第四章 休暇迷宮 3

「あれ、お前ら何してんの? 休憩?」

 黄昏時に差し掛かる頃、たそがれる俺たちの前にハチが驚き顔で立った。いつの間にか桜華通りから出てきていた。

「お疲れ様でーす。随分と長い間、お楽しみだったんですねー」

 キュウがニヤニヤ笑いながら言う。そんな彼をたしなめるように俺は気まずそうに訊いた。

「ハチ、モテた? 大丈夫だった?」

 これに対し、ハチは目を瞬かせながら困惑気味に言った。

「え? 何、お前ら殺されたいの?」

 彼はすかさず懐から小刀を出した。そんなとこに隠し持ってたのかよ!

 途端に慌てる俺とキュウは苦笑いして身構えた。

「じょ、じょーだんじゃないっすか……なぁ? レイ」

「え? 俺は割と本気で心配してたんだけど」

「おいコラ、レイ! そういう天然ボケは今いらねぇんだよ!」

「え?」

 別に天然ボケしてるわけじゃないんだが!

「もういいよ……誤解してるみたいだから言うけど、そこの色街は全店夜営業だ。昼は健全な飲み屋だけしか開いてねぇんだよ。このスケベどもめ」

 ハチが面倒そうに言いながら小刀を仕舞った。

「じゃああれか。途中で俺を見つけて尾行してたんだな。ったく、これだからガキは……」

「なぁんだ……つまんねぇの」

 キュウが小声で悪態をつく。ハチはため息をつきながらキュウの頭を叩いた。

「え、じゃあ、ハチはただただ昼間っから酒飲んでただけなの? ひとりで? ダメ人間じゃん! 俺に土産話期待しとけって言っといて!」

「……お前をかわいげがないと言ったが訂正するわ」

 俺の抗議に、ハチが困惑気味に笑った。そして、キュウに向かってヒソヒソと耳打ちする。

「俺、あの子のことがちょっと心配になってきた。キュウちゃん、あいつにちゃんと色々教えてやれよ。でないとこの先、本当に不安だよ」

「やー、そういうのはハチ先輩から教えたほうがいいんじゃないっすかね……」

「ダメダメ。こういうのは同世代のがいいんだって」

「いやいやいや、こういうのは大人が」

 しばらくふたりは譲り合う。俺はなんだか疎外感を感じてしまってつまらない。

 ため息をついて通りの様子を眺めておく。どこかからか、カレーのいい匂いが漂ってきた。醤油を煮込む匂いもしてくる。あらゆる夕飯の香りに腹が鳴った。何もしてないのに腹は正確に時を刻んでいるらしい。

「ねぇ、お腹すいた」

「はいはい、レイちゃん。それじゃあご飯でも食べに行きましょうね」

 ハチが取り繕うように言って俺の肩をポンポン叩く。まるで子ども扱い。なんだよ、その態度。イライラする。

「何食いたい?」

「カレー」

「オーケー、うまい店に行こうな。俺、知ってんだよ。キュウちゃんもおいで」

「え、いいんすか! ハチさんのおごり!?」

「てめぇ、ほんと図々しいな」

 声音をガラリと変えるハチに、キュウは人懐っこい笑みを見せた。


 宵どれ街道をしばらく緩やかなカーブに沿って歩いて行くと、どっしりとした瓦屋根の店が見えてきた。道に突き出るようにして二階から伸びるのは旗に描かれたカラスのイラストと〝喫茶暁鴉〟という角張ったロゴ。カレーとコーヒーの香りが店の中から漏れ出ている。和風家屋にガラスの窓やドアが小洒落た重厚感の佇まいを演出していた。

「うまいカレーと言えばここだな」

 得意げに言うハチに、俺とキュウは「へぇぇ」とふたり揃って相槌を打つ。さっそくドアを開けるハチの後ろから顔をのぞかせた。

 ちりりんと鈴を鳴らしながら店内に入ると、和と洋が融合する空間が広がる。暗めの照明に照らされる漆黒のカウンター。ずらりと並ぶサイフォンがコポコポと音を鳴らしている。奥は座敷で、妖怪たちが静かに談笑したり、食事を楽しんでいた。木造の柱や梁も黒い。カウンターにあるきらびやかな棚にはカップとソーサー、グラスなどが敷き詰められていた。入口側にはテーブル席。これも黒のテーブルとイスで統一感がある。

「おっしゃれー」

 キュウが囃し立てるように言った。俺もこのおしゃれ空間に圧倒されている。

「ハチ、いつもこんなとこに来てるんだ?」

「いつもじゃねぇけどな。カレーならここって決めてるだけ」

 そうそっけなく答えると、ハチはカウンターにいた妖艶な和装女性の女将に言った。

「上、いい?」

「どうぞ」

 少女のような声音でしっとりと言う女将。彼女の流し目に俺とキュウは揃って緊張した。左目の下にある泣きぼくろがまた妖艶さを醸し出している。

 ハチは女将に構うことなく、店の真ん中にある急な階段をのぼっていった。俺たちは女将に会釈しながらハチの後ろを追いかける。

 二階は赤い絨毯が敷き詰められた廊下と、レトロな金属の電話、磨き上げられたガラス棚と二人席テーブルがズラッと並んでいる。その先にある四人がけソファ席へまっすぐに行くハチについていく。どうもそこは彼のお気に入りスポットらしかった。そこは窓があり、外の様子を眺めることができる。

