第二十話 ゲルタの詩

 結局、シュツェルツはゲルタに会わせてはもらえなかった。

 代わりに彼女のもとに向かったアウリールによると、心臓の痛みで酷く苦しんだ形跡はあったものの、その死に顔は安らかだったという。彼が到着した時、ゲルタは既に虫の息で、とても助かる見込みがなかったのだ。


 アウリールと同じく彼女の臨終と検死に立ち会ったダヴィデは、死因はモルスだと断定した。モルスの解毒剤は存在しないという。たとえ解毒剤があったとしても手遅れだった、と補足しながら、ダヴィデはこう推測した。


「彼女はシュツェルツの茶碗ティーボウルに毒を仕込んだ直後にモルスを飲んだはずだ。いくら体重の軽い女性とはいえ、亡くなるのが早すぎる。シュツェルツの生死がどうなるにしろ、良心の呵責かしゃくに耐えられなかったのだろう。自分が死ぬことで、家族に累が及ぶことを防ごうとしたのかもしれないね」


 ゲルタの顔色が悪かった本当の理由は、シュツェルツを死に至らしめようとしていることへの恐れと、毒を飲んだために自身の死が迫っていることへの恐れだったのだろう。どれほどの恐怖を味わったことか。

 シュツェルツは爪が食い込むくらい、強く拳を握りしめた。


(許せない……)


 自分を暗殺する。ただそれだけのために、無力な周りの者まで巻き込んで。

 父直属の秘密警察がゲルタの実家である男爵家に連なる者たちを拘束した、という知らせがもたらされたのは、数時間後のことだ。

 シュツェルツは猛然と父に抗議しようとしたが、アウリールに止められた。


「ゲルタ嬢は殿下付きの女官だという理由で、暗殺の首謀者に利用されただけでしょう。彼女の家族が関わっていないことは直に分かるはずです」


「でも、ゲルタの家族が拷問でもされたら……」


「大丈夫。そんなことになる前に解放されますよ」


 アウリールの予想通りだった。ほどなく、ゲルタの家族は解放された。その証拠に、ゲルタの父親である男爵がシュツェルツに謁見を申し込んできたのだ。

 もちろん、シュツェルツはすぐに会うことにした。念のためにエリファレットをうしろに控えさせ、自室に男爵を招く。


 アウリールはダヴィデとともに、先ほど客室に向かった。今頃は、おそらく極めて重要な話をしているはずだ。

 部屋を出る前、アウリールはダヴィデに深くお辞儀をした。


「シュツェルツ殿下をお救いいただき、ありがとう存じました」


 その姿を見て、シュツェルツの胸は震えるように熱くなった。自分には両親がいないも同然だが、アウリールがいてくれる。彼は間違いなく親以上の存在だと、はっきり思えた。

 ダヴィデは彼らしくもなく、短い髪を掻き上げ、返答に窮していた。


 扉を叩く音が響いた。

 入室してくるなり、男爵は床にひざまずき、深く頭を垂れた。


「シュツェルツ殿下、此度は我が不肖の娘がとんだ狼藉を……誠に、誠に申し訳ございませぬ……」


 シュツェルツは立ち上がり、男爵の傍まで歩み寄ると、優しく声をかけた。


「顔を上げてくれ。そなたこそ、大切なご令嬢を亡くしたばかりではないか。それに、ご令嬢が命を落としたのは、僕の力不足のせいだ」


 現行犯で首謀者を捕らえるという作戦以外をとりようがなかったとはいえ、結果的に自分はゲルタを死に追いやってしまったのだ。そのことを忘れてはならない。

 顔を上げた男爵は、驚いたようにこちらを見上げている。


「短い間ではあったが、生前のご令嬢には大変世話になった。彼女は進んであのようなことをする女性ではない。きっと、何かやむにやまれぬ事情があったのだろう」


「殿下……」


 この一日の騒動で疲れ切ってしまったのだろう。男爵の目元には色濃い疲労が隈となって表れていた。


「実は、娘があのようなことをしでかした理由に、ひとつだけ心当たりがございます。娘にとっては弟に当たる我が家の長男が病を患っておりまして……ステラエ中の医師に手の施しようがないと言われました。宮廷の侍医や大貴族お抱えの医師ならば、あるいは治療できるのではないか、と妻と話していた矢先、娘は結婚を先延ばしにして女官になると言い出しました。はっきりとは申しませんでしたが、侍医との伝手を得るためだったのでしょう」


「……僕でよければ、侍医を紹介したのに」


 シュツェルツは無力感に苛まれながら呟いた。病にかかった兄弟を持つ気持ちは痛いほど分かる。

 人に対して遠慮がちだったゲルタは、シュツェルツやアウリールと親しくなってから弟のことを切り出そうと思っていたのかもしれない。

 しかし、その前に彼女の事情を知る何者かが、甘く狡猾に囁いたのだ。弟の病気を治す代わりに、シュツェルツの飲み物に毒を入れろ、と。


「殿下、娘の部屋からこのような物が見つかったそうです。秘密警察は、ただの詩だと言って押収しませんでしたが、わたしにはこれが娘の遺書のように思えて……」


 そう言って、男爵は一枚の羊皮紙を取り出した。開封済みではあるけれども、きちんと封蝋が施されている。まるで、誰かに宛てた手紙のようだった。受け取ったシュツェルツは男爵の許可を得て、中を見る。


 わたしがどれだけ想っても

 翼の生えたあなたには手が届かない

 悲しみを癒やすため眠り薬を飲んで

 一角獣ユニコーンとともに森で眠るわ


(あ……)


 一見、ただの失恋の心境を語ったように読める詩。だが、そこに隠された情報を読み取ったシュツェルツの頭脳は、凄まじい速度でこの事件の全体像を構築してゆく。


(間違いない。首謀者はあの人だ)


 シュツェルツは労りを込めて男爵を見つめた。


「これは重要な証拠だ、ありがとう。男爵、ご令嬢の無念は僕が必ず晴らす。それに、僕の侍医でよければ紹介しよう。彼の手にも余るようなら、ベティカ公の力を借りる」


「殿下……」


 男爵の頬は涙に濡れていた。彼はあらん限り深く頭を垂れる。


「誠にありがとう存じます……。娘も神界で喜んでおることでしょう。このご恩は、生涯忘れませぬ」


「礼はご子息が治って、暗殺の首謀者を捕らえてからにしてくれ」


 シュツェルツは柔らかくほほえんで男爵を見送ったあとで、エリファレットを振り返る。


「首謀者が分かった。アウリールが戻ったら、話をすり合わせよう」


「はっ」


 エリファレットは真剣な顔で頷いた。

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