第10話:小豆が落下した

***


 火曜日。仕事の合間に廊下を歩いてたら、ちょうど登校してきた小豆あずきと顔を合わせた。

 コイツは俺を嫌ってるから、あんまり話しかけたくはないが……仕事だしそんなことは言ってられない。


「おう、来たか。あの解説資料は見たか?」

「あ、ああ。あの資料ね。見た目がざついね」

「は? だから言ったろ。急きょ作ったから見栄えが悪いのは許せって」


 なんだよ。コイツ、ちゃんと読みもしてないんだな。やっぱこんなヤツのために苦労して作るんじゃなかった。


「まあ中身は……わかりやすかったかな。今まで勘違いしてたとこ、なるほどなぁって思った」


 ──え?


 悔しそうな顔で横向いてるけど……中身はちゃんと読んだんだ。

 くそっ、素直じゃないなコイツ。


「じゃあこれからは自習室にも来いよ。直接教えるから」

「ん……それはいい」

「なんでだよ?」


 小豆のヤツ、横向いたまま何やらブツブツつぶやいてる。


「はぁ~っ……ぎんがもっとカッコよかったらなぁ。もうちょっとくらいやる気出るのに」


 ──は? 聞こえたぞ。

 なんだコイツ、ムカつく。


 いや、でも……

 カップルで同じ大学に行きたいから勉強頑張るとか。

 憧れの人に認められたいから頑張るとか。

 イメージのいい大学に入ってモテたいとか。


 受験を頑張る理由は色々ある。


 大人が聞いたらアホかって理由でも、それで頑張れるんならそれでいいよな。


 事実俺だって、勉強を頑張りだした理由は──

 部活一色だった灰色の高校生活から青春を取り返すために、憧れの青谷大学に入りたい!


 それが一番のモチベーションだったもんなぁ。


 ──ということは。


 俺がカッコよくないばっかりに、小豆のやる気に火をつけられてないってこと?


 うわ。最悪だ。

 この悲しい事実……

 しかもコイツ、何げに俺を『ぎん』なんて一文字呼び捨てしてるし。舐められてるな。


 いや、俺は悔しくなんかないぞ。

 悲しくなんかないぞ。


 ──くそっ!


「じゃ、そういうことで!」

「あ、こら逃げるな! だったらイケメンの八丈先輩に質問するとかでもいいから……って、もう聞こえないか」


 逃げ足早いな。

 もういい。そこまで言われて小豆の成績を伸ばす義理は、俺にはない。

 今度顔を見ても、もう話しかけないでおく。


 それが俺の精神衛生上も一番いい。

 だからそうしよう。



***


 学生に配る資料を抱えて、階段を昇っていた。

 すぐ前を八丈先輩が昇ってる。


 その時階段を降りて来る小豆の姿が踊り場に見えた。

 ちょうど講義が終わった時間だし、これから帰宅するんだろう。


「キャッ!」


 は? 俺の顔見て悲鳴上げる?

 くそ腹立つっ!


 それとも八丈先輩に会った黄色い歓声か?

 いや違う。……コイツ階段を踏み外してる!


 あわわと体勢を崩して、小豆の身体が宙に浮いた。

 このままなら落下する!


 いや、目の前に八丈先輩がいるから大丈夫だ。


「おわっ!」


 ──っておいおい、八丈先輩! けるなよぉっ!


 宙に浮いた小豆がそのまま落下してくる!

 ヤバっ! このままだと大怪我するぞ。

 受け止めなきゃ!


 普段部屋で毎日筋トレはしてるけど、高校時代と違ってハードに鍛えてるわけじゃない。大丈夫か?

 いや、迷ってどうすんだ。いくらくそ生意気なギャルとは言え、怪我させるわけにはいかない。


 ほんの刹那の時間に色んなことが頭を巡った。

 ええい! やるしかない!


 俺は手早く荷物を足元に置き、両足を前後に開いて、落下してくる小豆の身体を両手と胸で受け止めた。


「ウグッ……」

「キャッ……」


 ドンっと衝撃が腕と胸に走り、一瞬息が止まった。ぐっと足に力を込める。

 だけど問題ない。体幹の強さだけは自信がある。

 身体の軸はブレることなく、小豆をがっちり受け止めることができた。


「大丈夫か?」


 小豆を階段の段差に座らせて顔を覗き込んだ。


「いつっ……」


 小豆は足首を押さえてる。階段を踏み外した時に足首をひねったみたいだ。


 俺が足首に触ると、まだ腫れてはいないけど熱を持ってる。これからかなり腫れてくるかも。


「んもう、勝手に触らないでよエッチ」

「え? さっきは全身を受け止めたんだから……足首くらい気にすんなよ。大怪我するところだったんだぞ?」


 俺、そこまで嫌われてるんか?


「あ、いや、ごめん……あ、あ、あ、ありがと……」


 小豆は顔を真っ赤にして横を向いた。

 なんだよ。ホントこいつ素直じゃないよな。


 今のありがとは、心から言ったように思える。

 嫌ってるわけじゃなくて、単に照れてただけなんだってのはわかった。

 だからさっきのわけのわからない発言は許してやろう。


 ──そう思った。

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