷の代わりはいくらでもいるかもしれない。
しかし魔石エンジンを生み出し、数々の仕事を効率化してきた錬はどうか?
少なくともここ数日、何倍にも膨れ上がったノルマを午前中に終わらせてきた実績がある。それは錬自身の命の価値を高めるはずだ。何かを主張するのであれば、伯爵と対面している今この時しかない。
錬は意を決して立ち上がった。
「……少し話を聞いていただけないでしょうか?」
「なんだ貴様! 誰が立っていいと言った!」
「レン、頭を下げて!」
奴隷使いのリーダーとジエットに言われるが、錬は真正面から伯爵を見つめる。
「よい」
鞭を振りかぶる奴隷使いに、しかし伯爵は手を挙げてそれを制した。
「よ、よろしいので?」
「うむ。貴族たるもの、時には下々の話くらい聞いてやるべきであろう」
伯爵は涼しい顔で騎乗しながら錬に近寄ってくる。竜の鼻息が間近でかかり、反射的に体がこわばる。
「お前がレンとやらか。魔法具を作れると聞いたが?」
「……魔法具が何なのかはわかりませんが、魔石エンジンなら作りました」
「ほう、魔石エンジンとな」
大いに興味を引かれたのか、伯爵はヒゲをいじりながら錬の顔を覗き込んだ。
「それで、話とは何かね?」
「伯爵様が労働をせよと仰るなら従います。ノルマを多少増やしても構いません。でもその代わりに、労働環境を改善していただきたいのです」
「具体的には?」
「食事です」
奴隷の食事は朝晩二回だけで、メニューもゆでただけの古い芋か、もしくはカビの生えたレンガのように固いパンが一つ。それからほとんど塩味しかしない具なしスープだけだ。王の誕生日などの祝祭日には干し肉や野菜が出る事もあるらしいが、錬はまだ一度もお目にかかっていない。
鉱山奴隷には錬以外に人間の子どもはおらず、屈強な男ばかりそろっている。
それは裏を返せば、貧弱な者は淘汰されているという事だ。そして今の錬はどちらかと問うまでもなく淘汰される側に分類されるだろう。
食生活の改善は喫緊の状況なのだ。
「朝晩二食で芋やパンが一つでは到底足りませんから、量を増やして欲しいです。一日の食事は朝昼晩の三食で、少なくとも芋やパンは今の大きさのものが三つ。あとスープにも野菜や肉類などの具を入れていただきたいです。カビが生えてたり傷んでいない鮮度の良いもので」
「よかろう。お前一人の食事くらいどうとでもしてやる」
「いえ……俺を含めた奴隷全員分を、です」
伯爵の眉がピクリと動いた。
「全員分だと? 毎日か?」
「当然、毎日です」
伯爵の顔が不快に歪む。取り巻きの奴隷使い達も腰の剣に手をかけた。
だがここまで来て退くわけにはいかない。錬は拳に力を入れ、恐怖を握り潰す。
「ずいぶんと大きく出たものだな。今なら子どもの戯れ言として、聞かなかった事にしてやってもよいのだぞ?」
「……要望を変える気はありません。ノルマを増やすなら、食費が増えても採算は合うはずです」
「――エルト・ル・ヴェア・ソディオ・フロギス」
伯爵が詠唱と同時に抜剣し、炎を纏わせた刃を向けてきた。鼻先三寸に燃える切っ先が閃き、全身があわ立つ。
「卑しい亜人奴隷の分際で生意気な口を……灰になりたいか」
伯爵は冷淡な目つきで見下してくる。
今まで何人もの奴隷をこの手にかけてきたと言わんばかりの迫力。ともすればそれは事実かもしれない。
(大丈夫だ……本気で殺すつもりならとっくにやってる。
恐怖に屈しそうになる心を必死に奮い立たせ、錬は慎重に言葉を紡いだ。
「俺は伯爵様の奴隷です。殺すならお好きに。ただし、魔石エンジンを開発した俺を殺せば、仕事の劇的な効率改善は今後望めないでしょうね」
「……」
緊迫した空気が辺りを包む。
誰も何も言わない。こめかみを伝う汗が不快で、奴隷仲間達の息を呑む音が耳につく。
先に退いたのは伯爵だった。
炎の剣を腰鞘へと戻し、取り巻きの奴隷使いへ目配せする。
「……明日からノルマを更に増やす。一日でもノルマに届かなければ元の食事に戻すからな」
伯爵はつまらなさそうに鼻を鳴らし、竜を回れ右させた。
取り巻き達も後に続き、奴隷だけがその場に残される。
「は……はは……」
安心した途端、錬は腰が抜けたようにへたり込んだ。
ノルマは更に増えたが、最大限の譲歩は得られた。だがそれ以上に命が繋がった安堵の方が大きい。
「レン! 大丈夫!?」
「……何とか」
「本当に無茶して……怖かったよ……っ」
