鶴と雷

 ざかざかと、下草を踏み鳴らすような音。家の裏手の斜面を滑り降りるように、こちらへ向かってくる人影があった。

「……っと、あれれ」

 勢い突っ込んできた人影に、足元の鶏が大騒ぎをする。一瞬、八神の着物を掴む手に力がこもった。

「なんだ、ヤツさんだったのか」

 現れた子どもは、鶏泥棒でも出たかと思った、と言いながら破顔した。背に背負子を背負っているところを見ると、山菜か薬草でも採りに行っていたのだろう。

「もう夏だってのに、冬前と春に狩った竜を持ってきてくれてなかったから、心配してたんだ。良かった、来てくれて」

 歳の頃はイサナと同じくらいか、僅かに上か。以前会った時よりも上背が伸びて、幾分体つきもしっかりとしてきた。

「少し見ない間に大きくなったな、雷太らいた

「だろ? 母ちゃんだってすぐ抜くぜ」

 とはいえ、まだ八神よりは小さいので、大きな瞳は懸命に見上げてくるのだった。身の丈に対して大きな背負子を、雷太は担ぎ直す。

「何か採りに行ってたのか」

「うん。夏枯草かごそうと、あとこっちは地竜じりゅう

 体を弾ませるようにして、雷太は背負子と腰に結び付けた小さな袋を示した。背負子が大きいから少なく見えるが、薬草も満足いく量が採れたようだ。腰の小袋も小さく膨れて、時折もぞもぞと動いていた。


鶴乃つるのさんは一緒か?」

「母ちゃんは家だよ。俺、一人で行ったんだ」

 得意げに胸を張る雷太に、仲間が時々連れていた、独り立ちの近い子どもたちを思い出した。弟子を取ったことのない八神だけれど、知った子どもの成長は感じ入るものがある。

「俺ももう、戻るからさ。行こうよ」

 雷太が体の向きを向きを変えたら、背負子がイサナにぶつかりそうになった。八神の背中から出そうとしていた顔を、慌てて引っ込める。

「あ、悪い」

 雷太はまじまじとイサナを見つめた。

「まさかヤツさんの子ども?」

「違う」

「じゃあ、弟子とったの」

「いいや」

 凝視されて、イサナは再び八神の後ろに隠れてしまう。

「だよなあ。俺、女の竜追いって聞いたことねえや」

 それは八神の知る範囲でも、遭遇したことはない。どこかに存在するのかもしれないが、あの狩りの中に女が混じるとなると、その想像は難しかった。

 雷太はイサナをちらちらと気にしつつも、小屋の前へと回っていく。


「戻ったぞー」

 小屋の中は、ごりごりと重たい音が響いていた。戸口を開けた途端に響いてきた耳慣れぬ音に、イサナは足を止める。道を譲るようにして身を引き背を押してやると、おずおずとイサナは小屋の中へと入っていった。

「あら、お久しぶり」

 小屋の中で作業をしていた女は、手を止めると顔を上げた。薬種を曳いていた薬研車が傾いて、ごとりと音を立てる。

「いらっしゃい。色々と噂はこちらまで届いていたけど、ヤツさんもなんとか生き延びていたみたいね」

 歳が近いこともあって、女は八神を気安く『ヤツ』と呼ぶ。母親がそう言うから、雷太も八神をそう呼んだ。

「雷太も鶴乃さんも、親子共々、息災で」

「おかげさまで」

 土間に降りてくる手前で、鶴乃はイサナの姿を見つける。

「なあに。いつの間に子どもなんか」

「俺の子じゃない」

「ああそう。一部じゃ、八神の奴がどこぞの女との間にこさえた子どもを押し付けられたから、竜追いから離れたって話になってるけど」

 頭を抱える。いつの間にそんな根も葉もない話になっていたのだろう。

「まだイサナを連れ歩くようになって、ひと月だぞ」

「だけどひと月以上前から、ヤツさんが子どもを連れてるって話は届いてたんだよね」

「……ああ」


 実際に八神とイサナが出逢ったのは、半年近く前のこと。

 竜の森で暮らしていたイサナ。竜の森を抱く山の麓には、竜を狩り、食し、暮らしの糧とする竜追いの村があった。

 イサナとその父親は竜を殺す者たちを外道と蔑み、相容れようとしなかったから。だから親子は迫害されていたし、お互いを理解しようともしなかった。

 どうしたって、違う者同士は相容れようがなかったのだ。

 食うものと、食われるもの同士であったのだから。

 竜の尊さを説いて、それを殺す竜追いの愚かさを叫ぶ親子が、竜そのものであったなんて誰も知りはせず。

 イサナの父を、八神たち竜追いが狩り殺して。

 そうしてイサナは、独りになった。


「引き取った時、イサナは足を折っていてな。歩けるようになったのは最近だ。高熱も出したし、しばらく禄一ろくいちの家で俺が面倒を見ながら療養していた」

「ああ、それで。そういえばロクさんは、ヘマして竜に腕一本持ってかれたんだって話だけど」

「……ヘマだなんて、言ってやるな。大変だったんだ、あの時は」

 あの時の狩りは。竜殺しは。

 あまりに壮絶で、多くのことが、もう取り返しがつかない。 

「付き合い長いもんね、ヤツさんとロクさんは。つらいものですか、さすがに」

 生きていればどうにでもなることは、多いだろう。

 けれど命あっても取り返せないものだって、山ほどある。

「ヤツさんが竜追いから退くんじゃないかって話も、聞くよ。ロクさんのことで負い目を感じてるんだって、言う人もいるけど」

 胸の痛い光景であった。あるべきものを失った、歪な半身と。禄一に縋り付いて泣く子どもたちと、顔色を無くした女房と。

「うちの旦那の骨を拾って届けた人が、そんな腑抜けたこと言うわけないわねえ」





 

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