第二十四話 それぞれの想い

 エリファレットたちに連行されたエードゥアルトは、ほどなく秘密警察に引き渡された。父の下した沙汰は厳しく、エードゥアルトは死刑、その家族は辺境へ追放と相成あいなった。

 自分の下した決断が原因で、人が死に、人生が変わる。シュツェルツはその重みを苦い気持ちで受け止めた。


 嬉しいこともあった。アウリールが診るようになったゲルタの弟が快方に向かい始めたのだ。

 それでもアウリール一人では職務の負担が大きいので、シュツェルツは、支援してもらえるようベティカ公に頼んだ。その結果、アウリールが往診にいけない時は、ベティカ公家お抱えの医師が代わりを務めてくれることになった。


 エードゥアルトの代わりに捕まっていたハルヴィロ・ガイアーは釈放され、宮廷から身を引く決断をした。

 彼はエードゥアルトにアルトゥルの即位に協力すると持ちかけられ、いいように利用されてしまったらしい。

 王宮を去る際、シュツェルツに礼と挨拶を述べにきたガイアーの静かな姿は、シュツェルツの心に焼きついている。

 彼の引退で王太子派は事実上、消滅した。


 そして、四か月がたち、十二月もあと数日を残すのみとなった。

 シュツェルツはアルトゥルの部屋にいた。兄はここ最近、頻繁に発熱するようになり、眠っていることが多くなった。それでも、今日はまどろみの合間に少し目を覚まし、短い会話を交わすことができた。


 シュツェルツが傍にいることが分かると、アルトゥルは嬉しそうにほほえむ。友人を作りようがなかったアルトゥルにとって、シュツェルツは単なる弟以上の存在であるようだった。

 シュツェルツは以前、嫉妬から兄を嫌っていたことを心の底から後悔していた。


(運命神ロサシェートよ……僕の今までの罪をお詫びいたします。兄上を連れていかないでください)


 そうしたら、自分はいずれ国王となる兄を助けて、この世の理不尽をなくしていく。それでいいじゃないか。だから……。

 シュツェルツはまた眠ってしまった兄の顔を眺めながら祈り続けた。


「シュツェルツ、あなたも疲れているでしょう。そろそろ部屋にお戻りなさい」


 母に声をかけられ、シュツェルツは我に返った。

 今のシュツェルツは母と叔父に挟まれ、椅子に座っている。アルトゥルの傍を離れてよいものか、シュツェルツはためらった。

 おもむろに、ダヴィデが母のほうに顔を向けた。


「姉上、お話があります」


「何かしら」


「ずっと申し上げようと思っていましたが、今お伝えいたします。今すぐにとは申しません。ですが、いずれシュツェルツのことを認めてやってください」


 母は目をみはった。


「ダヴィデ……」


「なぜ、わたしがこんなことを申し上げたのか、理由はお分かりになると思います。アルトゥルはもちろん、シュツェルツも素晴らしい子です。そのことを実の母親でいらっしゃる姉上にもお分かりいただきたいのです」


 ダヴィデの表情は真剣そのものだ。母は言葉を探すような目をして黙っている。

 シュツェルツは耐えきれず、自分の膝を見つめた。

 シュツェルツが母と過ごした時間はマレに帰国してから兄を通してのものであり、あまりにも短い。自分に関心を持たない母に理解してもらうのは、相当難しいことだと分かっている。


(だけど……)


 母に認めてもらえたら、どれだけ嬉しいか。

 期待を持ちたい気持ちと、傷つきたくないからそれを否定する気持ちが、同じだけの圧力でシュツェルツを板挟みにした。

 ダヴィデの大きな手が肩に置かれる。


「シュツェルツ、わたしたちはそろそろお暇しよう」


 シュツェルツは少しほっとした。


「はい……」


 部屋を出る時に振り返ると、母は物思いに耽っているようだった。

 廊下を歩きながらダヴィデが言った。


「シュツェルツ、たとえ姉上がこの先も君のことを見てくれなくても、君の価値は変わらない。君は立派な子だ。わたしの誇りだよ」


 胸の奥が熱くなり、シュツェルツはすぐに言葉を紡ぎ出せなかった。


「……ありがとうございます、叔父上」


「ところでシュツェルツ、ずっと訊こうと思っていたのだが」


「はい」


「前にイペルセに留学してこないか、と訊いただろう? この先、君がどんな立場になろうと、イペルセの門戸は開かれている。どうだい、わたしの国に来ないか?」


 イペルセへの留学は、アウリールからダヴィデの真意を聞いて以来、ずっと頭の隅に引っかかっていたことだ。その問いかけを突然受け、シュツェルツは自覚できるくらい大きく目を見開いた。


