事実はラノベよりも奇なり

蒼月 紗紅

プロローグ

未分類:誰かの物語

 これは、地球とはまた別の空間にある世界の『ソーサリア』という一つの国の物語である。


 この国は昔から内部分裂が激しく、国の本来の姿を残したまま改革を進めようとする東部陣営と、発展と効率化を図るには例え生命であろうと、どんな犠牲も厭わない西部陣営の間では争いが絶えなかった。



 この話は、ある『誰か』の物語。そして――大きな物語の始まりを告げる前日譚である。




 ある日のソーサリア、とある草原にて。その『誰か』はそこに倒れ、横たわっていた。


 ……痛い、体中が痛い。着ている服は所々裂けている。膝は擦り切れており、腕も傷だらけ。おまけに腰も痛いので立つことも出来なさそうだ。ただ首は動きそうなのでなんとか力を振り絞り、辺りを見渡してみる。ここはどこだ? 草原だろうか?


 見る限りは真っ平らな地平線が広がるばかりである。なにもない。ほんとに、笑ってしまいそうになるほど何も無い。のどかでいいなぁ。なんて言ってる場合か。とりあえず誰か人を探さなきゃ。喉は無事そうだ。声は出せる。誰か――




 そのときだった。どこからか耳を劈くような爆撃音が響いた。前言撤回。どこがのどかで平和だ。


 音の鳴ったその先ではごうごうと紫色の炎が上がっていた。ぱっと光ったかと思ったら、鈍い聞き覚えのある音がした。あれは雷だろうか。それにしては妙である。こんなに局所的に落ちるものだろうか。


 そうしているうちにもその炎は徐々に勢いを増していく。しかも誰かの叫び声まで聞こえてくる。

 もしもこのまま巻き込まれたら、あるいはあれがこちらに来たら、どうなるかなんて考えなくても分かる。ああ、死にたくないな。死ぬのは嫌だ。これより痛いのは嫌だ。何より怖い。



 そう思うと震えが止まらなくなってきた。まだ自分にはやり残したことがたくさんあ


『やりのこしたこと』?


 その瞬間、『自分』はあることに、しかも何で今この瞬間まで気づかなかったのか不思議なくらいとても重要なことに気づいてしまった。



 ――あれ? 『自分』とはなんだ? 一体誰なんだ? いや、今まで気づいていなかったほうがおかしかったのかもしれない。


 怪我とあの雷のことで頭が一杯だったとはいえ、なぜ気づかなかったのだろう。なんとか思い出してみようにも、まるで昨日までの記憶に靄がかかっているようで……思い出せない。ああ、これは一体何だろう? これは何なんだ?



 『自分』には記憶がない。そんなこと急に気づいても飲み込めるわけが無い。いやそんな馬鹿な。そんなことが有り得るのか?


 混乱して頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。――まぁ頭の中身は抜けてしまってるのだからどう頑張ってもぐちゃぐちゃになり様は無いが。

 でも、それよりも。このまま記憶を取り戻すまでは死にたくない。死ぬものか。



 まずはどこかへ逃げたい。きっとどこかに安全な場所があるはずだ。ああでもやっぱり体が痛い。どうしよう。都合よく誰か来ないだろうか。でもここは何も無いのどかな草原。そんな誰かが来るような場所では……

 いや、足音が聞こえる。人だ。人の気配だ。まさか本当に人が来るとは。こんな千載一遇のチャンス、逃す訳にいかない。



「あ、あの、そこの人、」

 すぐに気づいたのか、言い切る前にその人はこちらを向いた。瞬間、表情を変えて、そして走ってきた。直後、『自分』を見てこう言った。



「ああ、ああ。こんな所に居たのね。全く、探したんだから。やっと見つけた」


 誰だこの人。ああ、『自分』記憶無いんだった。知らなくて当然か。それにしても。……探していた? 『自分』を? 見つけた? なんで? 記憶を失う前の知り合いだったりするのだろうか。

 見た目は、女の人。横たわっている『自分』を上から覗き込んでいた。その手には……いかにも強そうな、ファンタジー小説に出てくるような武器。それを見た瞬間、最悪の可能性が脳裏を過ぎった。


 ――まさか、『自分』を捕らえに来たのか?


