第五章 彼岸淵の砂海 探索編

第五章 彼岸淵の砂海 探索編 1

「え? 今日もハチいねぇの?」

 素っ頓狂な声で言うキュウの横で、俺は小さなサナギの業魔イルを仕留めた。

「あぁ」

「おいおい、新人をほっぽっていいのかよ」

「知らないよ。そっちだってフウと一緒にいないじゃん」

 キュウが足元の芋虫のような業魔イルを踏み潰す。俺も同じように足で踏み潰す。

 中心街より少し外れた洞窟付近は小さな業魔イルがおり、狩場としては穴場なスポットなのだと怠け癖のある執行部局員のネミさんから聞いたことでさっそく向かえばキュウと鉢合わせ、今に至る。

 ここしばらくハチを含め局員たちの不在が続いていた。おかげで俺は自由にのんびりと安全な狩りをしている。

「ていうか、俺みたいな弱小生還希望者サバイバーの狩場を取るなよ。お前はでかい獲物でも狙ってればいいじゃん」

 正直、ハチがいなければでかい獲物を狙う意欲がない。できると思って何度か挑戦しに探しに行ったが、そもそも市内は大きい獲物がいないし、いたらいたで町中だし、大立ち回りをやる度胸はまだない。理想と現実はますます差が開くばかりだった。そんな俺の心情を見透かしているのかいないのかキュウは口をへの字に曲げて気まずげに笑う。

「なるほど……オレはレイが心配だからついてきたんだが」

 キュウはバツが悪そうに続けた。

「こんな人気のない場所にいたらさ、ほら、またみたいな輩に狙われるかもだし」

「あいつ……克馬か」

 確かにキュウの言うことも一理ある。生還希望者サバイバーの中には克馬みたいな姑息な手を使うヤツも多く、最近はそういう人たちのたまり場という場所もだんだん分かってきた。やつらは現世と同じように複数で行動し、気弱そうな生還希望者サバイバーや局員を狙っては憂さ晴らしをしている。ここは無法地帯だから人殺しも日常茶飯事に起こる。しかし、やつらは妖怪たちとはあまり交わらない。もしくは悪徳な妖怪を後ろ盾にしているかのどちらかだ。

「でも、ネミさんがここでサボってるらしいし、穴場なんだと思うよ」

 ネミさんはハチよりも少し年下くらいの女性。ボサボサの髪にメガネという冴えない風貌の人で、なんというかもっさりしている。たまにアマナたちがたむろう茶屋で見かけるので話すようになっただけで親しいというほどではない。

 俺は洞窟の岩肌にくっついたサナギを刀でぶすぶす刺した。黒い汁が落ちていく。それを見てもあまり動じないほど作業的だった。

「馴染んできたなぁ」

 キュウが感慨深そうに言う。馴染んで堪るか。

 洞窟内で蠢く業魔イルはまだまだたくさんあったが、どれもが危険とは程遠いのでだんだん飽きてきた。それでもかなりの討伐数を稼いだように思う。

業魔イルってさ、人間の負の感情なんだろ? 殺しても殺してもキリがない。もし生還希望者サバイバーの人口が減ったらどうなるんだろうな、この異界は」

 そんなことはないとは思うが、ふと気になったので言ってみた。

 すると、キュウは「さぁなぁ」とあまり考えていなさそうな生返事をする。

「ま、オレたちはそういうことを考えず、生還に向けて頑張っていこうぜ!」

 思考を放棄したキュウの爽やかな笑顔がこの薄暗い洞窟に不釣り合いだったので、俺はため息をついた。


 ***


 日が暮れて洞窟から帰ろうとキュウとともに中心街方面を歩く。赤い提灯が点々と並ぶ石畳の道を行くも、妖怪や人、動物とすれ違わない。真っ赤な空の彼方が黒く淀んだ色に染まっていた。

「……なんか、不気味な道に入ったな」

 キュウが声を落として言う。次第に互いの足が速くなる。こころなしか背後に寒気が走る。

 ここはどこだろう。

 行きは外の明るさのおかげで易々と洞窟まで歩いたものだが、帰りは別世界のように雰囲気が変わっていた。足元の枝を踏むと静かな道にパキッと乾いた音がこだます。その瞬間、脇に立つ木々からバサバサと大きな羽音がした。振り返る。

 大きな鴉が上空へ飛び上がった。

「なっ……! あれって、まさか」

 キュウの絶句と俺の悲鳴に似た声が飛び出す。

業魔イル!」

 羽ばたきが風を起こす。むわりと温い風が巻き起こり、大鴉が鳴く。無数の目玉をこちらへ向けるそいつは全長戦闘機ほどの大きさだと思われた。

 すかさずキュウが薙刀を向けた。しかし、次の羽ばたきによって踏ん張ることが叶わず吹き飛ばされた。俺もキュウも頼りない木にしがみつくのでやっと。

「うおぉぉぉぉっ!? おぉぉい! レイ、生きてるかぁぁ!?」

 突風のせいで声が届きにくいが、キュウの呼びかけに応えた。

「あああああああっ! あぁ、ダメだっ! 飛ばされ……」

「レイ、踏ん張れぇ! 絶対離すなよぉっ!」

 大鴉が俺たちの姿を見つけ、突っ込もうとする。しかし、木のせいでうまく近づけないようで嘴をカチカチ鳴らして飛び上がる。悠々と上空へ羽ばたく業魔イルの瘴気が濃い。まともに浴びて咳き込む。