   *


 アウリールは東殿にある王妃の謁見の間を訪れていた。他でもない王妃マルガレーテその人から招致されたのだ。もちろん、こんなことは初めてだった。

 なぜ召し出されたのか分からぬままに、アウリールは王妃付きの女官に導かれ、東殿の二階に上がり、謁見の間に足を踏み入れたというわけだ。


 王妃の謁見の間は広くはあるものの、予想していたよりもこぢんまりとした印象だった。奥には三段の低い階。その最上段に置かれた豪奢な椅子に王妃が座っており、上には天蓋が設えられている。階の下には女官が一人ずつたたずんでいた。

 アウリールが階の前でひざまずき、頭を垂れると、マルガレーテが声をかける。


「そなたがシュツェルツの侍医、アウリール・ロゼッテ博士ですね。面をお上げなさい」


 アウリールは言われた通りにした。王妃が嘆声を漏らす。


「……まあ、間近で見ると美しいこと。ダヴィデが気に入るはずだわ。女性だと言われても信じてしまいそう」


 アウリールはものすごく微妙な気持ちになったが、曖昧にほほえむにとどめた。

 マルガレーテは表情を改める。


「訊きたいことがあります。そなたはシュツェルツが九つの時から、親身になって仕えていると聞く。なぜですか? あの子は第二王子。アルトゥルがあのような状態になった今ならともかく、そのような昔からなぜあの子を……」


 言いたいことを言うなら今しかない。アウリールはまっすぐにマルガレーテの青い目を見据えた。


「恐れながら申し上げます。廷臣だけでなく、国王陛下と王妃陛下でさえも、シュツェルツ殿下をお捨て置きになったゆえにございます」


 傍に控える女官たちが色めき立つ。


「まあ!」


「なんと無礼な!」


 マルガレーテが彼女たちを一喝する。


「おやめ! わたくしはこの者の話が聞きたい。続けなさい」


「は。ただ一人、王太子殿下だけがシュツェルツ殿下のことを気にかけておいででした。しかし、シュツェルツ殿下は長らくお兄君のことを嫌っておいでになり、ほんの数か月前までお心をお開きになれませんでした。なぜだかお分かりになりますか?」


 マルガレーテは何も答えなかった。答えられなかったのだろう。

 アウリールはあえて断言した。


「王妃陛下、あなたさまの愛情が王太子殿下のみに注がれていたからでございます。シュツェルツ殿下はお母君の愛に飢えておいででした」


 マルガレーテの瞳が揺れる。


「今も……そうなのでしょうか」


「むろんでございます。あのお方は、もう国王陛下にはなんのご期待も寄せてはおいでになりませんが、あなたさまへのご期待はまだお持ちでおいでです」


「ですが、わたくしはあの子のことを何も知らない……」


 マルガレーテは少女のように心もとない顔をしていた。

 アウリールは悟った。マルガレーテにシュツェルツへの悪意はない。彼女は生まれながらに病弱な長子を抱え、目の前のことに必死に対応していただけなのだと。


 マルガレーテがシュツェルツにしてきたことは到底赦すことはできない。だが、それは自分の中だけの話で、シュツェルツまでその感情に巻き込まれるべきではない。だから、アウリールは柔らかく微笑した。


「これからお知りになっていけばよろしいかと存じます」


 マルガレーテは小さく頷いた。

 この謁見のことをシュツェルツに知らせるべきだろうか。

 アウリールは迷いながらも心の中で首を横に振った。下手に自分が口を滑らせれば、シュツェルツに過剰な期待をさせた挙げ句、彼を傷つけることになるかもしれない。今は時期尚早だ。王妃の中で確固たる結論が出るまで待ったほうがいい。

 アウリールは立ち上がり、お辞儀をして謁見の間を去った。

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