 もしかしたらこの人は『自分』を追っかけて来ている人なのかもしれない。優しそうな表情で騙してるだけなのかもしれない。何せ記憶が無いから昔の自分が何かしでかしたのかすら分からない。

 もしかしたら『自分』は追われてる身なのかもしれない。いやまさか。記憶が無いってこんなに厄介なのか。敵か味方かも分からないなんて。



 でも――「なんか危険、早く逃げろ」そう『自分』の本能が叫んでる気がした。とにかく怖かった。ああでも動けない。もしすぐにでも攻撃されたらかわすことなど不可能だろう。あの炎に巻き込まれずともここにてジ・エンドって寸法だ。だから。



「嫌だ嫌だごめんなさい嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくないごめんなさい死にたくない死にたくない!」


 訳が分からないまま命乞いをした。ただひたすら叫んだ。ありったけの力を振り絞って。無駄な抵抗かもしれないけど言うだけ言ってみる。こんなのでどうにかなる訳無いけども、悪あがきだけども、抵抗せずまま死ぬのだけは御免だ。




 叫びきったところでその人の顔を見ると、どうやら呆気にとられたようで、ただ呆然としていた。


「やだな、何言ってるの、殺すわけ無いじゃないの。あなたは私達の仲間じゃない」

「あ、え、ええと……」


 仲間? 何の仲間かについては分からないが、探していたとはそういうことなのだろうか。まあとりあえず『自分』にとって敵ではないことは分かった。良かった。



「そんなことより傷だらけじゃないの。とりあえず今出来る手当てをするからじっとしてなさい」

「あ、ありがとうございます」

 よかった、優しい人だ。さっきは勘違いしてごめんなさい。


「まったく、でも思ったより酷くなくて良かったわ」

「ありがとうございます。ところで……一体どういうことなんですか?」

「どういうことだとは、どういうこと? あなたさっきから何か変よ」


「ああ、『自分』記憶が無くって、よく分からないんです。今の状況が、なにもかも」

「そう、急にいなくなったと思ったら。記憶喪失だったのね。それならさっきの不可解な言動も合点が行くわ。何があったのかまでは私にも分からないけど大変だったわね」

 初めて会った見ず知らずの人から同情されてしまった。ああ、向こうから見たら仲間なのだから顔馴染みなんだった。



 そしてその人は少し間をおいて、こう言った。

「さぁ、帰りましょう。あなたが無事だと知らせたら皆も喜ぶと思うわ。それにもっとちゃんと手当てしてあげたいし」

「帰るって、あの、どこへ?」

「ああ、そのことも忘れてしまったのね。いいわ。帰りながら教えてあげる。」

「え、いいんですか? 本当に?」


 なんて幸運だろうか。まさか行くあてがこんなにも早く見つかるなんて。『自分』のことを知っている人にこんなにも早く出会えるなんて。今ここで一生分の運を使い果たしたといっても過言ではない。もっとも、今までどれくらいの幸運を使ってきたのかそもそも覚えていないのだが。怪我だとか記憶喪失だとかのインパクトが大きすぎて忘れていたが、行き先については確かに困ってたから凄く助かる。


「ええ。ほら立てる? もし歩けないのなら肩を貸してあげるから」

「あ、それなら、よろしくお願いしま」


 その瞬間、『自分』は安心して力が抜けたのか、積もり積もった極度の疲労によりその人の手を握ったまま気絶してしまった。

「ええ。……やっと見つけたんだから、って、大丈夫!?」




 ――そこから先は本当に何も覚えていない。きっと運んでもらって、手当てをしっかり受けたのだろう。そして何日か眠ったままだったのだが、一体どれくらい眠ったままだったのかは覚えていない。長かったような短かったような。そんなこと考えてもどうしようもないが。




「やっと見つけたんだから」


 この発言の真意など知る由も無く、『彼女』は深い深い眠りへと落ちてゆく。


 ――その意味を後に『彼女』は身をもって知ることになるのだが、それはもっと先の話である。

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