ジエットの柔らかな体に抱き締められ、少しだけ冷静さが戻ってくる。
やがて我に返った奴隷達が諸手を挙げて喝采した。
「やるじゃねぇか、レン!」
「あのクサレ伯爵に噛み付くたぁ度胸のある野郎だ!」
「胸がスカッとしたぜ、がっはっは!」
相好を崩してもみくちゃにしてくる強面の男や獣人達。
彼らは皆、困っている錬を助けてくれた気の良い奴隷の先輩達だ。
未だ震えは収まらないが、少しでも恩を返せたと思うと錬も自然と顔が綻ぶ。
「それで、いつまでくっついておるつもりじゃ?」
スロウ爺さんが咳払いする。見れば他の奴隷達もいやらしい笑みを浮かべていた。
「あっ……これは違っ!?」
慌てて離れようとするジエットだったが、しかし錬はしがみついた手を離さない。
「ちょ、ちょっとレン!?」
「もう少しだけ、このまま……」
「えっ!? でも……っ」
「命を懸けた直後なんだ。これくらい許してくれ」
「は……はぃ……」
赤面しながらうつむき、石化したように固まるジエット。
実際のところ腕の力が抜けないだけだったが、それでも彼女に包まれていると気持ちが安らぐのだった。
その日の夕方、配給された食事を前にして錬は震えていた。
固くはあるが歯で噛めるパンが三つに、豆やクズ野菜が入った塩スープ。さらには一切れの小さな干し肉まで付いている。
味はお世辞にもおいしいとは言えないものの、久方ぶりに腹が満たせそうな食事の量に感動してしまう。
奴隷仲間もそれは同じなようで、一心不乱にがっつく者や、神と錬に感謝する者、感涙にむせび泣く者までいた。
「こんなに食ったのどれくらいぶりだろうな……」
「オレ、生きててよかったよ……!」
「レン様々だな!」
皆の喜ぶ顔を見ていると、錬も嬉しくなってくる。
ジエットも満足そうにパンを頬張り、こちらを向いた。
「ありがとうね。レンのおかげで仕事が楽になってご飯までちゃんと食べれるようになったよ」
「皆ががんばったからだ。俺一人の成果じゃない」
「それでも皆感謝してるんだよ。レンがいなかったら絶対こうはならなかったしね。だからありがとう」
「そ、そうか」
愛らしい笑みを向けられ、思わず錬は顔を逸らす。
今朝は死の恐怖から、ついジエットに抱き付いて離さなかったが、冷静になると恥ずかしい事をした思いで悶絶しそうになる。
「でも……礼はまだ早いな」
あくまでこれは序章にすぎない。
この職場は今なお究極的にブラックであり、改善すべきものは山のようにあるのだ。
「俺はこれから更に労働環境を改善していくつもりだ。ありがとうの言葉は、人並みの生活を取り戻してからでいい」
「そっか。じゃあその時は改めてお礼を言うね」
もう一度、ジエットは満面の笑みを浮かべるのだった。
***
その頃、ルード=バエナルド伯爵はワイングラスを片手に、美しい木箱に収められた魔石を眺めていた。
「伯爵様……よろしかったので?」
そう尋ねるのは奴隷使いのリーダーだ。
伯爵はワインをあおり、振り向く事なく応える。
「何がだ?」
「奴隷どもの要求を呑んだ事です。このままいくと食費は数倍に膨れ上がりますが……」
「ふん、元より奴らの食費など大して掛かってはいない。それに、ノルマを増やせば利益もまた増える。忌々しい小僧だが、あやつの言っていた事は間違っておらぬよ」
「では今後の食事もこのままいくという事でよろしいでしょうか?」
「明日からノルマを増やす。奴らがそれをこなせるのであれば構わん」
「了解しました。して、ノルマは如何ほどに?」
伯爵はワイングラスをテーブルへ置き、木箱の魔石を手に取った。
バエナルド家では、魔石鉱山を有する領地を賜った見返りとして、年に一度王家へ魔石を献上する義務がある。これはそのための品だ。
手のひらほどもある紫の結晶表面は闇に溶け込むほどに暗く、しかしその中心には溢れんばかりの魔力の輝きが込められている。
これ一つで豪邸が建つほどの逸品だ。王族への献上品ともなれば、このくらい価値あるものでなくてはならない。
だがレンという名の少年奴隷が作った魔法具は、使い方次第でこの魔石以上の価値を持つ。貴族間の力関係……いや、それこそ国をひっくり返すほどの可能性さえ秘めているかもしれない。
伯爵は奴隷使いのリーダーへ向き直り、口元を歪めて笑った。
「百倍だ。明日からノルマを当初の百倍にせよ」
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