 座ると、席に置かれていた黒革のメニュー冊子を開いて俺たちに見せる。

「はい、好きなのどうぞ」

 言われるがまま美味しそうなものを選んだ。俺はカツカレーを、キュウは牛すじ煮込みカレーを。ハチは普通のカレーとブラックコーヒーをそれぞれ頼んだ。和装の女給さんがしとやかにメニューを回収して厨房へ入って行くのを見届けて、俺たちはようやく息を吐き出した。

「何、緊張したの?」

 ハチがニヤニヤ笑いながらお冷を飲む。

「ここ、いかがわしい店じゃないっすよね? 合法ですよね?」

 キュウが言うと、ハチは鼻で笑った。

「普通の喫茶店だよ」

「女給さんがみんな美人すぎる」

「でもみんな妖怪だけどな。人間に化けてるだけの狐、狸、猫、女郎蜘蛛、あとはー」

「いいですいいです! そんな露骨に言われると萎えるから!」

「あっそう。まぁ、キュウちゃんはませてるから分かるけど、レイはどうしたのさ。お前も美人だらけの中で緊張したのか?」

 そうバカにされるも、図星だったので顔をしかめるだけにした。

「お手洗い行ってくる」

「このタイミングでそれ言うといかがわしいな」

「うるさい」

 俺はハチの冷やかしをピシャリとたしなめ、席を立った。廊下を突っ切って左側にあるらしい。あ、あった。黒を基調とした壁にスタイリッシュなピクトグラムを発見し、入る。用を足して手を洗って席に戻る。それだけのはずだった。

「あれ?」

 廊下に出てもと来た廊下を辿るも、なかなか廊下が終わらない。

「え? あれ? おかしいな……道間違うはずないんだけど」

 まっすぐ続く廊下。テーブル席だけが続く。ソファ席にぜんぜんたどり着かない。

「えぇ……?」

 嘘だろ。こんなとこで迷子になる?

 化かされているのだろうか。そう考えてハッとする。

 ここの従業員は化かしあいの名人たちばかりだが──客を困らせるようなことをするのだろうか。

 俺はくるりと踵を返して、トイレの方向に戻った。トイレにはすんなり戻ることができた。

 なんとなくトイレの中に入ってみて出る。そして走って廊下を突き抜ける──しかし、結果は同じことだった。

「嘘……待って、俺のカレーは!?」

 出られないことよりもカレーの心配をしてしまうくらいなので、まだ気持ちには余裕があるらしい。しかし、腹の余裕はない。ぐぅぅぅと大きな音を鳴らして文句を垂れ流している。

「クソッ……どうやって出るんだ。ていうか、ハチたちはどうなってんの? さすがに俺が戻らなかったら心配してくれる、はず……」

 いや、どうだろう。ハチのことだ。メシをおごる相手が減ってラッキー程度に思うかもしれない。キュウはまだ分からないぞ。助けてくれるかも。

 そう思っていると、背後のトイレからキュウが出てきた。

「わぁ! え? 何してんの、お前」

 驚いたキュウが素っ頓狂な声を上げる。

「良かった! 俺だけかと思った!」

「何がだよ。ぜんぜん戻ってこねーし、何やってんだと思ってたけど……ずっとここにいたのか?」

「うん。廊下から出られなくてさ」

「はぁぁ?」

 キュウは顔を歪めて、それから噴き出した。

「なんだよそれー。化かされてんの? だっせぇな」

 そうゲラゲラ笑いながらキュウが先を歩いていく。俺はその場に留まって様子を見守る。長い廊下を歩き続ける彼の後ろ姿を見ながら腕を組んでいると、やがて彼はくるりと踵を返して戻ってきた。