 その隙を突くように嘴が俺の肩をかすめた。大鴉の脚が俺の体をつまむ。

「レイ! 刀を抜け!」

 キュウが幹に刺した薙刀を抜き、大鴉の脚を突いた。俺の体はさらわれずに済む。風がやみ、言われるままに帯刀していた刀を抜くとキュウがやったように俺も木に登った。二人で同じ木の枝葉にまぎれて隠れる。上空を飛ぶ大鴉の業魔イルを睨みつけた。

「でけぇな……」

「あぁ」

 俺の感嘆にキュウが頷く。

「二人で殺れるかな」

 そう言ってみるが、俺は無謀だと思っていた。

「ここから逃げてしまうのは簡単だ」

 キュウが神妙に言う。

「でも、中心街へこの化物を連れて行くのは嫌だ」

「そう、だな……」

 キュウが薙刀を構えた。俺も刀の柄を掴んで、じっと大鴉を睨みつける。つばを飲む。大鴉が俺たちを探し、上空を旋回する。

「ただ、どうするよ」

 飛ぶ鳥を撃ち落とすのは難しい。

「だったら、こうすりゃいい」

 キュウが薙刀を振りかぶり、竹槍のように思い切り飛ばした。大鴉の目に命中する。

「刺さった!」

 俺は興奮気味に叫んだ。その時、キュウが俺の声にかぶせて言う。

「レイ、今だ!」

「えっ!?」

 キュウが俺の胸ぐらを掴んだ。

「オレを踏み台にして飛べ!」

 そのまま俺の足はキュウの背中と肩を踏む。

「いけぇっ!」

 追い立てられるかのように俺は上空を高く飛び上がり、抜刀した。

「うおぉぁぁぁっ!」

 大鴉の首を狙う。一発だ。一発で仕留められなければ死ぬ。

 が、風を斬った。外したか。

 目を見開く。羽が落ちる。大鴉の瘴気が放出される。その様子を目で追う。

「レイ!」

 俺は地上へ転がるように落ちた。受け身を取ってすぐに見上げる。大鴉の首が半分落ちた。

「ちくしょう! 仕留め損ねた!」

「いいや、上出来だ」

 背後から静かな声がする。頭をがっしり掴まれるその感触で俺は不覚にも安堵した。俺の脇を風がよぎる。ハチの軽やかな足と背中が宙を舞う。彼は大鴉の足と翼を斬った。

 それからハチはひらりと簡単に地面へ着地する。大鴉の嘴から金属をこすったような鳴き声が響く中、俺はハチを見た。

「仕上げはお前に譲る」

 ニヤリと笑うハチの憎たらしさが癇に障り、俺はすぐに刀を鞘に収めた。

 落ちてくる。大鴉が上空へ羽ばたこうともがく。しかし、翼はもがれた。息を止めて抜刀する。大鴉の業魔イルがむせび泣く。首が落ちる。瘴気がほとばしる。真っ黒な液体がにわか雨のように降り注いだ。

「うぉぉ、やったか! レイ!」

 薙刀を使って木から降りてくるキュウが上機嫌にやってくる。しかし、すぐにその笑顔が固まった。ハチの姿を見て驚いている。

「ハチさん、いたんすか」

「さっき来た。嫌でも聞こえたからなぁ、異変の悲鳴が」

 ハチが大太刀を鞘に戻しながら言った。

「でもレイがやったからな。これはレイの手柄だ」

「いや、それは……」

 モゴモゴと言いかけると、ハチが小首をかしげた。

「お前の手柄だよ。少しは上達したな」

 ニヤリと口元だけで笑うハチ。「うぉぉ! やったな!」と歓声を上げるキュウ。俺は唇を噛む。俺が全部やったわけじゃない。それなのに手柄にされるのは少々納得がいかない。

「素直に喜べ。こんな大物に手を出すなんて生還希望者サバイバーじゃ無謀だ。それでもビビらず立ち向かえたんだ」

 ハチがなだめるように言う。

「それに生還希望者おまえらをフォローしてやるのも局員おれたちの仕事だ」

 その言葉のおかげか、俺はわずかに笑みをこぼした。手のひらを見る。豆ができた皮膚が破けていたが、みるみるうちに治っていく。それでも達成感は消えることなく指の血管を巡った。

 するとハチは俺の耳元に口を寄せ、キュウに聞こえないように囁いた。

「あと、お前がサボってることもバレてっからなぁ? これでチャラにしてやる」

「………」

 肩をぽんと叩かれ、俺は渇いた笑いを漏らした。

「やぁやぁ、見事な腕前だなぁ、坊主ども!」

 暗い道の向こうからノシノシと大柄なクマのような男が歩いてくる。吠えるようなその声はノウさんのものだとすぐに分かった。

「見えてたぜぇ、お前たちの素晴らしい合せ技! 順調に育ってるみたいじゃあねぇの!」

「ノウさん、ついてきたんですか」

 ハチが気だるそうに言う。ノウさんは白髪交じりの髪をかきあげて豪快に笑う。そして、消えかかってくすぶる業魔の瘴気を指で掬ってベロっと舐めた。

「上々、上々」

 うわぁ……。

 ドン引きの目で見ていると、満足そうな顔をするノウさんは俺とキュウをじっくり見つめた。

「な、なんすか……」

 キュウが強張った顔で訊く。俺はハチの後ろに隠れようと一歩右へ移動する。ノウさんはパチンと指を鳴らし、顎をさすりながら言った。

「うむ、決定!」

「何が!?」

 キュウが堪らず声を上げる。

「ノウさん、まさか」

 ハチが珍しく引きつった声を出した。俺は彼らを見比べ、固唾をのんだ。

「あぁ。次の遠征探索、こやつらも連れてゆこう」

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