「どういうこと!?」

「ほらな」

「いや、ドヤ顔してんじゃねぇよ! どうすんだよ、これ!」

 確かにここでキュウ相手にドヤ顔している場合じゃない。互いのこめかみに冷や汗が伝う。

「で、こういうときはどう抜け出せばいいの?」

 訊いてみると、彼は「え?」と目を丸くした。

「知らねぇよ? こんなの初めてなんだけど」

「マジかよ……」

 詰んだ。そんな言葉が脳内を点滅する。俺はおずおずとキュウに訊いた。

「ちなみに、俺がトイレ行ってからお前が行くまで、店はどうだった?」

「どうって……普通に静かな店内だったぜ。カツカレーは十分以上時間がかかるから、まだきてないと思うけど。てか、オレのもまだだったし。ハチも」

 どうやら、トイレに立って戻らなくなってから五分くらいしか経っていないらしい。さて、どうしたものか。うーんと唸っていると、おもむろにキュウが壁を殴りつけた。

「よいしょっと」

「おいおい、さすがにそれは」

「ここはきっと仮想空間だ。じゃあ別に壊しても問題ない」

 なんだよその理論。フウみたいだな。

「てか、キュウ、薙刀どうした?」

「あ? トイレ行くのに持っていくわけないじゃん」

「えぇ……」

 丸腰の彼と、帯刀している俺。何かが出た際は俺しか戦うことができない。荷が重いぞ。

 そう思っていると、キュウが壁を思い切り蹴りつけて壊した。バラバラと壁板が崩れる。中を覗くと、無人の廊下が広がっていた。

 おそるおそる入ってみる。そこはトイレがある廊下とは少し様子が違い、和室のようなふすまがずらりと右側だけに並んでいた。俺たちは顔を見合わせ、手前のふすまを開けた。

 想像通りの和室だった。黒を基調とした柱に彩り豊かな壁、い草の香りを放つ畳。六畳間。その横にあるふすまも同じく。

 これ全部確認するのは面倒だ。俺たちはため息をつき、その場でへたりこんだ。

「どうしよう……腹減った」

「ほんとだよ。カレー食えるって思ったら、こんなことに……」

「バチが当たったのかなぁ」

 キュウがぼんやりと言った。

「バチ?」

「うん。ハチのこと尾行したバチ」

「そんなことでバチが当たりゃ、俺たちはもうとっくに死んでるだろ。生還希望者サバイバーとかにならず、ガチの死」

 ただの好奇心でバチが当たるなんて堪ったもんじゃない。

「そうだよなぁー……」

 キュウは少し元気を取り戻したのか、小さく笑った。その時、天井がガラリと引き戸を開けるように開いた。咄嗟のことで、俺たちは息を飲む。

「あ、こんなとこにいらっしゃいましたか! はぁ、良かった」

 それは俺たちの給仕をした女給、猫耳を生やした女の子だった。天井からシュタッと華麗な着地をしてくる。

「申し訳ございません! 局員の方ですよね? 折り入ってご相談がございまして」

 まんまるで大きな瞳をすがるように向けてくる彼女は、とても美人であり、やわらかな花の香りをまとわせていた。豊かな三編みは赤っぽい茶色。淡い桜色をした着物の上からメイド風のエプロンをしている。

「ていうか、客なんですけど、オレたち」

 キュウが困惑気味に訊くと、彼女は「ひぇ」と小さく震え、猫耳を伏せた。

「も、申し訳ございません……女将に言われて仕方なく……」

「あの美人女将か」

「左様です。女郎蜘蛛の女将です」

「なるほど」

 俺はなんとなく相槌を打った。

「で、相談とは?」

 対応できるなら対応して、さっさとカレーを食べに行こう。そう思っていると、猫耳女給ちゃんは困ったように「はぁ」と俯いた。

「あの、業魔イルを退治していただきたいんです」

「………」

「………」

 俺たちは顔をゆっくりと見合わせた。苦笑いがこぼれる。そして、キュウが爽やかな笑顔で俺の肩を叩く。

「任せた!」

「えぇぇぇぇぇーっ!」

 絶叫が無限に続く和室にこだました。

 しばらく困惑と虚脱に襲われ、頭を抱える。そんな俺を見かねたのか、キュウは女給に告げた。

「こいつ、生還希望者サバイバーなんすよ。しかもかなりド素人の」

「はぁ」

 女給ちゃんが目を丸くする。

「だから急にそんなこと言われても困るわけ。オレもそうだけど、武器忘れちゃって」

「まぁ」

 女給ちゃんが口に手を当てる。

「なので、もうひとりいた大人、いましたよね。その人もつれてきてもらってもいいですか?」

「承知いたしました。ただちに」

 そう言うと、彼女は天井へぴょんと飛び上がって消えた。

「よかったな、レイ。ハチ来てくれるぞ」

 キュウはあっけらかんと言った。ものすごく他人事のように言うけれど、せっかくならお前も薙刀を持ってきてもらえば良かったんじゃないのか?

 そう言おうと口を開くと、女給ちゃんに連れてこられたハチが不機嫌な顔で天井から顔を覗かせた。

「あのさぁ! 俺、今日非番なんだけど! お前らでどうにかしろよ!」

 カレーを口の周りにつけて言うハチに、俺とキュウはため息をついた。

 もうカレーが出来上がっている。では、冷める前にさっさと退治しに行かなければならない。

 口を拭うハチが女給ちゃんに促されるまま和室に飛び降り、不機嫌たっぷりに言った。

「で、くだんの業魔イルはどこだ」

「それが……」

 女給ちゃんもシュタッと華麗に降りてくる。しかし、その身体能力とは裏腹に顔はオロオロとするばかり。

「この空間を作って隠れてしまったんです」

 弱々しい言葉のその破壊力さたるや。全員の思考が止まったのは言うまでもない。

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